大食いの吸血鬼






大学の中心にある中央学食の端。窓の向こうには大学が所有する大きな池と橋、そして木々の緑が広がり、特等席ともいえるその席に座っている学生二人組の方から「僕はミイラ男かな」「俺はドラキュラだな」と聞こえてくる。彼等が先ほど取っていた授業の合間に教授が話してくれた欧米で経験した心霊現象の話から実際に会ってみたい想像上の生き物の話になったのだ。楽しげにワイワイと話をしている彼等の傍を通り過ぎようとしていた学生がふと足を止め、そして「食満さん、吸血鬼に会いたいんですか?」と二人組の内の一人を名指した。

「え、会ってみたいなーとは思う」
「へぇー…じゃあ今度紹介しますよ」
「え、何を」
「吸血鬼です」
「…え」
「この流れで吸血鬼以外な訳ないじゃないっすか。じゃあ俺次授業なんで」

爽やかに去って行った学生の背中をぽかんと狐に化かされたような顔で見つめながら「おお」と返事をしたのは食満留三郎である。長めの黒い前髪がうどんを食べるのに邪魔でピンで前髪を上げている。あまり日に晒されることのない額には暑さの為か汗の玉が浮かんでいた。

「…三郎って帰国子女とかだっけ?」

名指しされてしまった留三郎は目の前に座って同じくうどんを食べている友人 ― 善法寺伊作にそう尋ねてみたが、伊作も「さぁ」と肩を竦めるだけだった。
留三郎と伊作は同じ学年であるが、先ほど立ち去って行ったのは一つ下の学年の鉢屋三郎であった。学部も学年も違う三郎と二人がどうして面識があるかというと共通の授業を幾つか取っていた為、知り合ったのだ。
留三郎は大学一年の時にバイトに励み過ぎた所為で単位が壊滅的になり、また、伊作は試験の度にインフルエンザや事故やらで試験を受けられず、代替のレポートを出して貰えた授業は拾えたものの拾えなかった単位も多かった。二人がこの春に選択して受けている授業のほとんどが一年生用の授業なのに対し、二人だけは学年が違っていた為、親近感が芽生えてすぐに友達になったのだ。そして学年が違うので少し浮いていた二人に興味を持って話しかけて来てくれた唯一の人物が先ほど声を掛けてきた三郎だった。それからというものの三人は食堂で会えば一緒に飯を食うし、帰りが一緒になれば適当にぶらぶらするまでの仲になったのだ。

「…三郎って真顔で変なこと言う時あるよなぁ」
「食えない奴だよね」
「年下だけどあいつが何考えてるかはいつまで経ってもわかんねーぜ」

二人は会話をそこで切ると、ずるずるとうどんを啜る。そして一時間後には吸血鬼のことも三郎のことも忘れてソフトクリームに舌鼓を打っていた。





学食で三郎と伊作とそんなやり取りをしたという事をすっかり失念したまま一週間が過ぎ、留三郎が学食で会計していると「食満さん」と名前を呼ばれた。顔を上げるとすぐ近くの席に三郎が座っている。

「おー三郎、お前も今飯か?」
「俺はもう食べ終わったんですけど、コイツがまだらしくて」

三郎が視線を向けたのは三郎の向かいに座っていた学生だった。三郎よりもがっちりした体躯のいい彼は「どうも、竹谷と言います」と物怖じもせずに人懐っこい笑みを向けてくる。

「食満です。三郎の友達?」
「高校から一緒で…あ、食満さん前に吸血鬼に会いたいって言ってましたよね」
「え、言ったっけか?」
「言いましたよ」
「ん…確かにそんな話をしたような…」

留三郎は目を瞑りながら首を少しだけ傾け、遠い記憶を思い出そうとする。けれど割とどうでもいい事であった為、記憶がかなり薄い。

「こいつ吸血鬼なんで、話したらどうですか?」
「え?」
「だから、吸血鬼なんすよ。俺もう行かないといけないんで質問なりなんなりしていいっすから」

三郎はニカッと笑い、鞄を肩にかけてトレイを手に取った。

「え、ちょ、三郎」
「ハチ、食満さんよろしくなー」
「おぉ」

ハチと呼ばれた竹谷が片手を上げたのを合図と見たのか、三郎はまた颯爽と去っていく。留三郎が呼び止めようと声を掛けてもイヤフォンを付けた三郎には聞こえる筈もないし、また、留三郎自身聞こえてない事は分かっていた。

「…座りますか?」

四人席に腰かけているのは竹谷だけで、留三郎は先程まで三郎が座っていた席に腰を下ろした。

「あ、ぶっかけそばも美味しそうっすね」
「夏バテしてて、冷たいの以外欲しくないんだ」
「気温すごく上がってますからね」

留三郎は目の前でにこにこと笑顔を浮かべている竹谷を見つめながら、三郎の言葉を反芻していた。

三郎は竹谷を吸血鬼だと言った。一般に吸血鬼は日に当たると灰になるし、灰にならないにしても夜を好む生き物なはずだ。けれど目の前にいる竹谷は骨が太いらしく手首もしっかりしていてそしてその肌は小麦色だ。その日焼け具合は留三郎と比べると歴然としていた。髪はというと銀に近いくらい色素が抜けているが、その原因は痛みだということが分かるくらいぼさぼさに跳ねている。竹谷の容姿をじっくり観察した留三郎は、三郎の言葉は冗談だと取った。竹谷はあまりにも吸血鬼離れした容貌で、どちらかというと留三郎の方が吸血鬼っぽく思えるほどだ。そして致命的なのは彼の前に並べられた数々の皿だった。

「…これ、全部食べるのか?」

留三郎が思わず尋ねたのは、竹谷の前に並べられている食べ物の量があまりにも多いからだ。サラダが二種類に冷や奴が二つ。エビチリと酢豚とトンカツ、野菜炒めにハンバーグ、白身魚の天ぷら、そして豚丼まであり、ご飯は大盛りが二つ、味噌汁とトン汁がひとつずつ、そしてデザートにカットパインが二皿、チョコレートのケーキとヨーグルトが並んでいる。

「…大食いなもんで」

竹谷は気まずそうにそう笑ったが、それが最も吸血鬼離れしている要因だった。そして目の前で竹谷はとても美味しそうに食べる。留三郎があまり好きではない酢豚のパインまで美味しそうに見えるくらいなので留三郎は思わず見入ってしまっていた。

「あ、食満さんはもう食べ終わったんですか、付き合わせてごめんなさい」

付き合わせたというよりは、食満が勝手に見ていただけなのだが竹谷は律儀にぺこりと頭を下げる。

「美味そうに食うな」
「実際に美味しいですから」

確かにこの大学の学食は評価が高い。オリジナルメニューのどれもが美味しくてわざわざ他の大学からも生徒が流れて来るほどだ。

「竹谷の食べっぷり見てると夏バテしてるのがもったいなくなるなぁ。そんなに食って腹一杯にならないのか?」

留三郎はコップに入っている氷をシャリシャリと食べながらそう尋ねる。すると思いもしない返事が返ってきた。

「…満腹っていう概念がどうもなくて、割と大丈夫なんですよね」
「…え、腹一杯になんないの?これだけ食べても?」

目の前には竹谷が食べつくした皿が幾つも積み重ねられている。通り過ぎる学生達も竹谷の食べっぷりへと視線を向けずにはいられない程、その皿の塔は高く積み上がっている。

「ならないっすねー…とりあえず、金額で決めて食べてるんで。学食だと安くていいっすよね」

確かに学生が多く利用するという事もあって懐に優しい金額設定ではあるが、これだけの量を食べると鳴るとさすがに結構かかるのでは、と留三郎は思ったが口にはしなかった。

「…満腹が分からないっていうのは、満腹中枢とかの問題なんだっけか…」

いつも一緒にいる伊作が医学部ということもあって留三郎自身そういう知識に少しだけ強くなっていた。けれど留三郎の言葉を竹谷は笑顔で否定する。

「俺の一族は大体こうですよ。まぁ、血を飲むと満腹になるっておじさんが言ってたけどうちの家では禁止されているから飲む人はいないですね」
「…え、竹谷ってほんとに吸血鬼、なのか」
「まぁ、正確には末裔に当たるって言うだけなんですけどね。大分薄まってるので昼間も活動できるし…あ、でも俺以外の家族はかなり夜行性ですね」

思い出しながら語る竹谷の話に留三郎は口の中に残っていた氷を全部飲み込んで前のめりになって竹谷を見つめる。

「…吸血鬼…でも見えないよなぁ」
「よく言われます。日に焼けてるのも原因なんでしょうね。でも俺海洋研究してるんでどうしても日に焼けるんですよねぇ」

うーんと悩む様子を見せる竹谷の姿を留三郎はまじまじと見直す。頭から今見える腰辺りまでじっくりと見てみたが、どうみても健康的な人間そのものだ。

「…歯は?」
「あ、ありますよ」

そう言って竹谷が見せたのは鋭くなっている犬歯のような歯だった。

「…すげー尖ってる」
「良く言われます」

竹谷はそう言ってあははと笑う。歯を見ると吸血鬼かもしれないと思うものの、笑う姿を見るといや、それはないと思い直す。竹谷は留三郎以上に健康的な青年に見えるので仕方がなかった。

「…血は吸わないんだ?」
「ダメって言われてるんですよね。俺の親も爺ちゃん婆ちゃんからダメだって言われてたみたいだし、爺ちゃん婆ちゃんもまた上からダメだって言われてたって」
「へぇ…」
「まぁ、たまに言い付け破る人も出るんですけど、そう言う人は大抵ちょっと危ない感じになるのでそういう姿見ると誰も家訓を破ろうとはしないです」
「…へぇ」

竹谷は全ての事をさらさらと話す。それらにはどうやら嘘などはなさそうだった。かと言ってすぐに信じられる筈もない。

「…何か、頭が痛くなってきた」
「皆そう言います」

竹谷は笑うと最後に残ったヨーグルトをぺろりと平らげた。そして手を合わせて「ごちそうさま」と満足そうに言う。もし人間を襲ったとしても、きっとこうやって最後にはちゃんと手を合わせるんだろうかと思うと何とも可笑しく思えて思わず留三郎は笑ってしまった。

「どうしました?」
「いや、お前面白いなーって」
「そうですか?」
「また会う事あったら、よろしく」

竹谷の多すぎる皿を自分のトレイにも乗せながら留三郎は竹谷へと笑みを向ける。

「こちらこそ」

竹谷は嬉しそうに笑い、帰り際に留三郎へとチョコレートをひとつ渡してくれた。



*:*:*



初めて顔を合わせたその日から二日ほど経った日、また二人は学食で顔を合わせた。

「…海洋系だったよな」
「そうです」
「…東の食堂のが近いんじゃないか?中央の授業でも取ってたのか?」

留三郎がそう思うのも無理はないことで竹谷の学科は大学構内でもかなり端にあり、留三郎の学科がある中央からは徒歩でも二十分程かかるのだ。その為、海洋や理学系の学生の為に東にも食堂がある筈なのだが、何故か竹谷はこうして中央の食堂に現われた。

「こっちのがメニュー多いし、それに」

言葉を止めた竹谷は少し照れたように笑いながら「食満さんいるかなーって思って来てみたんです」とさらりと告げる。そしてその言葉に留三郎は「昼過ぎは大体こっちにいるよ。クーラーもあるし、席空き出すからな」と竹谷に歩み寄った。

「この前ちょうど正午に来た時、混み具合にびっくりしましたよ」
「だろー。あ、あっちの席にしようぜ」

二人は並んで歩き、四人掛けの席へと鞄を置く。

「竹谷先に買って来ていいぞ。俺鞄見てるよ」
「…じゃあお願いします」

そう言ってぺこりと頭を下げた竹谷はすぐに人混みに紛れて見えなくなった。竹谷の鞄を見つめながら、留三郎は先ほど竹谷が告げた言葉を思い返す。真っすぐ過ぎる言葉をどう捉えたらいいのかが分からない。

「食満さん」

そう声を掛けてきた竹谷はトレイを二つ手にして戻って来て、「もう少し待っていてください」と言い残すと更に二つのトレイを手にして戻ってきた。そう言えばこいつはあり得ない量を食べるんだったと思い出した留三郎が「まだあるのか?」と尋ねると「今日はこれだけです」と腰を下ろす。そして「食満さん、行ってきていいですよ」と言ってくれた。食満は財布だけを鞄から取り出すと「先食べてていいからな」と言い残して席を立った。

ガラスケースに貼られている今日のメニューを見つめ、何にしようか悩みながら結局冷たいメニューであるネギトロ丼を選んだ。会計を済ませて席に戻ると先に食べていいと言ったのにも関わらず、竹谷は食べないで待っていた。

「先食べていいって言ったのに」
「食満さんと一緒が良かったんで」
「…そうか?」
「はい」
「じゃあ、いただきます」
「いただきます」

手を合わせ、それから竹谷はひたすらに手を動かしては食べ物を口に入れる。ガツガツという風ではなく、丁寧に食べているのにあっという間に皿の中身が減っていくのは一口の量が多いからなのだろうか。
留三郎がネギトロ丼を食べ終え、デザートにソフトクリームを食べている間で竹谷はほとんどのものを完食していた。

「すいません、遅いですよね」

ソフトクリームを食べ終えた留三郎がじっと見ているのに気付いた竹谷がぺこぺこと頭を下げると「いや、早いよ」と返ってきた。

「全体の量が多いから遅いだろうけど、一個一個食べるのはすごく早いと思う」
「そう、っすか」
「うん。見てて楽しい」

何が楽しいのかは分からないが、留三郎はそう言って竹谷が食べ終わるまで竹谷が食べる様子を黙って見ていた。

長い昼食が終わり、二人は学食を出てぶらりと大学構内を歩き始めた。何となく図書館の方へ向かってはいるものの何処に行くのかは話していない。

「竹谷は実家に住んでんの?」
「いや、寮です」
「へぇー」
「食満さんは?」
「俺、一人暮らし」
「いいっすね!寮は騒がしくて楽しいけど一人暮らしも憧れます」
「じゃあさ、今度俺の部屋で飲もうぜ」

唐突に思える留三郎の誘いに竹谷は足が止まった。わざわざ大学の端から中央へと出てくるくらいには留三郎のことが気になっていてお近づきになりたいとは思っているが、こんなにとんとん拍子だと少し怖い。

「居酒屋より安くつくだろ?飯は俺が作ってやるし」

足を止めた竹谷に気付いて留三郎は足を止めて振り返った。視線の先では竹谷がまだ戸惑うようにしていた。
普通の男同士で飲みに行くことにこんなに躊躇うことはない。竹谷の反応に留三郎は少し考えながら返事を待っていた。

「…でも俺かなり食いますよ」
「知ってる知ってる」

そう言って留三郎は笑う。「材料費は俺が出します」と答えながら歩み寄ってきた、自分よりも高い位置にあるその顔を少し見上げながら留三郎は「じゃあ酒は俺が用意するよ」と返事をする。

まだ初めて会ってから数回しか顔を合わせていないのに、留三郎は既に飲み会が待ち遠しくて仕方がなかった。







(2011/11/06)
ハロウインに間に合わせたかったけど間に合わなかった話です。