病は気から恋は過ちから?
カーテンの隙間から洩れてきた光が瞼を透かして眩しい。
光が差し込む方向へ背を向けようと竹谷が寝がえりを打つと腕が何かにぶつかった。その何かは暖かく、布団や枕などではないと気付いて薄っすらと瞼を開けると、視界には隣りで目を閉じて寝息を立てている男が映る。それは竹谷のひとつ年上の先輩で、寮の先輩でもある食満留三郎であり、竹谷は「う、へ?」と変な声を上げてしまった。
先輩である食満が同じベッドにいることに驚いて体を仰け反らせると竹谷の足がベッドからはみ出た。寮の部屋に設置されているベッドは男子学生二人が横になるには狭くて、並んで横になると肌がどうしても触れ合ってしまう。触れているものが服などではなく肌であると気付いて被っていた布団を捲ると、竹谷の思っていた通り竹谷も食満も全裸で、視線を部屋の中へと向けると、辺りに脱ぎ散らかされた衣服が散乱していた。
「え、まじで…何があったんだ?」
さぁぁぁっと血の気が引いていく音が聞える。何があったんだ、と口にはしたが、竹谷自身、自分が何をしたかくらいは記憶に残っていた。
昨日は本来なら寮に一年が入ってくる日だった。しかし、竹谷と食満がいる寮がとても古く、今度の一年は新しく建てられた寮へと入ることになった。要するに、この寮にはこれ以上新しく学生が入ってくることはなく、この寮にいる人が卒業すると同時にこの寮は閉鎖されることになっている。この寮では、毎年春になるとこの寮の誕生パーティーをするのが伝統であり、その誕生パーティーが別寮へ入寮した一年の新歓と一緒に昨夜行われたのである。
寮生の皆でぐでんぐでんになるまで酒を呷っていて、確か0時半を回る頃には竹谷の隣りで飲んでいた食満がテーブルへと突っ伏した。竹谷はというと、アルコールのお蔭で機嫌が良く、そして隣りの食満をやたら口説いていた。というのも、竹谷は酔うと隣りに座った人を口説く癖があるのである。それはいつも後日、他人から指摘されるもので、竹谷自身酔っているときのことはあまり覚えていない。それでも昨夜、隣りに座っていた食満へとやたら話しかけていた記憶はちゃんと残っていた。
眠そうな食満を見るなり、竹谷の向かいに座っていた先輩である立花が「竹谷、留三郎を部屋に運んでやれ」と言い、竹谷のグラスを取りあげた。そこで竹谷は仕方なく潰れかかっている食満を二階の部屋へと運んだのである。そこまでは普通だった。食満がアルコールに弱いのも、酒が入ると竹谷が誰かを口説かずにはいられないのも、それらはいつも通りで、でも、そこからがいつもと少し違っていたのだ。
竹谷が食満をベッドへ寝かせると、食満は寝苦しそうに小さく呻き、それが寝苦しそうに見えて、可哀相に思った竹谷は食満のシャツのボタンを外した。上から順序良くボタンを外すと食満が薄っすらと目を開ける。頬が紅潮し、目元も赤く潤んでいて、そんな食満の姿をその時の竹谷はえろいと思ったのだ。食満の長めの前髪をかきあげて名前を呼ぶと薄っすらと開いた瞳が竹谷を捉えてじっと見つめる。
「先輩大丈夫ですか?」
竹谷が耳元で優しく声をかけると食満はその息がくすぐったいのか身を少し捩った。
「先輩、ねぇ、聞いてます?」
「…んっ」
身を捩る食満を可愛く思って竹谷はそのままキスをしたが、食満は竹谷の腕から逃れようとはしなかった。そのキスを受け入れていたというよりは、酔いすぎていてキスされているということを認識出来てなかったという方が当てはまるだろう。竹谷は触れるだけのキスを何度か繰り返した後、薄く開かれた食満の唇に舌を差しこんだ。それは完全に出来心で、本気じゃなかったはずだった。竹谷は完全に酔っていて、食満なんて一人で歩くことすら出来ない程に酔っており、竹谷の腕を振りほどくことすら出来ない状態だった。
だからこそこのキスは愛情が籠ったキスなんかじゃなくて、単なる出来心のはずだった。
竹谷が食満の口腔内を好き勝手に舌で弄くりまわすと呼吸がしづらいのか、食満は竹谷の服を必死に握り締める。それに気付いた竹谷は食満を可愛く思ったのである。そして、もっと悪戯してしまいたくなった。
「先輩、口じゃなくて、鼻で息して?」
それだけ耳元で囁き、もう一度唇を重ねる。そうすると食満は竹谷の言った通りに鼻で呼吸をしてくれていて、舌を絡めると逃げ出さないで絡め返してくれた。男同士だというのに、その時の竹谷は気持ち悪いなんて一度も思わず、ただ、気持ちいいなーとか可愛いなーとばかり思っていた。唇を離すと必死で呼吸を整える食満の口元から、飲み込み切れなかったものが垂れている様や、薄く開いた口から覗く舌の赤が竹谷をそそり、竹谷はそのまま食満の肌へと舌を這わせたのである。
「たけ、や」
竹谷の事を全く認識していないだろうと思っていた食満が小さな声で竹谷の名を呼んだ。涙を浮かべながら竹谷を呼ぶその姿がその時の竹谷には可愛く、そしてえろく見えた。そして名前を呼ばれたことが想像していたよりずっと嬉しかった。
アルコールのおかげで思考回路がぶっ飛んでいたし、それだけじゃなくて決断力も行動力もぶっとんでいた。だから竹谷は名前を呼んでくれた食満をそのまま組み敷いて、最後までしてしまった。酔ってろくに抵抗出来ないだろう食満を、そのまま犯してしまったのである。
全ての記憶が甦った竹谷の表情はまさに真っ青といっていいものであった。
かすかにではあるが指先すら震えていて、自分の脳内の記憶が全部夢だったらいいのにと強く思った。
「んっ…」
隣りで眠っていた食満が寝がえりを打って竹谷の方へと顔を向ける。そして薄っすらと目を開けた。その瞬間、竹谷はベッドから降りて服が散乱している床へと正座した。
「…ん、たけ、や?」
まだ寝ぼけているのか、寝むそうに目を擦っている食満が「頭痛ぇ」と言いながら体を起こす。
「腰っつーかケツも痛ぇ、何でだ?ん?あれ、何で俺、脱いでんだ?」
衣服を身に纏っていない事に気付いて布団を捲った食満の表情が変わる前に竹谷はその場で頭を下げた。所謂、土下座ってやつだった。
「すんませんでした!あの、俺、その、酔ってて」
どんなに言い訳を並べたところで、酔って意識を殆ど失いかけている人を犯してしまっていい理由にはならない。それでも竹谷は涙目で言葉を続けた。
「すんません!」
「…ちょっと黙れ」
布団を捲ったまま固まっていた食満は鋭い声でそれだけ告げて黙り込んでしまった。竹谷は正座したまま食満が次に何を言うかを待っている。もしかしたらぶん殴られるかもしれないと思ったが、男に犯された食満の心中を思うとそれだけで済むはずがないと思いなおしてぎゅっと強く手を握りしめた。
「…竹谷」
「はい!」
「お前、今日9時からバイトじゃなかったか?」
「え、」
予想外な言葉に竹谷は頭を上げて食満の部屋に掛かっている時計を見上げた。時計は8時10分程で今もなおカチカチと秒針を進める。
「あぁ!そうだった、今日朝番なんだった!」
バイトだと気付いて、別の意味でまた血の気が引いた。
「もう8時過ぎだぜ。さっさと風呂入ってバイト行く準備しねぇと遅刻すっぞ」
「あ、でも、先輩は」
「俺は頭痛いからもう一回寝る。つーか全裸で土下座は、さすがにねーよ。ほら、さっさと服着ろ」
食満は近くに落ちていた服を竹谷へと投げつけながらそう言った。
「あ、はい」
竹谷はその場で服を着て、ちらりと食満へと視線を打向けたが、食満は先ほどの言葉通りもう布団へと潜り込んでいた。
「あの、じゃあ、俺、行きますね」
「おー、働いてこい」
怒気どころか、動揺すら感じさせない食満の声に竹谷はぺこりと頭を下げて部屋を出た。閉めたドアをちらりと振り返ったけれど時間ががないのを思い出して、そのままひとつ部屋を挟んで隣りの自室へと駆けこむ。
昨夜のことを考えるとそのことに気を取られて動きが止まってしまう。今考えたってどうしようもない、先輩が本当に怒っていないのかどうかすら確かめようもないのだからと竹谷は「…今は考えるの止めよう」と頭を横に振る。そしてそのまま一階の風呂場を目指して走り出した。
「竹谷!寮の中走んなぁ!」
2階の応接間にいた潮江先輩が怒号を飛ばし、竹谷は「すんません!」と大きな声で返事をしながらそのまま寮の中を走りぬけた。
(2010/04/10)