蜜色に消ゆ
深夜1時過ぎ。終電も終わった時刻に竹谷はバイトを終えて自宅へと向かって歩いていた。携帯を開くと食満からのメールが届いていて、頼まれた物を買う為にコンビニへと立ち寄る。
「…抹茶チョコ…ポテチ?」
メールの文面を見つめながら探すと食満に頼まれた品がちゃんと棚に並んでいる。それにしてもものすごい単語の並びだ。
「…これ、美味しいのか?」
隣りに並んでいる商品も美味しいのかどうかは怪しいものばかりで新商品と書かれたその品と緑茶、そしてチキンを二つ買うと竹谷はコンビニを後にした。
都会の夜は明るい。空は黒ではなく、淡い紺色をしていて、時々空に光る星が見えた。
「ただいま」
鍵を開けてドアを開けると顔を洗っていたのかヘアバンドで前髪を上げたままの食満さんがタオル片手に顔を出す。
「おかえり」
「頼まれたもの買ってきましたよ」
そう言って袋を見せると食満はぱっと笑みを浮かべた。その笑みが可愛いなぁなんて事を思いながら竹谷はビニール袋を食満へと渡す。食満は袋を受け取るとベッドへと腰かけて抹茶チョコポテチを取り出すとパッケージをまじまじと見つめている。そんな食満に竹谷が「それ美味しいんですか?」と声を掛けてみると食満は「もうひとつはすごくまずかった」とだけ返して苦笑した。
「食満さん新商品好きですよねぇ。この前もよく分かんないの食べてたし」
「たまに当たりがあるのがいいんだ。ピノのミルクティはすげぇ美味しかったし」
竹谷は買ってきた緑茶を冷蔵庫へと冷やし、封が空いている緑茶のペットボトルとコップ二つをテーブルの上へと置くと鞄を壁に掛けて食満の隣りへと腰を下ろす。
「あ、チキンも買ったんです。食満さんも食べます?」
「俺のもあんの?」
「ありますよ。お茶淹れますね」
竹谷はコップへとお茶を注ぎ、そして食満の前へと一つ置いた。
「…どっちも辛い奴か?」
「スパイシーにしたんですけどダメでしたか?」
「…別に食べられるけど」
食満はそう言いながら一つを竹谷へと差し出した。二人並んで深夜番組を見ながらチキンを頬張る。
「あ、明日天気いいですね」
天気予報が始まり、明日はどうやら晴れのようだった。ここ数日はぐずついた天気が多くすっきりしなかったが、ようやくそれも終わると思うと竹谷は嬉しく思った。
「食満さん、どこか出掛けましょう」
竹谷は隣りに座っている食満へとそう笑いかけたが返ってきたのは「…却下」という言葉だけだ。
「何でですかーこの前の花見結構楽しんだたじゃないっすか」
「つーかこれ辛い。お前のも貰うぞ」
食満は顔を顰め、そして既に空っぽになったコップの代わりに竹谷の前に置かれていたコップを手に取った。そしてまだ半分以上残っているチキンを竹谷へと押し付ける。
「食満さん辛いの嫌いなんですか?」
「…別に」
何故そこで虚勢を張るのかよく分からないが、食満はしれっとした顔でそう言うと竹谷の分のお茶までごくごくと飲み干す。
「…食満さん、明日水族館行きましょ」
天気予報の後ろで流れている水族館の映像を見ながら竹谷は挫けずにもう一度尋ねてみる。すぐに否定の返事が飛んで来なかったのでちらりと食満の方を見ると食満は雑誌へと視線を落としていた。
「夕方以降なら安くなるって聞いたんです。それにその時間帯ならあんまり人もいないみたいでお勧めなんだって教えて貰ったんですよ!」
「…誰に?」
食満のその問いに竹谷は一瞬口を噤んだが、すぐに「お客さん」とだけ返した。
「…教えて貰ったんじゃなくて、一緒に行きませんかって誘われたんだろ?」
食満はあまり興味が無いというように雑誌のページを捲りながら竹谷へちらりと視線を向ける。
「…え、何で知ってんですか」
何処かで見ていたんだろうかと竹谷がぎょっとすると食満は「図星かよ」と溜め息を吐いた。そして黙ったまま雑誌を閉じてしまう。
「…でも!でも俺は食満さんと行きたいんですよ!食満さんと行けないのなら誰とも行きたくないし!」
食満が立ち上がると竹谷は逃げられると思って食満の腕を強く掴んだ。そして必死に自分の気持ちを言い聞かせる。そんな竹谷を見ながら食満は「トイレ」と告げて笑った。
「…トイレだから手離せって」
「…食満さんそのまま帰りそう」
「さすがに帰らん。電車ないし」
「電車あったら帰ったでしょ」
竹谷のその言葉には何も返事せず、竹谷が手を離すと食満は予告した通りトイレへと消えて行く。ドアが閉まる音が聞こえてすぐ竹谷は溜め息を吐きながらベットへと倒れ込んだ。
以前「俺と食満さんって付き合ってるんですよね?」と竹谷が問うと食満は「さぁ」と返した。お蔭さまで付き合っているのかどうかは宙ぶらりんのまま竹谷と食満は今日まで過ごして来たのだ。
週の殆どを食満は竹谷の部屋で過ごし、そして夜になると大抵体を重ねる。食満は恋人らしいことの殆どを許す癖に所謂デートというものだけはとても嫌がった。いや、嫌がるとは少し違うだろうと竹谷は思い直す。
以前こういう関係になって一度だけ二人で花見に出掛けた事があった。その時も始めは渋っていた食満だったが、何だかんだ楽しそうに過ごしていたのだ。
ボートに乗りたいと竹谷が言い出した時はあまりにも冷たい視線を向けた癖に、そのボートがあひるさんボートだと知ると「仕方ないな」とか言いつつ内心うきうきでボートに乗り込んだし、周りのカップルの視線を気にしていたのも最初だけで後は本気で楽しそうに笑っていたのだ。
彼が楽しそうにするのを見ていると竹谷は連れ出したのは間違いじゃなかったと思えた。そしてこんな風にまた何処かへ出掛けたいと思ったのだ。けれどあの日以来食満は何処へも行きたがらない。
多分、と竹谷は思う。多分食満はこういうものを経験したことがないんだと竹谷は思う。恋人同士で水族館や遊園地とまで言わなくても、散歩をするとかそういう些細なものさえ食満には経験がなさそうだった。どんな距離で歩いて良いか分からないという風に、いつも戸惑う様な表情をして見せるのだ。
だからと言って食満が竹谷以外知らないわけじゃない。キスしている現場を見たという事もあるのだが、食満の体は男との性行為に慣れているという事くらい竹谷は気付いていたのだ。それなのに食満と寝た男達は、日中に食満を連れだすことはしなかったらしい。太陽の光がある日中に何処かへと出掛け、談笑をかわす事を彼等は食満に教えなかった。
そういう恋人同士の温かなやり取りを食満は何ひとつ知らない。同性愛とかいうよりも、それが最も不幸な事のように竹谷は思えた。
どこかへ出掛けるという事が大切だと竹谷が思うのには理由がある。街の風景に溶け込むという事は、そこにいる自分達を肯定するという事だと思っているのだ。後ろめたい事があれば自然と街や人から遠ざかる。竹谷は食満との関係を後ろめたいマイナスなものだとは思っていないし思いたくはない。だからこそ外へと出たいと思う。
けれど食満がどうしても嫌だというのなら無理強いは出来ない。この関係は食満がいてこそのものだから食満の意思を無視するなんて出来ないのだ。
「竹谷?寝んの?」
ベッドへと転がりこんでいる竹谷を見下ろしながら食満は歯ブラシを咥えていた。
「寝んなら歯磨けよ」
竹谷の髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜながら食満はベッドへと腰かけ、テレビのチャンネルを変え始める。
「歯磨けって」
食満の言葉を無視して寝ようとすると今度は足で蹴られた。
「分かりましたよ〜だから蹴らないで下さい」
体を起こすと食満は満足そうに「ん」と頷いた。その顔が可愛く見えて竹谷が顔を近付けると今度は手で顔を押しやられる。
「歯磨かねぇとチューなし」
「…分かりましたよ」
食満が頑固だという事を知っているので竹谷は肩を落として洗面台へと移動した。竹谷が歯を磨いている間に食満が口をすすぎに来て、そして戻っていく。彼の頼りない背中を竹谷は鏡越しで見送った。
竹谷が歯を磨き、顔を洗って戻って来ると食満は既にベッドへと横になっていた。竹谷はそっと隣りへと忍び込み、そしてその体に抱きつく。シャツの合間から手を差し入れてその肌を撫ぜると食満の口からは笑い声が漏れた。
「くすぐったいって」
「…食満さん」
「なに?」
背を向けていた食満は振り返り竹谷の頬を撫でる。その頬にキスを落として竹谷はもう一度「明日水族館行きませんか?」と穏やかな声で尋ねる。食満は返事をせず、体を竹谷の方へ向けるとその唇を塞いだ。舌を差し入れられては応えずにはいられない。いつの間にか竹谷は食満の体を組み敷いてその首筋に歯を立てていて、食満の手は竹谷のシャツを脱がすようにシャツの下へと潜り込んでいる。
「食満さん」
「ん?」
「好きです」
その言葉を最後に竹谷は食満の体へと集中し、そして食満は嬉しそうにそれに応えていた。
*:*:*
瞼を上げると薄いカーテンから光が漏れて部屋は明るくなっている。隣りではまだ食満が眠っていて、竹谷は大きく欠伸をしながら枕元にある筈の携帯を探り、時間を確かめる。
授業もバイトもない日は毎回同じような感じだ。いつもこうやって体を重ねて起床するのは昼近く。そして昼飯を食べて、夕方までだらだらし、コンビニへ行って必要なものを買ったら部屋に戻って酒を飲む。そしてまた同じように体を重ねる。
まだ朝だというのに今日がどんな風に終わるのか竹谷には想像が付いていた。
「…竹谷ー」
「…なんですか?」
「まぶし」
食満はそう言うなりごそごそと布団の中へと潜っていく。そんな食満の頭にまで布団を掛けて竹谷はベッドを抜け出した。
冷蔵庫に入っていたガリガリ君を齧りながら竹谷が冷蔵庫の中を確認しているとぼんやりした目で食満が起きてきた。そしてコップに水を入れるとそれを持って部屋の奥へと消えて行く。しばらくすると昼番組の明るい声が聞こえてきた。
昼飯は何にしようかと考えながらテレビの前へと移動すると食満が着替えていた。そして竹谷とは入れ違いで洗面台の方へと消えて行く。いつもは昼過ぎまでベッドの上でごろごろしているのにどうしたんだろうかと思っていると戻ってきた食満は髪までちゃんと整えていた。
「…どこか出掛けるんですか?」
竹谷の問いに食満は時計を探しながら「散歩」と応えた。
「…水族館はさすがにハードル高いから」
そう言って苦笑した食満に、竹谷はようやく彼が自分と出掛ける準備をしてくれていることに気付いた。
「え、あ、ちょっと、俺も準備します」
慌てて齧っていたアイスの棒を捨てると、竹谷はクローゼットを開ける。
「すぐ準備するんで!」
そう言って慌てる竹谷に食満は「ゆっくりでいいよ」と笑みを浮かべた。
正午近くに竹谷と食満はアパートを出た。そしてふらりと道を歩く。目的地は別になく、ただ部屋の周辺をぶらつく放浪の旅だ。
小さな公園に子供の姿がなかったのは今日が平日だからだろう。猫が日溜まりの中でごろりと横になっては蝶の姿を目で追っている。
「誰もいないな」
「平日だし、昼時だからなぁ」
食満はそう言いながらブランコへと腰を下ろして軽く漕ぎだした。竹谷はそんな食満の隣りのブランコへと座り、ブランコを漕ぎ始めた食満を見つめる。
「懐かしい」
「ですね」
あまりにも長閑な時間だった。風は冷たいものの微かに吹くだけで寒くはなく、小鳥は木の枝に止まって囀っている。先ほどまで寝転んでいた猫の姿はいつの間にか消えていた。
公園でしばらくぼんやりした後、二人はまた歩きだした。公園の次に訪れたのは近くの商店街である。魚や八百屋など、昔ながらの店が並ぶ様子は懐かしさを覚える。
「コロッケ50円だって」
肉屋の前で足を止めた食満は「昼飯まだだし、買おうぜ」とコロッケを二つ購入して、一つを竹谷へと渡す。「お兄ちゃん達かっこいいからサービスね」と渡されたメンチカツは一つだけで、それも分け合って食べた。
商店街を抜けてしばらくすると街の方に出てきた。レンタルショップやら本屋など、若者が集まるこの場所はやたらと人が多く、そして騒々しい。それでもすぐにその騒々しさにもなれ、二人は人を避けて歩く。カラオケやらゲーセンなどを通り過ぎ、食満は電器屋の前で足を止めた。
「何か欲しいものあるんですか?」
「ドライヤー…お前の部屋にはないからさ」
食満はそう言って自動ドアを通り抜け店内へと足を踏み入れ、竹谷もその後に続いた。
店員が来ないうちにとすぐに決めたドライヤーを片手に二人は暫く店内をうろついた。テレビの前で3Dテレビを視聴し、それからパソコンコーナーの前でどのパソコンがいいかを真剣に考え、そして洗濯機の前で「…最近調子悪いんだよな」と竹谷はぽつりと呟く。そして二人がその店から出た時には既に陽が傾き始めていた。
欲しい本が出てるかも知れないからと本屋へも立ち寄り、そしてゴミ袋が切れていたのを思い出して近くのスーパーにも足を運んだ。
スーパーに辿り着いた時間がちょうど混み合う時間帯だったのか、店内は客で溢れていた。その為二人の距離も自然と近くならざるを得ない。手が触れるかどうかの距離で竹谷と食満は並んで歩く。
「今日は食満さんが食べたいもの何でも作りますよ」
「いいのか?」
「俺のわがままに付き合って貰えたから」
「…わがままって、結局水族館は行ってねーじゃん」
「俺は食満さんとこうやって出掛けられれば場所なんてどこでも良かったんでいーんです」
竹谷はカゴの中へと特売となっている卵のパックをひとついれる。そして「で、何が食べたいですか?」ともう一度食満へと尋ねた。
「…パエリア」
竹谷の問いに食満は小さく答える。
「ぱえりあ…作った事ないっすよ、そんなお洒落料理。食満さん好きなんですか?」
「ダメなら」
食満の続きの言葉を聞かず、竹谷は携帯を取り出し、パエリアの材料を検索し始める。
「あ、でも材料はそんな高くなさそうですね…シーフードミックスでもいいって」
冷凍の棚の方は通り過ぎていたので戻ろうと踵を返す。そんな竹谷の後ろを食満は黙って着いてきた。
デザートはホットケーキと食満が言ったので竹谷少し高めのシロップを奮発して購入した。この前ホットケーキを出した時、食満が使い切ってしまったのだ。シロップでべたべたになったホットケーキを、食満は本当に美味しそうに食べていた。だから今回もたっぷりと使うだろう。竹谷自身はメープルシロップ等は得意じゃないが、食満なら全部使い切ってくれそうだと大きめのものを選んぶ。
スーパーを出ると空は既に暗くなり、そして一番星が光っている。二つに分けたビニール袋のうち軽いほうの荷物を竹谷は食満へと渡し、二人並んで家路を急ぐ。
家に着いてからは竹谷はキッチンに立ち、そして食満は部屋の奥で何やらドライヤーの箱をごそごそと出していた。
パエリアの為に購入した海老が少し痛い出費だったが、作り方を見てみると美味そうで竹谷も俄然やる気が出てくる。そしてキッチンで一人奮闘する事一時間以上、腹の虫も治まってきた頃にようやく完成した。
「食満さん!見て!美味そう!」
そう言いながら鍋ごとテーブルの上へと置くと食満も目をキラキラさせながら「おー美味そう!」と嬉しそうに笑う。
「俺取り分ける皿持ってくる!」
そう言って食満さんはうきうきでキッチンの方へと向かい、竹谷の分の皿やスプーンまで持って来た。
「あ、待って、写メ取る」
「写メ?」
竹谷の問いに答えず食満は携帯のカメラのシャッターボタンを押した。そして「初パエリア記念!」と嬉しそうにしている。
「あれ、パエリア好きだから頼んだんじゃないっすか?」
「え、あぁ、いや、たまたま目に入ったから言ってみただけ」
食満のその言葉に竹谷は思わず脱力した。へなへなと力が抜け、そして座り込む。
「…お、怒った?」
「…怒りませんよーただ、食満さん舌肥えてるだろうからってすげぇ気使って作ったからなんか気が抜けた」
そんな竹谷に食満は少しだけ済まなさそうに「ごめんな、ありがとう」と呟く。
「でも、食べたかったのはほんとで、」
「分かってますよ。冷めちゃうから早く食べましょ」
さっくりとおたまを入れた竹谷に食満は「おたまで取るのか?」と不思議そうに笑っていた。
竹谷が食器を片す間に食満は洗濯物を畳む事にした。
竹谷は器用だけど大雑把なので少しの皺くらいなら気にしない。それが食満は気になるので洗濯物の担当は食満になったのだ。
そしてベッドの上に広げた洗濯物を正座しながらせっせと畳む。
畳み終わった洗濯物をクローゼットへと仕舞い終えた時、甘い匂いがキッチンから漂ってきた。ドアを開けるとその匂いは強くなる。
「あ、ちょうど出来ましたよ」
そう言って竹谷が運んできたのはホットケーキだ。そしてまだ封が切られてないメープルシロップを渡される。
「食満さん好きでしょ?大きい奴買ってみたんでたっぷりかけていいっすよ」
竹谷はそう言い、ホットケーキを前に座っている食満を見ろした。
食満は何も言わずにホットケーキへとシロップを大量にかけ、そしてひとくちサイズに切るとそれを口に運ぶ。
「…どうっすか?レーズン入れてみたんです」
「うまい」
「よかった」
「お前は食べないの?」
「ホットケーキミックスの小袋がひとつしかなくて一人分しか作れなかったんですよ」
そこで食満は押し黙り、そして俯く。
「食満さん?」
食満が何も言わない事を疑問に思った竹谷が食満の名を呼ぶと食満は「お前は、怒んないの?」と呟く。
「…今日、俺、わがまま言いすぎただろ?お前が水族館行きたいって言ったのに結局行かなかったし、パエリア食べたいとか言ったし…嫌になんねぇの?」
そう告げる食満の声は僅かに震えていた。竹谷自身今日の出来事を振り返ると、楽しかったの一言しか出て来ない。食満の事をわがままだなんて思わなかった。それにいつもとは違う日を過ごせたのだからわがままだとしても大歓迎だった。
「これくらいのわがままなら幾らでも言って下さいよ。食満さんのわがままなら俺何だって聞きますよ?それくらいは甲斐性あるつもりですし」
目の前にある食満の髪へと手を伸ばし、柔らかいんその髪に触れると食満の肩が震えた。そして食満が「…じゃあ」と口を開く。
「…じゃあ、俺の事、好きになって」
蚊の鳴くようなその微かな声はちゃんと竹谷へと届いた。俯いた食満は顔を上げないけれど、その手は震えている。
食満の精一杯のわがままに、竹谷は思わず目を細めた。
竹谷は今まで何度も好きだと告げてきたけれど、食満はどの言葉も信じてなかった。多分信じる信じないの前に、竹谷に心を求めていなかったのだと思う。竹谷が食満を好きかどうかは置いておいて、傍に居られるのならどんな形でもいいと思っていたのだろう。
けれど、今、初めて食満は竹谷に心を求めた。
それは、大事な一歩だと竹谷は思う。
だからなるべく優しい声で「はい」と返した。そして食満の隣りに腰を下ろし、その体を抱き寄せる。食満の手はフォークとナイフを皿の上に置き、そして竹谷のシャツをしっかりと掴んだ。
「今も好きですけど明日はきっともっと好きになりますよ。だから傍にいて下さいね」
竹谷のその言葉に食満は返事をしない。
それでも竹谷のシャツを掴んだその手は離れない。
それだけで十分だと、竹谷は思う。
カタリと音がして何事かと思って視線を上げると皿からフォークが落ちてテーブルの上に転がっていた。フォークに絡みついたシロップがテーブルを汚す。
甘く優しいその色にこの人の孤独が早く溶けてくれるよう、竹谷は腕の中の食満を強く抱き締めた。
(おわり)
…あと日常の部分は当たり前の幸せな部分なので淡々と流れるように書いてみたんですが、単に素気ない印象になってしまったのが無念です。
ありきたりなシアワセの描写って難しいですね…くそう。
淡々と流れる日常をどうやったらちゃんと書けるかなーと考えながら精進します!シュワッ!
最後まで読んで下さった方、本当にありがとうございます。
感想などがもしありましたら拍手かメルフォからどうぞ…!お待ちしております!
(2011/5/3)