こたつの王国
今週末は更に冷え込み、多くの地域で雪が降るでしょう。
天気予報のお姉さんのその言葉を真似て竹谷は「雪が降るでしょう」と繰り返した。窓の外に見える夜空に時折白いものがちらつき、雪は既に降り出しているようだから確かに週末は冷えそうだ。けれどそれらは自分には関係ないことだ、と思いながら竹谷は雪見大福を食べてはぼんやりと雪マークを見ていた。
十畳のワンルーム。それが竹谷の王国だった。正しくは竹谷と竹谷の愛しい人との王国だ。
一つ年上の凛として美しい人を好きになって一年半。ようやく実を結んだ恋は竹谷にとてつもない幸せを運んだ。
ワンルームの部屋に恋人が入り浸るようになり、そして数ヶ月後には一緒に住む事になった。十畳のワンルームは二人で暮らすには狭く、ましてや男二人が一緒に暮らすのだからさすがに引っ越しを考える事もある。けれど結局今日までこの部屋を出ずにいた。二人にとってこの部屋ほど落ち着ける場所は無く、狭い事を理由に体を寄せる事も容易だった。何だかんだ気に入っているのだ。何しろ、王国なのだから。
今週末もこたつの中でだらだらと過ごしながら時々キスをして、借りてきたDVDを見るんだろうな、と竹谷が思っているとちょうど愛しい恋人が帰ってきた。
「ただいまー」
竹谷がくるりと振り向くと、愛しい恋人の食満が「寒い」と呻きながらすぐにこたつへと潜り込む。
「おかえりなさい。外寒かったでしょう?頬が冷たいっすよ」
冷えた頬へと手を寄せると食満は温もりが嬉しい様で嬉しそうに目を閉じた。
「雪チラついてた」
「明日はもっと冷えるみたいですよ」
竹谷の手を首筋へと招き、あったかい、とうっとりしている食満に竹谷は急須に入っているお茶を淹れてやった。温まってくるとようやくコートを脱ぎ、マフラーを取り、そしてこたつの真ん中に置かれている籠へと手を伸ばしてみかんを取り、そしてそのみかんの皮へと親指を当てた瞬間、食満ははっとしたようにみかんをテーブルへと戻す。
「どうしたんすか?食べないんですか?」
普段は竹谷が「一日三個までです」と言っても聞かない食満がみかんを途中で手放すなんて珍しい。竹谷が驚いていると「俺は、戦う」と食満が呟いた。
「え?戦う?」
「そう。今から大掃除をするんだ」
突然話された決意に竹谷は「えぇ!」と大声を上げてしまった。
「年越しもお正月も、とっくに終わってますよ!」
顔を顰め、唇を尖らせ、こたつへと両腕まで突っ込みながら竹谷は異を唱えてみたが、食満は「それはそれ」と言って立ち上がる。
「い、いくらなんでも夜からは非常識ですよ!」
やだやだ、と駄々を捏ねる竹谷の言葉が終わる前に、隣からどっと笑い声が聞こえてくる。どうやら飲み会を催しているようで、大きな笑い声が定期的に響いた。
「…大丈夫だよ。隣よりは煩くない」
食満のその言葉に返す台詞もなく、竹谷はぐったりと項垂れる。学生ばかりが住むアパートの週末は何かと騒がしく、確かに掃除くらいじゃ苦情なんて来そうにもない。
元来、食満はとても綺麗好きだった。一人暮らしていた部屋はすっきりとしていて無駄なものは無く、竹谷と食満が一緒に暮らすこの部屋とは正反対だったのだ。同じ部屋で生活するようになって食満が竹谷に毒されてきたのかというとそれは違う。実際一緒に暮らし始めてから数回大掃除を行い、食満が必要ないと判断したものを多く捨てられていた。溜め込む癖がある竹谷と物を捨てたがる食満。相性はさほど悪くなく、数ヶ月に一回大きな掃除をすることで折り合いをつけていた。が、定期的に行われる大掃除は冬に入るとぴったり止まった。食満は竹谷に毒されることはなかったものの、こたつというものに毒されてしまっていたのだ。
「こたつは、片付ける!」
食満のその宣言に竹谷は「反対です!」と拒否する。けれど「片付けるって言ったら片付ける!」と食満が言い切り、そして掃除を始めてしまうと諦めてしまった。愛しい恋人が白と言えば、黒も白だと言わずにはいれない性なのである。
壁がそんなに薄い訳でもないのにたびたび聞こえてくる笑い声に手を止めることなく食満は掃除を続けた。上から下へ、と片付けていく食満に時折指示されながら竹谷も手伝った。風呂場やトイレなど水回りを率先して掃除していると時折食満がチェックにくる。
「お、綺麗になったな!」
褒められれば嬉しい。単純だと思いつつも本能には逆らえ切れない。竹谷は一層掃除に集中していった。
年末でも正月でもないのに一心不乱に掃除をしているといつの間にか時計の針が深夜0時手前まで回っていた。そしてその時間にもなるとさすがに大体が片付き、残るのは後日ゆっくり片付けるべきものばかりだ。
換気の為に開けていた引き戸からベランダへと出ていた食満の手元には夏にやろうと話して以来すっかり忘れ去られていた花火があり、竹谷がバケツに水を入れてベランダまで運ぶ。すっかり忘れていた花火を発掘した食満が今からやろうぜ、と竹谷を誘ったのだ。そして白く染まる息を吐き出しながら二人は手持ち花火にそっと火をつける。
「寒ぃー」
「寒ぃーけど綺麗だ」
背を丸め、片方の手はポケットへと突っ込みながら二人は色とりどりに散る火花を見つめる。
「あ、花火ちょっとあったけー」
笑いながら花火に手を翳していると、火花が手の平へと飛び散り、あったかいから熱いへと感想が変わる。
「馬鹿だなー」
熱いと騒ぐ竹谷を見ながら食満はケラケラと笑っている。鼻の頭も頬も寒さの為か赤くなっていて、その冷えた鼻先を竹谷は摘まんだ。
「冷たいっすね」
「当たり前だろ」
何を言ってるんだ、と食満が告げようとした時、竹谷が顔を近付け、そしてそのまま唇を重ねた。冷えているので触れた感覚はあまりなく、そっと離れた竹谷の腹に食満は拳を入れる。
「誰かに見られたらどーすんだよ」
「大丈夫っすよ。もし見られても酔っぱらってたって言えばそんなもんかって思って貰えますよ」
竹谷のその言葉に食満は「そーだなぁ」と笑う。その瞬間二人が思い出したのはある居酒屋のトイレだった。
春の新入生歓迎会で使った居酒屋のトイレは男女別にひとつずつしかなく、便器がひとつしかない癖に異様に広かった。だからうっかり二人で入り、便器がひとつしかないと気付いて互いに譲り合う場面が何度もあった。食満と竹谷もそのようにして二人でトイレに入り、そしてそこで竹谷は強引にキスをしたのだ。
「酔っぱらってて、すんません」
竹谷はそう言い残して食満の返答を待たずにトイレを出ようとし、食満はそんな竹谷の腕を引いて引き留めると同じように強引に竹谷へと口付けた。
「…酔っぱらってて。悪いな」
驚いて目を丸くしている竹谷へと食満はそう言い、竹谷はへなへなとその場に座り込んだ。両手で顔を覆い、俯いていると「竹谷」と食満が竹谷を呼ぶ。顔を上げると好きな人が微笑んでいるのだから堪らない。竹谷は食満の腕を強く引き、もう一度唇を重ねた。トイレのドアを誰かにノックされるまでキスを繰り返していて、それが二人の始まりだったのだ。
「まぁ、酔っぱらってれば、何とでもなるからなぁ」
食満のその言葉に竹谷は「勇気なくてすんませんね!でも、あれが俺の精一杯だったんすよ!」とふてくされたが、食満は「いや、俺も人のこと言えないし」と笑うだけだった。
結ばれた後から知ったことだけれど、この人も結構な時間自分を想っていてくれていたらしい。互いに踏み出せず、ただ先輩後輩という関係の中で時間だけを見送っていたのである。
「…今度、初日の出でも見に行きますか」
竹谷のその言葉に食満は「正月は終わったのに?」と返す。
「今年はまだ日の出見てないんですから初日の出でってことになりますよ」
そう返した竹谷に食満はスン、と鼻を啜りながら黙って頷いた。隣の笑い声も既に聞こえなくなっていて、花火が消えたベランダはあまりにも寒い。一度は止んだ雪がちらつき始めると二人はバケツを片付けてから室内へと戻った。
窓や引き戸を開けて換気をしていた為、室内温度は外気と変わらない。二人は手洗い等を済ませるとすぐにこたつへと潜り込み、食満は腰を下ろすとすぐみかんへと手を伸ばし嬉しそうに皮を剥いていく。そして剥き終わったみかんを竹谷の口元まで運んでくれた。
こたつの中で足を絡め、時折蹴ったりしながら竹谷は深夜番組を見て、食満はみかんを剥くことに集中している。部屋が温まり、だらだらとしたいつもの空気に戻った頃、三つ目のみかんを剥き終わった食満がはっとしたように手を止めた。
「…!こたつは、こたつは片付けるつもりだったのに!」
悔しそうに倒れ込む食満を「まぁまぁ」と宥め、その黒い髪を撫でる。
「こいつの所為でだらけた生活になるんだ、分かってるから片付けようと思ったのに!」
「冬終わったらどうせ片付けるんすから。だからそれまでは許してあげましょうよ」
裸に剥かれてしまったみかんを食満の口元へと運ぶと食満は素直に口を開いて言葉を止める。まるで雛に餌をやる鳥の気持ちになっていると、食満が竹谷の袖を引いた。
「ん?」
「ん」
顔を寄せる仕草を見せる食満が求めているものに気付くと竹谷はみかんを皮の上に戻し、床へと手を付くと食満の方へと顔を寄せ、口付ける。
「…すっぱいです」
「今のみかん外れだったからな」
悪戯っ子のように目を細めて笑う食満がとても愛しく思え、竹谷はもう一度深く口付ける。竹谷が満足して唇を離すとどこかぼんやりとした瞳で食満が竹谷を見つめている。
「…幸せだから許す」
「…なにをですか?」
「こたつ」
食満のその答えに竹谷はくすりと笑い、「許してやってください」と食満の頬をゆるりと撫でた。
おわり
(2013/01/24)
いつも仲良くしてくれるまるがりさんへ。
お誕生日おめでとうございます!
本当に久しぶりに竹谷と食満くんを書いたので、おっかなびっくりだったんですが、ちゃんと竹食満になってれば幸いです。