初恋の末路
竹谷に好きだと言われた時の驚きを留三郎は未だに忘れられない。
それを何故かと言われれば留三郎はあまりうまく説明出来ないが、一言で言うとすれば人種が違うと思っていた。
別に仲が悪かったわけじゃない。留三郎が用具委員会の委員長だから生物委員会委員長代理の竹谷から飼育小屋や虫籠の修繕を頼まれる事は多かったし、会えば談笑くらいするし、一緒に茶を飲む間柄でもあった。それでも、そんな風に過ごせても留三郎は竹谷と自分とでは根本的なところが違うのだと思っていたのだ。
太陽が似合う人間、と言えば六年ろ組の七松小平太が真っ先に上がるだろう。が、それに次いで名前が挙がるのは間違いなく竹谷だと留三郎は思っている。
彼は虫や動物が好きで、いや、好きと言うには少々語弊があるけれど、ともかく一度飼った動物の面倒は何があっても見ると断言しているから授業以外は大抵日の下にいた。飼っている兎や犬を散歩させたり、虫に餌を上げたり、蛇が冬眠する時には冬眠場所まで探したりと、ともかく虫や動物にかまけて太陽の下を走り回っていた。それに比べて留三郎はというと、授業や委員会の合間に薄暗い用具倉庫で誰かと密会をしたり、体を重ねたりしていた。そんな風に過ごしてきたから太陽の下で過ごす竹谷は自分とは全く違う人種なんだと今までずっと思っていたのだ。
だからそんな竹谷が顔を朱色に染めて留三郎を呼び止めた時はただ単に熱中症なんじゃないかという心配をした。同室が保健委員会委員長の善法寺伊作だった為、留三郎は他の生徒と比べると少しだけ医学の知識が多かったのだ。だから自分を呼び止めた竹谷に保健室に行った方がいいという助言をした。けれど竹谷は助言をしただけで立ち去ろうとした留三郎の手を掴んで引き留めて「話があるんです」と真剣な声で言ったのだ。
体温が低めな留三郎からすれば竹谷の手は溶けるんじゃないかと思うほど熱かった。季節が春先だった所為もあるのだが、やっぱり熱があるんじゃと疑わせるくらい熱いその手で竹谷は留三郎を引き寄せた。
「食満先輩、あの、その」
引き留めた割には本題に中々入らない竹谷を留三郎はじっと待っていた。何を言い出すのかが予想出来ないので待つ以外どうしようもなかったのだ。竹谷は留三郎を引き留めてから数分の間はずっと「あの、その」ばかり繰り返していた。けれど留三郎がそれに飽きて視線を空へと移した時に突然「好きです」と告げた。
竹谷の唐突な告白に留三郎はびっくりして目を見開くくらいしか出来なかった。冗談かとも考えてみたが目の前の竹谷は湯気が出そうなくらい顔を赤くしてじっと留三郎を見つめている。見られているこっちが恥ずかしくなるくらい気持ちを一切隠さない視線に留三郎は慌てて俯いた。しばらくしてちらりと視線を上げても竹谷は数日ぶりの青空なんかを一切見ず、留三郎にだけ視線を向けていた。
その後自分が何と言ったのかを留三郎は良く覚えていない。耳元で囁かれる言葉には慣れていた筈なのに、こんな青空の下で同じことを言われるとどうしてこうも違うのか、動揺しながらそんな事を思っていた。
自分がどう言ったのかを留三郎は良く覚えていなかったが、断りはしなかったようだった。今から推測すると、その時から期間限定でのお付き合いを始めたのだと思う。それからの記憶はやたらというか、ほぼ竹谷で埋め尽くされているから間違ってはないだろう。
『恋人ごっこ』を始めると竹谷は良く留三郎を連れ出した。近くの町に美味しい甘味屋が出来たとか、とても綺麗な風景が見れる場所を見つけたとか。とにかく学園から留三郎を連れ出してはただその隣で楽しそうにしていた。恋仲といえばすることは一つしかないと思っていただけに留三郎はそんな竹谷がとても変わっているように思えた。恋仲の相手の手を握るだけで満足という竹谷の事をいまいち理解出来ず、心の底で少し疑ってさえいた。だから竹谷が授業以外の経験がないと知った時は納得した。きっと経験があまりない事が恥ずかしかったから仕掛けてこなかったのだと思ったのだ。
初めての時、竹谷は何度か「やっぱり止めましょう」と言ってきたが、股間は反応していたので留三郎はただの強がりだと思い、そのまま押し倒した。狼狽える様子が新鮮で留三郎が口付けを落とすと大人しくなる様も可愛く思えた。そして辿々しい舌の動きも、手の置き場に困っている様子も全てが初々しく見えて好感を覚える。
「先輩、あの、俺が入れたいです」
様子を窺いながらそう言ってきた竹谷に留三郎は暫く逡巡したが、竹谷のやりたい方をさせてやろうと竹谷の上から退いた。するとさっきまで大人しかった竹谷が乱暴な手つきで留三郎を床へと押し倒す。驚いて声も出ず、圧し掛かる竹谷の重みに留三郎は胸が高鳴るのを感じていた。
「好きです」
竹谷はその言葉を何度も告げる。口付けの合間に愛撫の合間にその言葉を落として行った。竹谷の声とその言葉の音は耳に気持ち良くて、留三郎は返事をしたりはせず、ただただその音を聞いていた。
次にどうしたらいいか分からず留三郎の顔を窺う竹谷の困ったような表情。時に欲望が強く表われる瞳。覚束ない手つきでの愛撫。どれもこれも留三郎は良く覚えている。そして何度も告げられた言葉も声も良く覚えていて、時々思い返しては今も少しだけ苦しくなる。そんな資格なんてないと思いながらも、未だに胸の辺りが苦しくなるのだ。
最後は多分呆気なかった。
卒業するまでという条件だったから約束通りに卒業と同時に竹谷とは離れた。言い出したのは留三郎自身だったが、最後の夜に留三郎を縛っては何処にも行かせたくないと言って泣いた竹谷に少し後ろ髪を引かれた。それでも進みたい道があり、そこに行くには自分以外の全てを振り切らなければならなかった。だから結局、留三郎は自分の夢を掴む為にあんなに泣いて縋り、自分だけだと言った竹谷の純情を踏みにじったのだ。
あの時、竹谷はどう思ったのだろうか。
置いてきた竹谷の事を留三郎が考え始めたのは二人の道が別れて数年経った頃だった。仕事にも慣れ、ある程度落ち着いてようやく過去を振り返るようになった頃、真っ先に思い浮かんだのがあの夜の竹谷だったのだ。
今ならば、本当に悪い事をしたと思う。あんなに恋情を傾けてくれた相手を何も考えず随分と無下にしてしまったと思う。けれどあの当時は竹谷がどんなに自分を想ってくれていたのかという事にまで気が回らなかった。ただひたすら、忍びになる為にがむしゃらでその事しか考えられなかった。だから別れて数年経ち、少し余裕が出来て落ち着いた今、今更ながら竹谷の気持ちが留三郎に届いたのだ。
竹谷はどうしているのだろうか。
仕事の合間、留三郎はそんな事を時々考える。その事を考えている間、恋しいわけではないが少しだけ胸が苦しくなる。その苦しさを留三郎は罪悪感だと思っていた。
*:*:*
仕事で母校である忍術学園に赴いた時、入門表にサインをして門を潜ったところを「食満先輩?」と疑問形で呼び止められた。振り返ると出門表にサインしていた人物が笠を片手で上げてこちらを見ている。
「やっぱり、食満先輩だ」
そう言った男は笠を外し、「お久しぶりです」と頭を下げる。他に類を見ないくらい傷んでぼさぼさな髪と屈託のない笑顔。驚いて声もなく佇んでいる留三郎に男は「竹谷八左ヱ門です」と名乗った。以前より低くなった声。以前より高くなった身長。以前より広くなった肩幅。そして変わらない笑顔。目の前にいるのが誰か分かっているのにそれを認めるのに時間がかかる。
問い掛けに応えずにただ立ち止まったままの留三郎に竹谷は少し寂しげな顔をした。いつかの別れの時のようなその表情に留三郎は思わず「あ、」と声を出していた。
「…忘れちゃいましたか?」
「ま、まさか!」
留三郎が否定すると竹谷は少しほっとしたように苦笑し、無精髭を指先で擦る。
「十年とまではいかないが、それくらいか」
「八年ですよ、先輩ってたまに大雑把ですよね」
豪快に笑った竹谷は「今から用事ですか?」と学園の方へと視線を向けた。
「あ、あぁ」
「俺は今から帰るところだったんですけど、もしそんなに長引かないなら久しぶりに少し話でもどうですか?」
竹谷は少し目を伏せ、窺うようにちらりと留三郎へと視線をやる。視線が以前よりも鋭く、そしてあの時よりも熱を秘めている気がした。それなのにさり気なく、こちらを見ていない事務員の小松田は気付かない。
「…報告だけだからすぐに終わる」
「じゃあ、ここから先にある町の宿屋で待ってます」
竹谷の最後の言葉は声ではなく矢羽音で、相変わらず学園の事務をしている小松田は何にも気付かなかった。のほほんとした顔で去って行く竹谷を見送る彼は、竹谷が先ほど見せた視線にも何にも気付かなかったのだろう。
「食満君?行かなくていいんですか?」
小松田のその声に留三郎ははっと我に返り、学園長の庵へと急いだ。
学園長の庵で短い報告をして仕事は終わった。時間にすれば半時もなかった。それなのに空はもう赤く染まり、そして西の空には夜が近付いている。時期に暗い夜が来る。
「久しぶりに泊まって行け」と何人かの先生が声を掛けてくれたが、留三郎は先を急いでいるからと断って竹谷が待っている宿屋へと急いだ。
学園から一番近い町の一番端にある宿の前で留三郎少し足を止めた。店の看板を見上げている留三郎は戸惑いの表情を浮かべている。それには理由があった。
ここは昔、竹谷と『恋人ごっこ』をしている時に来たことがある宿で、初めて体を繋げた思い出深い場所でもあるのだ。
店は年月に逆らえず古くなってはいたが、それでもほとんど当時のままだ。そしてあまりにも変わっていないものだから足が止まってしまった。二人で人目を盗んでこの宿の戸を開けた時に竹谷の手が震えていた事が突然蘇って、すぐ隣を幾らか幼い二人が通ったような気さえした。
懐かしさに動けずにいる留三郎のすぐ後ろを人が通り、はっと我に返るといつの間にか闇が更に深く落ちていた。そして当たり前だが、幼い自分たちは消えていた。
これ以上竹谷を待たせる訳にはいかないと留三郎は宿の二階へと静かに上がった。すると誰もいない部屋で竹谷が酒を飲みながら留三郎を待っていた。
「存外に早かったですね」
「すぐ終わると言ったろう?」
留三郎が笠を脱ぎ、それを床へと置くとその動作を見ていた竹谷が少しだけ嬉しそうに目を細める。目を細めて酒を煽るその一連の動作が色っぽく、留三郎は慌てて目を逸らし、何でもないという風な顔をした。
竹谷は自分の隣へと留三郎を呼び、お猪口を手渡す。それには甘い香りのする透明な酒が入っていた。「再会の記念に」と器を軽くぶつけて竹谷は一気にそれを煽る。それに少し遅れて留三郎も同じように酒を煽った。
仄かに甘さの残る酒は竹谷の手土産らしく、かなり上等な品だった。飲みやすく、そして後味もいい。酒を褒めると竹谷は自分が褒められたかのように嬉しそうにして、昔のような笑みを見せる。それに留三郎はほっとしてようやく笑みを浮かべた。
酒を飲みながら二人は学園にいたみんなの近況話などに花を咲かせる。話は尽きそうにもないが、ずっと続けるつもりが互いにない事は分かっていた。話の合間に留三郎の長く伸びた髪へと竹谷が指先で触れる。けれどそれに気付かぬ振りをして留三郎は話を続けた。
学園にいた時から竹谷は体格が大きい部類ではあったが、それでもこんなに逞しくなるとは思っていなかった。自分のものと比べると太い首や手首に骨が違うのかと今更納得する。大人びた表情や笑い方、仕草をするようになったが、無精髭を除けば顔はあんまり変わっていない。留三郎がそんな風に考えながら見つめていると視線が交わる。ぶつかった視線が熱を孕んだような気がしたので留三郎はそれとなく視線を逸らし、逸らした先にあったお猪口へと手を伸ばした。酒が並々と入ったそれを持ち上げて飲み干し、空になったそれを戻そうとした留三郎の手を竹谷の手が止める。
お猪口は大きすぎる手に奪われ、少し離れた場所へと置かれた。それを視線で辿っていると竹谷がぐっと顔を近づけ、視界へと無理やりに入ってくる。そして留三郎の長く伸びた髪へと触れ、一度だけちゅっと口付けた。留三郎が竹谷の名を呼ぼうと唇を開くと、竹谷は最後まで呼ばせてはくれず、唇で塞いだ。
触れるだけの唇が一度離れ、そして至近距離で視線が合う。一度だけ優しげに目を細められたが、次の瞬間にはもう一度口付けられ、そして床へと押し倒されていた。
唇の隙間から厚い舌が入り込み、留三郎の舌へと絡み付く。逃げようとしても追ってくる舌に留三郎は根負けしていつの間にか応えていた。
さすがに何度も深く口づけていると息が苦しくなる。まだ平気そうな竹谷に対して、もう余裕がない留三郎が少しだけ離れようとすると竹谷がすぐに気付いて唇を離した。竹谷はまだ余裕があるらしく、必死に呼吸する留三郎の髪を掻き上げ、「綺麗になりましたね」と微笑んだりした。その言葉に対して留三郎は何か言おうとしたが、結局酸素を吸うので精一杯でただ涙目で見上げるしか出来なかった。
竹谷は留三郎がぐったりとただ呼吸している間に首筋へと唇を落とし、そしていつの間にか腰紐を解いていた。口付けを幾度となく繰り返しながら竹谷の手は留三郎の服を剥ぎ取り、体の隅々を確かめるように触れた。それから秘孔へと油を塗りつけ、油に濡れた指が一本挿入される。指が増やされるのには時間はかからなかった。三本目にもなると上からも下からも水音が聞こえ、留三郎の耳を犯していく。
竹谷の手は躊躇うことなく、まるで零れ落ちる水のように次から次へと正しく動く。それらは留三郎が知っている以前の辿々しい手付きではなかった。確実に快楽を与えるように的確に動くその指先が竹谷のものだなんて留三郎は未だ信じられない。
竹谷の舌が胸へと降りてきた時には留三郎の素直すぎる反応に竹谷が満足そうな笑みを浮かべた。
「昔から首筋とか胸、弱かったですよね」
既に硬くなった乳首へと舌を這わせ、時折歯を立てる。それだけで留三郎は声が抑えられず、体をびくっと跳ねさせては竹谷の指を締め付けた。
「気持ち良さそう、」
竹谷はそう言って笑い、すっかり勃ち上がって先走りで濡れた留三郎のものへと手を這わせる。前と後ろを同時に責められ、留三郎の体に電流のように快感が走って声を抑えられなかった。
「あ、たけ、あぁっ」
何度か指で攻め立てられただけで留三郎は甲高い声を上げて達してしまい、竹谷の手は白濁で汚れる。そしてそれを竹谷はまじまじと見て「早かったですね」と汚れた手を近くにあった手拭いで拭った。
記憶の中の竹谷はいつでも切羽詰っていて、何をするにも辿々しく、口付さえも啄ばむようだった。何度も体を重ねたものの結局最後まで竹谷の手つきは拙く、そしてそんな竹谷が留三郎は好きだった。けれど今目の前にいる竹谷はもう以前とは全く違う。覚束なかった手付きもなく、辿々しい口付けもなく、そして「好きです」という言葉すらない。八年も経っているのだから変わっていて当たり前なのに留三郎は動揺せずには居られなかった。八年も経っているのに、変わっていて当たり前なのに、心の何処かで竹谷があの頃のまま変わらずにずっと想ってくれている事を望んでいた。そんな自分の浅ましい願いにようやく気付いたのだ。そしてその惨めとも思える願いは叶わない。
「食満先輩?どうしました?」
そう言いながらも竹谷は留三郎の首筋へと歯を立て、硬くなって敏感になっている胸へと爪を立てる。すると留三郎の体がびくりと大袈裟に震えて竹谷の指を締め付けた。それを楽しむようにしていた竹谷は唐突に指を引き抜く。
「あぁっ…たけ、や?」
ぎゅうと瞑っていた目を開いて涙でぼやけた視界で竹谷を探すと竹谷は腰紐を外して前を寛げていた。以前見た時よりもずっと大きいものに留三郎は目を見開く。
「たけ、んっ…ふぁっ」
気を逸らせる為か、竹谷はもう一度口付けながら留三郎の中へと己のものを埋め始めていく。そして全部が埋まると留三郎の胸へと舌を這わせながら腰を動かし始めた。
弱い部分はもう知られていて、そこばかりを竹谷は責める。留三郎は声を抑える事すら出来ず、竹谷の背中へと縋りついては喘ぐしかない。留三郎は暫くすると竹谷のものを締め付け、甘い悲鳴を上げて達する。そしてすぐに竹谷も留三郎の腹の上に白濁を吐き出した。
何度も体を重ねてきたが、竹谷は一度だって留三郎の中に出したことはない。今、留三郎の中ではなく腹の上に出した事で目の前のこの男が本当にあの頃の竹谷なんだと留三郎は認めなければいけなかった。そしてその事実にどうしようなく泣き出しくて堪らない。
竹谷は呼吸を整えると留三郎の汚れた腹の上を手拭いで拭いてくれた。そしてまだ横たわっている留三郎の髪を一度撫で、そして背を向けて酒を手に取った。
昔は頼りなく思えた背中も今では随分と逞しい。その背中に今の自分のように何人の女が甘えて泣いたのだろうか。それを考えると留三郎の胸は軋むように傷む。そしてそれは決して罪悪感などではない。それくらい留三郎だって気付いていた。
「…食満先輩?」
黙り込んでいる留三郎の様子が心配だったのか、竹谷が留三郎の顔を覗き込む。留三郎はそれに顔を顰めて竹谷へと背を向けた。
「…もうお前とはしない」
少し掠れた留三郎のその言葉に竹谷は驚いたように目を丸めたが、すぐに普段の表情に戻って甘い声で留三郎を呼ぶ。
「そんな事言わないでくださいよ。俺は会えて嬉しかったんですから。ね?怒らないで」
機嫌を取るように留三郎の髪を一束優しく手に取り、ちゅっと口付けを落として微笑む目の前の男に留三郎はちらりと視線をやった。視線が合うと竹谷はもう一度甘い声で留三郎を呼ぶ。そしてようやく顔を向けてくれた留三郎にお猪口を手渡しながら「水、どうですか?」と言った。留三郎は体を起こし、無言のままお猪口を受け取るとそれを一気に飲み干した。そして咽返る。
「…これ、酒じゃねぇか!」
留三郎が悪態を吐くと竹谷は苦笑しながら「というか、気付いてくださいよ」と言う。忍者なんだから、と言外に言われたような気がして留三郎は一気に血の気が引いた。さあああと川の水のように血が引いていく。急に部屋に気温が下がった気さえした。
竹谷はそんな留三郎に気付かない。留三郎の手からお猪口を奪うとそれを床の上に置き、そのまままた押し倒す。
「そもそも俺達の職業柄、そんなに会えるわけでもないでしょう」
竹谷の少し呆れたような声に留三郎はもう何も言えなかった。
口付けを繰り返しながら留三郎はどうして色が三禁のひとつなのかを思い返して、そして真に理解した。人は心を許した相手の事はどうしたって無意識に信じてしまう。竹谷が水だと言うから留三郎は先ほど、手渡されたものが酒なのか毒なのか疑いもしなかった。それが毒でもきっと飲み干してしまっただろう。そして多分、そんな最期になったとしても竹谷を恨めもしないのだと思う。
「…あ、たけ、やぁっ」
すっかり萎えた中心を熱い掌で握り込まれ、擦られるとまた熱が上がってくる。竹谷の太くなった首へと腕を回し、留三郎は与えられる感覚に身を委ねて涙を零す。その涙の意味が分からない竹谷は「そんなにいいんですか?」と笑って涙を舌で掬っていた。
気が乗らない留三郎を宥めすかし、甘やかすようにしながら竹谷はもう一度留三郎の中へと自身を埋めていった。そして何度も強く腰を打ち付け、最後にはやっぱり留三郎の腹の上へと精を吐き出す。竹谷が達する間に留三郎は二度程絶頂を迎え、竹谷が達すると同時に意識を手放していた。
*:*:*
衣擦れの音に意識が浮上し、重たい瞼を開くと着替えている竹谷の後姿が目に入った。音を立てないように、静かに準備するその背中が遠い。
「あ、起こしてしまいましたか?」
留三郎が起きたことに竹谷が気付いて振り返る。そして目が合うと「起こしてしまってすみません」と苦笑した。留三郎は返事をしなかったが、竹谷はそれを気にせずゆっくりと近づいてきたかと思うと湯呑をひとつ差し出す。
「水です。喉辛いでしょう。今度は本当に水ですよ」
竹谷の言う通り、掠れていて声が上手く出せない。けれど差し出された水を飲む気にもなれなかった。只々疲れていて、もう何も考えたくない。竹谷の顔も今はもう見たくもない。
「…実は俺、先を急いでてもう出ないといけないんです。宿は昼まで取ってあるので先輩はゆっくりしていっていいですから」
背を向けて帰り支度をする竹谷を留三郎は布団の中からぼんやりと眺めていた。何も考えたくない筈なのに、何人の女がこうやってこの男を見送ったのかと無意識に考えてはひとり辛くなる。自分はもうその中の一人でしかないのだ。
「じゃあ、先輩。また何処かで」
身支度を整え、笠を被った竹谷が戸を開けて振り返る。竹谷が去って行く姿を見たくなくて、留三郎は背を向けた。そしてそれだけじゃなく声も聴きたくないという風に布団を頭まで被り、返事もしなかった。無音で真っ暗な闇の中、深呼吸をしながら硬く目を瞑る。そして瞼の裏に住むまだあどけない竹谷を探した。自分と離れたくないと泣き、好きですと何度も告げたあの頃の竹谷を思い出し、昨夜の事は全てなかったことにしてしまいたかった。そして思い出の中の竹谷だけを道連れに生きていきたい。
顔も見せない留三郎に竹谷は何も言わず、静かに部屋を出る。戸を閉めた時に竹谷は悔しそうに深い溜息を吐いたが、布団を被って昔の面影に縋っている留三郎には何ひとつ届かなかった。
(2012/01/24)
ツイッターで仲良くしてくれてるまるがりちゃんの誕生日にプレゼントで書きました。
食満先輩の遅すぎる初恋がテーマです。
が、誕生日プレゼントとしては果たして大丈夫なんだろうかと不安がいっぱいです…。
でもお祝いの気持ちは一杯だよ…!これからもよろしくお願いします…!!