砂糖に塗れた恋のくちづけ
今日は休日で、明日の祝日と合わせると二連休であり、町へと外出する生徒が多い為か学園内はひどく静かである。小鳥が庭先で囀るのを聞きながら廊下を歩いていた留三郎は自室の襖を開ける。図書室で長次が本を読んでいた他、同学年の連中は見つけることが出来ず、もちろん同室の伊作も薬草が自生している場所を見つけたと楽しそうに出掛けて行った為、部屋には誰もいない。留三郎は人があまりいない今が学園内を修理するチャンスだとばかりに朝早くから工具箱と共に部屋を開けていたのある。
「っしと」
手に持っていた板を床に置き、腰を下ろした留三郎は自分の机の上に可愛らしい包みが置かれていることに気が付いた。それは春らしい淡い桃色をした包みで黄色い紐で縛られている。
お茶を呑もうとしていた留三郎は湯呑みを置いてからその包みへと手を伸ばす。柔らかい、それこそ上品なその包みの紐を解くと中から豆菓子が顔を覗かせた。甘い香りに、留三郎は一瞬だけ眉間に皺を入れる。誰がこれを置いて行ったのか、留三郎には心当たりがあった。
お茶を飲みながらそれを茶請けとして口に運ぶ。豆菓子はほんのりと甘く、口当たりは優しい。それと少し濃い目に入れたお茶はとても合っていて、とても美味しい。留三郎はぼんやりと庭先で地面をつついている小鳥を見つめた。甘いものが好きな留三郎はひとりでそれを食べおえてしまうとその淡い桃色の包みと黄色の紐を畳み、机の引き出しを開ける。机の引き出しに入っているのは色とりどりの包み紙で、中には可愛らしい柄まで入っているのもある。
「…女かっつーの」
それらの色はどれも赤や黄色、桃や薄い黄緑といった女が喜びそうなものばかりで、留三郎はまた眉間に皺を入れながら薄桃色と黄色の紐をその引き出しの中へと仕舞う。そしてその引き出しを少々力強く閉めながら「竹谷め」と恨めしい声を出した。
先ほどの可愛らしい包みを置いて行った人物は留三郎のひとつ下の後輩であり、現在留三郎の恋仲でもある竹谷八左エ門である。竹谷から好意を寄せられ、その真っすぐさと真摯な言葉に留三郎は気持ちを揺さぶられ、最初は断ったものの交際を始めることになった。竹谷は留三郎への気持ちを隠そうとはせず、二人きりになるとすぐに近寄ってきてはその肌に触れ、愛の言葉を囁く。それは留三郎が今までに経験がないもので、ただ手を握っては好きですと告げて来る竹谷を愛しく思ったものであった。
しかし、現在の留三郎は眉間に皺を寄せながら茶を啜っている。その原因は先ほどの包みにあった。竹谷は友人と町へ出ると必ず留三郎へと土産を買ってくる。それは羊羹であったり飴であったりと多種多様であるが、それら全てが女が喜びそうな可愛らしい紙や布で包まれていた。最初は付き合い始めて浮き足立っているからだろうと思っていたのだが、付き合いはじめて数ヶ月経つ今でも相変わらず桃や紅などの包みが定期的に留三郎の部屋に届くのである。
また、それと同じように留三郎が不満に思っていることがもうひとつある。それは、竹谷がやたらと愛を囁くことと、やたらと丁寧に留三郎に触れることである。愛なんて囁かなくても留三郎は竹谷から逃げるつもりはないし、そんな硝子細工に触れるような丁寧さで触れなくても女ではないので壊れたりはしない。それなのに今でも付き合い始めと同様、馬鹿丁寧に接されると留三郎はこいつは俺を女だと勘違いしているんではないのだろうか、と思ってしまうのだ。
(確かに女役だけど、女ではねーし、俺は男だし、つーか、女みたいに扱われて嬉しいわけねーだろ)
言葉にはせず心の中で管を巻きながら留三郎は板に釘を打ちつける。まだまだ学園内には修理しなくてはならない場所が多くて手を休めている暇はないのである。
「留先輩」
不意に名前を呼ばれて振りむくとそこには竹谷が私服姿で立っていた。
「おー」
それだけ返して留三郎はまた板へと向き合う。そしてまた釘を打ちつけ始めた。
「先輩忙しいんですか?」
「見りゃわかるだろ」
「俺も手伝いますよ」
「いらない」
「…先輩何か機嫌悪くないっすか?」
「べつに」
竹谷が小さく溜め息を吐く。それに苛ついた留三郎はわざとらしく大きな音を立てて釘を打ち付ける。
「ねぇ、先輩何を怒っているんですか?」
「怒ってねーよ」
「本当に?」
「ほんと」
「…じゃあ、こっち見て下さい」
後ろから伸びて来た手が留三郎の右手を掴んで振り向かせた。竹谷の身長は留三郎より少しだけ高く、その差にすら今の留三郎は腹が立ちかねない。それでも竹谷の真っすぐな視線を見ると先ほどまで燻っていた苛立ちは簡単に消えてしまった。
「ほんとに、怒ってねぇから」
「…なら、安心しました」
ぎゅうと抱き寄せられて留三郎ははぁと息を吐く。さっきまでの苛立ちがこうも簡単に消えてしまうのが悲しいやら情けないやらで、自分が思いの外この男に惚れているのだと自覚したのである。
「ねぇ、先輩、今日俺の部屋に泊まりに来ませんか?」
竹谷のその言葉に、首筋へと沈めていた顔を上げると竹谷が目の前でにっこりと笑う。
「三郎も雷蔵も、今日は帰ってこないんです。だから泊まりに来て下さい」
留三郎はまた小さく溜め息を付きながらもう一度竹谷の首筋へと顔を埋めた。
「今日、伊作も帰ってこねぇからお前呼ぼうと思ってた」
「あ、ほんとですか?」
竹谷が嬉しそうにぎゅうと抱きしめる。
「俺が先輩の部屋行ってもいいっすよ。どっちがいいですか?」
「んー…来てくれた方が俺はいいな」
「じゃあ俺が行きます」
竹谷は体を離しながら留三郎の髪へと口付けを落とした。
「じゃあ、早く仕事終わらせて下さいね。俺もさっさと生物委員の仕事終わらせてきます」
「ん」
竹谷は軽く手を振りながら去って行った。その背中が見えなくなると留三郎はまた作業を再開させた。
夕食も済ませ、風呂も済ませて留三郎が部屋に戻ると、竹谷が既に部屋の中で布団を敷いていた。あまりにも自然に見えるのは結構な頻度で二人で過ごすことがあるからなのだろう。
「あ、先輩おかえりなさい。布団勝手に敷いちゃいましたよ?」
「んー」
髪を拭きながら机の上にある櫛を取ろうと留三郎が屈むと背後から竹谷がぎゅうと抱きつく。
「いい匂い」
うなじや首筋をくんくんとまるで犬のように匂いながら竹谷はそう言う。
「お前だって同じもの使ってんだろ」
「そうだけど、でも先輩の匂いが一番いい匂いです」
そんな言葉で心臓が跳ねるなんて馬鹿みたいだと、留三郎は息を呑む。そして「好きですよ」と甘い言葉を囁き始めた竹谷の言葉を止める為に唇を塞いだ。
はじめは触れるだけの口付けが舌を絡ませるものになり、苦しくなって唇を離すと唾液の糸が伸びてその糸を竹谷が指で切る。肺活量が竹谷より劣るのか、まだ余裕がある竹谷とは違って息も絶え絶えな留三郎は涙を浮かべたまま竹谷の肩へと額を乗せた。
「先輩」
いつもより数十倍優しい声で耳元で囁かれ、その声が背筋に響いて留三郎は体を震わせる。そんな留三郎を竹谷は布団の上へと組み敷いた。
「先輩、触ってもいいですか?」
既に指先が留三郎の体へと触れているにも関わらず竹谷は律儀に留三郎の了解を取る。首筋や胸元へと舌を這わされ、その感覚に耐えながら留三郎は「も、触ってんだろ、」と竹谷の髪を掴んだ。
「いいって言ってもらえないとこれ以上は触れられません」
手を止めて竹谷は留三郎を見つめる。既に体は熱くなっていてここで止めてしまえば二人とも焦らされるだけなのに竹谷はきっと本当に止めてしまうのだろう。それが分かっているから留三郎は「触って」と懇願するのである。
「はい」
竹谷は嬉しそうに目を細めて、また留三郎の肌へと口付けを落とした。
丁寧に丁寧に竹谷は留三郎へと触れ、その丁寧さに留三郎は何度も焦らされる。もっと激しくしてくれてもいいのにと留三郎が思っても竹谷はそんなことはしない。体の負担が少なくなるようにと何度も入口を解し、その間体中へと舌を這わせ口付けを落とす。留三郎が耐えきれなくなって懇願してやっと竹谷は挿入するのである。
突き上げられると訪れる快感に呑まれないようにと耐えるように留三郎は竹谷の背中へと爪を立てる。そしてそんな留三郎をもっと気持ち良くしてあげたいと竹谷は何度も突き上げた。
「先輩、大丈夫ですか?」
涙を零している留三郎の顔を覗きこみながら竹谷は心配そうに眉を寄せた。
「大丈夫」
そう返したはずの留三郎の声は少し掠れていて、竹谷はさすがに二回連続はきつかっただろうかと反省していた。
「水、持ってきます」
留三郎の喉が心配になった竹谷はそう言って水を汲みに行こうと留三郎へ背を向けた。その背中を見た留三郎は自分の顔が熱くなるのが分かる。広いその背中に自分の爪のあとがはっきりと赤く残っていたのである。
「竹谷」
部屋を出て行こうとした竹谷を思わず呼び止めて、振り向いた竹谷に「水はそこにあるから」と伊作の机の上に置いてある急須を指差した。
「あ、先輩用意いいですね」
そう言いながら湯呑みと急須を運んできた竹谷に、背中見せろと留三郎は腕を掴んだ。近くで見ればその肌に血が滲んでいるのが見えて、留三郎は自分がこの背中にどれくらい縋ったのかを思い出してまた顔を赤くする。
「傷ですか?」
「お前、これ痛かっただろ」
傷跡を指先で触れると竹谷は背中をぴくりと動かして、やはり触られると痛いのか向かい合わせに座り直した。
「まあ、でも男の勲章みたいなもんじゃないですか。俺、背中に爪たてる先輩好きだし」
男の勲章と笑った竹谷に留三郎の眉間に皺が寄った。
「…先輩?」
「お前さ、俺を何だと思ってんだよ」
留三郎の声が少し低くなったことに気付いた竹谷は不穏そうなその言葉に少々戸惑いながら口を開く。
「え、留先輩は留先輩でしょ?それ以外に、何を」
「俺は、女じゃねーからそんなに丁寧にしなくても壊れたりしねぇよ。もう少し乱暴にしたっていいんだ。それに、土産もいつも女が喜びそうな赤とか桃色ばかりだろ、俺は、お前の恋人だけど、女じゃない。女の代わりなんて、俺はお断りだ」
竹谷の言葉を遮って留三郎は一気に捲し立てた。そして言い終わった後はとうとう言ってしまったというように俯いて竹谷の方を見ない。
「あの、先輩?」
「…」
「俺、先輩のことを女代わりに思ったこと一度もないですよ?」
「嘘つけ」
ぱっと顔を上げた留三郎の頬を竹谷は両手で包んで捕まえた。
「嘘じゃないです。俺は、先輩が大切だから無理させたくないし、傷もつけたくない。先輩が大切だから優しくしたいだけで女の代わりだからって優しくしているわけじゃないです」
「…じゃあ、あの土産は?」
「先輩甘いもの好きでしょ?先輩これ好きそうだなー今何してるかなー喜んでくれるかなーとか思ったら土産のひとつも買いたくなりますよ。確かに包み紙がいつも女が喜びそうな色合いだったのは謝ります。でも恋人への土産だと言うと店の人が勝手にそういう色で包んじゃうんですよね。先輩が色に拘りあるなんて思ってなかったから嫌いな色があるとか気付かなかったんで、それは謝ります」
竹谷はそう言ってペコリと頭を下げた。
「いや、お前が謝る必要はない」
素直に頭を下げられて、留三郎は慌てて竹谷の頬を同じように両手で包んで上げさせた。
「お、俺が、そういう細かいとこに女々しく拘ってしまっただけで、お前は、その、何ひとつ悪くない」
大切にされていることにはずっと気付いていたのにそれを女の代わりだからじゃないかと変に勘繰ってしまった罪悪感と情けなさで留三郎は真っすぐに竹谷の顔が見れずに俯く。
「でも勘違いさせてしまった俺のやり方にも問題あるんですよ、言葉が足りなかったんですかね」
こんなに愛の言葉を囁いてくれる竹谷に言葉が足りないなんて、きっとあるはずないだろう思っていながら留三郎はそのことを言わなかった。
「背中、傷薬つけよう」
「え、別にいいっすよ」
「俺が、嫌なんだよ。俺だって、お前に傷つけたいわけじゃないんだ」
留三郎のその言葉に竹谷はようやく「わかりました」と眉を下げて笑う。
「引き出しに傷薬入れているから取って」
「あ、はい」
竹谷は留三郎が言うとおりに引き出しを開けた。そこには傷薬も入っていたが、それよりも色とりどりの包み紙が竹谷の目には映った。まるで色の洪水だった。夥しい数の包み紙が綺麗に畳まれて引き出しの中に丁寧に仕舞われているのだ。
「先輩」
今日の土産の包み紙である薄い桃色の紙を手に取り竹谷が留三郎の方を振り返ると留三郎は寝巻へと着替えていて竹谷が包み紙を持っていることに気付いていない。
「もしかして、全部取って置いているんですか?」
「え、あ、ばか、何勝手に開けてんだよ!」
一枚一枚、全ての包み紙を捨てられずに取っていることなんて留三郎にしてみれば竹谷に一番知られたくないことだった。
「え、本当に全部?先輩、確かこういう包み紙嫌だってさっき言ってませんでした?」
「…うっせぇよ」
竹谷を押しのけて留三郎は引き出しを閉めたけれど、引き出しから零れた色たちがまだ床の上や竹谷の膝の上に落ちている。
竹谷が買ってくる包みの色が気にくわないと留三郎が伊作に漏らした時も、じゃあ何で全部大事そうに取ってるのと聞かれ、逆に困ったのだ。そして、竹谷から貰ったからという理由で捨てられないなんて、女々しいことを思っている自分に気付いてしまった。まるで自分が女になったような気がして、留三郎はそんな自分が嫌だったのだ。
「見るな、聞くな」
体を重ねている時より恥ずかしい気がして、留三郎はもう竹谷の顔を見れず、背を向けて俯く。そのうなじが朱を帯びていることに気付いて竹谷は嬉しそうに目を細めた。そして手に包み紙を持ったまま留三郎を背後から抱きしめる。
「大事にしてくれて、嬉しいです。先輩、ね、明日休みなんだから二人で町へ行きましょう」
「…委員会の仕事がある」
「俺も手伝いますから、少しならいいでしょう?一緒に甘味屋にでも行きましょう」
竹谷が優しく耳元で問い掛け、そして留三郎の黒く柔らかい髪に触れる。留三郎は竹谷の手が握っていた薄い桃色の包みを見つめながら、じっくりと時間を置いた後に小さく頷いた。
「ほんとに?じゃあ、明日はデートですね」
竹谷が嬉しそうに笑うのを首筋で感じて、留三郎は振り返った。そして唐突にその唇へと口付ける。
「好きだよ」
不意打ちのその言葉に、竹谷の顔が赤く染まっていく様を見つめ、留三郎は嬉しそうに笑った。
(2010/04/25)