病は気から恋は過ちから?
竹谷が夢にうなされている頃、食満がようやくバイト先から帰ってきた。今日に限って客は多いわ、昼勤の奴が休むわでクタクタに疲れてて、今すぐにでも眠りたいということばかり考えていた。体調が悪かったからこそこれほど疲れているということまでは思考が及ばずに、食満は「ただいま」と疲れた声を掛けながら寮へと帰って来たのである。
「あ、先輩おかえりなさい」
入れ違いで外に出るらしい滝夜叉丸が会釈をして、食満は片手をあげて合図をした。
「おー、バイトか?」
「はい」
「家庭教師だっけ?頑張れよー」
靴を履いている滝夜叉丸の肩を叩きながら玄関へと上ると滝夜叉丸が引きとめた。
「そういえば、竹谷先輩がお土産持ってきてましたよ?」
「あ、そう」
「はい。ハーゲンダッツをさっき喜八郎が無断で食べようとしてたので止めておきました」
「サンキュ」
「いえ、では」
「おー、働いてこいよ」
玄関から出て行く滝夜叉丸へと食満は軽く手を振って階段を上る。2階へと上ると応接間で仙蔵が横になりながらテレビを見ていた。
「…仙蔵、お前の部屋3階だろ?3階でテレビ見ろよ」
「ふん、何処で見たっていいだろう」
「2階の奴らがテレビを見たくなったら変わってやれよー」
「大丈夫だ。文次郎たちは3階に行ったぞ」
「それは、お前が追い出したんだろーが」
溜め息を吐きながら冷蔵庫が置かれている共同キッチンへと向かうと食満の背中に仙蔵が「あ、」と声を掛けた。
「んー、なんだよ」
薄汚れたでかいだけの冷蔵庫を開けると一番はじめに3つ重ねられているプリンが目に入った。しかもそれは全部「食満先輩へ」と丁寧にマジックで書かれているのだ。そういえば滝夜叉丸が何か言っていたなと思い出し、冷凍庫も開けてみるとハーゲンダッツのクリスピーサンドの箱に「食満先輩へ」とでかでかと描かれている。それを見て食満は暫く悩んだけれど結局俺が食べていいってことだろう?とその箱を手に取った。キッチンを出て応接間まで行くと、仙蔵が食満の手に持っている箱を指差した。
「そ、それ。喜八郎が食べようとしてた」
「あー、滝夜叉丸から聞いた」
箱を開封しながら仙蔵の近くにあるゴミ箱へと投げ入れる。
「ハーゲンダッツとかお前には似合わないな」
「まぁ、普段食わないし」
そう言いながら食満は一口齧る。
「…うめぇ」
「そりゃ、ハーゲンダッツだしな」
「アイスってこんなうまかったか?」
「金さえ出せばなんだって美味いの食えるだろ」
「へぇー」
ゴミ箱へ捨てた箱を拾い上げて箱に描かれている文字を読んでいると仙蔵が身を乗り出して食満の手から箱を奪った。
「あ、これ新商品だな」
「へぇ」
「お前、竹谷と喧嘩でもしたのか?」
仙蔵のその言葉に食満は一瞬固まってしまった。
「え、いや?」
仙蔵の言葉に首を振る。仲が悪くなるような事をした覚えはなく、どちらかと言えば、その逆のことを、多分した。食満が多分と思うのは、記憶があまり残ってないからだ。ただ、食満の部屋で全裸で並んで寝ていた事実と、体の痛み、特に普段なら絶対痛くならないような箇所の痛み、更に言えばシーツは精液でべたべただったし、竹谷は全裸で正座して震えていた。これらから導き出せることは、やっぱり昨夜竹谷とヤっちまったんだろうということだけだった。
「さっきお前の部屋の前で竹谷謝っていたぞ」
「だから、喧嘩してねぇって」
アイスを最後まで食べおえてから食満は腰を上げて自分の部屋へと進んだ。
「おい、三郎、起きろ」
開けたドアを軽くノックして自分のベッドで横になっている三郎へと声を掛けると三郎はすぐに目を開ける。どうやら既に起きていたのだろう。
「食満先輩、おかえり、なふぁい」
ふあぁと大きな欠伸をしながら体を起こした三郎を横に押しやって食満はすぐベッドへと横になる。体が、特に下半身が重く、すぐにでも横になりたかったのだ。食満は横になりながら羽織っていたカーディガンを脱いでテーブルの上へと投げ、届かずに床へと落ちそうになったカーディガンを三郎が拾い上げてちゃんとテーブルの上へと乗せてくれた。
「先輩、はちが来てましたよ」
「ん、聞いた。土産食った」
「やっぱり体調悪いんすか?」
「眠れば治る」
三郎は携帯を弄りながら寝癖がついた髪をいじりながら食満をちらりと見やった。
「先輩寝るんスか?」
「おー」
「じゃあ、ドア閉めますね」
「おー」
食満はもう瞼を閉じて、眠る姿勢に入っている。三郎はベッドから腰を上げ、食満を見下ろした時に、開いたシャツの合間から赤い跡を見つけた。
「先輩、ちゃんと窓閉めてないでしょ?首、虫に刺されてますよ」
三郎はそれだけ告げて食満の部屋を出てドアを閉めた。三郎の足音が去っていくのを確かめてから食満はそっと瞼を開き、首筋へと手を当てる。
バイト前に風呂に入る時、風呂場の鏡で自分の姿を見た食満は一瞬息を飲んでしまった。首筋だけではなく、鎖骨の上や肩、胸やわき腹とあらゆる場所に赤い跡が散っていたのだ。それはもう、見た瞬間に恥ずかしさを覚えるほどで、鏡の中の自分の顔が真っ赤に染まるのを食満は見た。
「…竹谷め、跡ばっかりつけやがって」
食満は赤くなった顔を隠すように毛布に頭まで埋まりながらシャツのボタンを全部しめ、竹谷へ悪態をついてから瞼を閉じた。
ピンヒールを履いて腰に手を当てている食満先輩の前で土下座をして、背中にぐりぐりとヒールを押しあてられながら罵倒される夢を見た。精神がどういう状態なのかすぐに分かる上に、もしかしたらそれを自分が望んでいるのかもしれないと思うと起きた瞬間に蒼ざめる。すぐに体を起して枕へ向かって正座をしたまま固まってしまった。
「お、れは、もしかしたら、変態さんに、なったかも知れない」
震えるような声でぼそりと呟いた竹谷のその言葉に、「ほう、はちはどんな変態さんになったの?」という声が返って来た。
「え、あ、さぶろっ、何でお前入ってきてんだよ!」
鍵を閉めていたはずなのに目の前で楽しそうに三郎が笑っていて、竹谷は慌てて傍にあった枕で殴りつける。その枕を受けながらも三郎は「で、変態になったの?どうなの」と詳しく聞き出そうとする。そんな三郎に竹谷は「変態のお前に言われたくねぇよ!」と枕を投げつける。それをキャッチした三郎は「冗談、食満先輩が帰ってきたからお前に知らせてやろうと思っただけだって」と笑いながら告げた。
「え、先輩、帰って来たの?」
「さっき帰って来たよ。やっぱり体調悪いみたいでベッド追い出された。俺、今日何処で寝ようかな…」
「…三郎さ、自分で自分の部屋のベッド捨てたんじゃん、自業自得だって」
「部屋狭いから仕方ねーじゃん。竹谷今日は夜バイトじゃねぇの?」
「今日は朝勤で明日は休み」
「…ちぇ、応接間でまた寝るかなーあ、利吉さんがバイトだったらそこでもいいか…」
ぶつぶつと独り言を呟きながら三郎はドアを閉めて部屋を出て行った。ドアが閉まったことで暗くなった部屋で竹谷はその姿勢のまま暫く固まっていたが、暫くするとベッドから抜け出して部屋を出る。応接間に掛かっている時計はもう6時を差しているからかれこれ4時間ほど寝てしまっていたようだ。
「…あの、食満先輩?」
扉をノックしても返事はない。暫く考えて静かにドアを開けると薄暗い部屋の中でベッドに横たわっている姿が見える。カーテンは全て開けられたままで外の灯りが差しこんでいる為、竹谷は食満の姿を捕らえることが出来た。
「先輩」
そっとドアを閉めてベッドへと竹谷は近付いた。背中を向けていた食満が声に反応したように寝がえりを打ち、竹谷の方へと顔を向ける。瞼は閉じられていて、暑いのか眉間に少し皺が寄っている。
(…暑いなら脱げばいいのに)
きっちりと上まで締められたボタンへと手を伸ばして楽になるようにと竹谷は食満のシャツのボタンを三段ほどまで外した。
「んっ」
ぐるりと仰向けになった食満を起してしまったのかと竹谷は手を止めたが、食満は起きることなくまた寝息を立てる。
(出直すか)
部屋をそのまま出てしまおうと食満のシャツから手を離した竹谷の視界に、食満の細い首筋が入った。そしてその首筋と胸元へと続くその赤い跡をしっかりと見てしまうと寝がえりを打ちながら「んー」と漏らす食満の声が先ほどとは違って色っぽく聞えてしまう。
(どれくらいの跡を残したのか、それが気になった、だから別にそういうことをしたいわけじゃなくて、ただ、気になって、別にまたそういうことをしたいわけじゃないから下心はないんです。)
頭の中でいい訳を並べて竹谷は震える手でそのシャツのボタンを外して行く。色がついてるシャツだというのもあるのか、食満はシャツの下に何も着ておらず、すぐにその素肌が露わになる。そしてその肌には竹谷が残した無数のキスマークが散らばっていた。
そっと肌に触れると汗ばんでいるのが分かる。指先から伝わる体温とその感触に竹谷は酔った時みたいに頭がぼーとしたような気がした。そして無意識にまたその肌に唇を落としていた。強く吸いつくと肌がピクリと動く。舌を這わせると先ほどよりもっと色っぽい声が耳に届いた。
はっと我に返って食満の脇腹から唇を離した竹谷は今自分が取った行動に気付くと更にその顔を蒼ざめさせる。そして食満に布団を被せるとそのまま部屋を飛び出した。
(嘘だろ、嘘だろ、だって俺、今、少しも酔ってねーって!なのに、なんで食満先輩にむらってしたんだよ、ってか、なんで勃起してんだよ!)
脱兎のごとく食満の部屋を後にした竹谷は自室に戻って布団を被っていた。
(やばい、俺、ホモになったかも知んない!)
竹谷がそんな風に心を乱して悩んでいることを、すやすやと夢の中にいる食満は1ミリたりとも知る由はなかった。
(2010/04/27)