愛しのアルペジオ
R-15描写があります。苦手な方はそっとブラウザを閉じてね。
構わぬ!という心臓が強いだけどうぞ。
竹谷の家から突然食満が姿を消した日から、食満は竹谷の部屋へと来なくなった。
初めの頃はテスト週間だからかなと呑気に思っていた竹谷だったが、テスト週間が終わって春休みに入っても食満からは何の連絡も無い。一度メールを送ってみたが返事はなく、竹谷はバイトに追われて日々を過ごしていた。
春休みになると仕事は朝5時終わりのシフトが増え、帰宅すると大抵既に朝が始まっている。
生活のリズムが完全に夜型になってしまい、竹谷は一日一日ぼんやり過ごしていた。
ある日、久しぶりの中勤で1時に仕事が終わると竹谷はいつもの様に帰り道にあるコンビニでビールを買って帰宅した。部屋の前の電気は大家さんが換えてくれた様で、眩しすぎるくらいだった。そしてドアの前には誰の姿も無い。
「…いないよなぁ」
いつも無意識に食満の姿を期待してしまっている事に竹谷は気付いていたがどうする事も出来なかった。
一人でつまみを広げてビールを飲む。深夜番組が終わると通販番組へと切り替わり、竹谷はテレビの電源を落とした。シーンと静まり返った部屋は居心地の悪さを覚えるほどで、竹谷はベッドの上に一人転がって天井を見上げる。
食満はどうしているんだろうか。
メールの返事は貰えず、もう一度送る勇気も無かった。
竹谷にとって食満は男友達である三郎や雷蔵、そして兵助や勘右衛門達とは違う部類に属していた。きっとあいつらの一人が泊まりに来ていたら、一緒にベッドで寝るくらい平気で出来る。けど、食満の場合だと竹谷はそれが出来なかった。単に彼が一学年上の先輩だからではない。同じ一学年年上の七松になら出来る事が、食満相手だと竹谷は出来ずにいたのだ。
それは竹谷が食満を意識していた事を意味する。
「どーせ彼氏でも出来たんだろーし」
ぼそりとそう呟いて寝返りを打つと、食満が愛用していた抱き枕が視界に入った。
元々は誰かがゲーセンで取ってきた景品で邪魔に思って押し入れに仕舞っていたのだけれど、食満がその抱き枕を気に入ったので押し入れから出したのだ。
「…今頃誰かとヤってんだろうし」
最後に見た食満の首筋には幾つものキスマークが残っていた。あんなに清潔そうで潔癖そうな印象を与える癖に、どんな顔して男に足を開くのだろうか。
食満が姿を消したあの日から竹谷は食満の事ばかり考え、最近では食満の性生活の事ばかりに思考が囚われる。
瞼を強く閉じていると、男の下で乱れる食満の姿が浮かんできた。嫌だと言いながらも自分で腰を振り、泣きながら愛を乞うその姿はあまりにも淫らだ。竹谷は自分の股間が欲望に正直な事に呆れてしまった。食満が誰かに抱かれる様を妄想して、勃起したのだ。
「…食満、さん」
抱き枕の匂いを嗅ぎ、彼がこの枕に足を絡めていた事を思い出す。竹谷は強く瞼を閉じ、誰かに組み敷かれる食満を妄想して硬くなった自分のモノを扱き始めた。そして呆気なく達してしまった。
妄想と言えど、男で抜いたのは生まれて初めてで、そして身近な人で抜いたのも竹谷は初めてだった。
「…虚しいったらねぇな」
手に出された白濁を睨み付け、竹谷は近くにあったティッシュでそれを拭う。そして丸めたティッシュを遠くにあるゴミ箱へと投げつけた。ティッシュはゴミ箱の縁に辺り、床へと転がる。
竹谷はそれを見ない振りしながら背を丸めて眠りに落ちた。
夏休みに比べると春休みは圧倒的に短い。あっという間に3月も末が近くなり、辺りも春めいてきた。それでもやはり食満からは何の音沙汰も無く、かれこれ3週間ほど顔を見ていない。
今日、珍しく竹谷のバイト先である居酒屋に知っている友人達が顔を見せた。その中には食満と仲がいい善法寺もいて、竹谷は仕事の合間にピザやカラアゲなどをサービスで差し入れて、そしてさりげなく食満の話を切り出した。
「そういえば食満さん最近見ないんですけどどうしてます?」
竹谷が善法寺へとそう切り出すと近くにいた三郎にもどうやら聞こえていたらしく、「あれ、お前食満さんとデキてなかった?別れたのか?」等と笑われる。
「え、留三郎と竹谷デキてんの?!」
驚いた善法寺の手を焼き鳥の串が離れ、悲しくもテーブルへと落下する。
「そんなわけないじゃないっすか」
「あーでも最近僕も連絡取ってないんだよね」
善法寺は落ちた串をそっと隣りの七松の皿へと乗せ、自分は新しい串を手にしていた。
「留三郎ってたまに連絡取れなくなる時あるんだよ。メールしても電話しても出なくって連絡取り様がないし、誰も留三郎の部屋知らないから押し掛け様にも押し掛けらんなくて。放っておいたらけろっと連絡入る様になるから待ってるしかないと思うよ」
善法寺のその言葉に竹谷は「そうっすね」と笑うしかなかった。
彼等は日付が変わる辺りまで店で騒いでいて、二次会でカラオケに行くと店を去って行った。バイトが1時上がりだと知った彼らは「絶対に来いよ!」と言っていたが、どうも騒ぐ気分じゃなかった為、竹谷の足は真っすぐ家に向かっている。
いつもと同じ帰り道でいつもの様にコンビニへと足を運ぶ。何気なく視線を上げると視線の先に幻が映り込んでいた。
何度瞬きしてもその幻は消える事なく、竹谷の視界にはずっと食満の姿が映っていた。
竹谷は食満が振り向く瞬間、咄嗟に隠れてしまった。どうして隠れてしまったのかはよく分からないが、まだ心の準備が出来ていない。顔を合わせるのは3週間振りで、竹谷の妄想の中の食満と目の前にいる食満は顔つきが全然違っていた。
(そりゃ、そうだよな。あんなエロい顔してんの見た事ねーし。そもそも妄想だし)
雑誌コーナーで適当に本を開き、レジへと並んでいる食満の姿をちらりと見る。食満は竹谷がいる事に全く気付く様子も無く、会計していた。竹谷は食満が会計を済ませる前にそっとコンビニを出る。
「ありがとうございましたー」
店員の声がした後に食満が店内から出てきた。俯いている彼は竹谷の存在にまだ気が付いていない。
通り過ぎようとした食満の腕を掴み、「どこ行くんですか?」と声を掛けるとハッと食満が顔を上げる。
この3週間、竹谷は食満に恋人が出来て落ち着いたのならそれでいいと思い込もうとしていた。彼が幸せなら竹谷の元に訪れなくなったことは悲しい事ではないと思い込もうとしていた。けれど今の食満の顔は幸せそうには見えない。食満はまるで迷子になった子供の様に途方に暮れて泣き出しそうな表情をしていた。
「…それ、全部二人分ですよね?それ買って、どこに行くんですか?」
食満が腕を払いのけようとしても竹谷は更に力を籠めてその手を離さない。
「…食満さん、どこか行く宛て、あるんですか?」
竹谷の言葉に食満は俯く。そして腕から力を抜いた。
だらんと垂れた手からビニール袋を奪い、竹谷は食満の手を離した。
「春といえど夜は冷えますよ。帰りましょ」
何も言わず俯いてしまった食満に竹谷は笑い掛け、そして家までの道のりを歩く。ビニール袋にはいつもの様にビールが2本とそして竹谷の好きなチーチク、食満の好物である茎ワカメが入っている。
暫く歩いて振り返ると食満はちゃんと着いてきていた。まるで一番初めのあの日のように食満は少し離れて着いて来る。
竹谷は鍵を開け、ドアを開いて食満が部屋に入るのを待った。一度ドアの前で足を止めた食満は、どうしたらいいか分からないという風に竹谷を見上げる。不安に揺れる食満の瞳を見つめ、竹谷はもう一度「どうぞ」と部屋の奥に行くよう勧めた。すると食満は素直にそれに従って部屋に上がる。食満が部屋の奥へと進むのを見届けて竹谷はドアを閉め、鍵を掛けた。
「ビール、冷やしておきますね」
「…飲まないのか?」
「飲んでもいいですけど、そんな気分ですか?」
「…飲む」
まるで素面じゃやってられないという様に食満は竹谷の手からビールの缶を奪った。そして「竹谷も」と竹谷の分の缶まで出してくる。食満から渡されてしまえば竹谷は断れず、仕方なく並んでビールを呷った。
缶のビールが殆ど無くなったくらいで竹谷は食満へと視線を向け、「久しぶりっすね」と笑いかけた。
「…そうだな」
それでも食満は素気なく、絶対に視線を合わせない。
「恋人でも出来たんですか?」
「…何でそんな事聞くんだ?」
「恋人がいるから俺は要らないのかなって思って」
竹谷はそう呟くとちらりともう一度食満の方へと視線を向けた。食満は一度口を開きかけたが、思いとどまったのかすぐに唇を結ぶ。
「…恋人は、出来てねーよ」
「そうなんですか。じゃあこの部屋に来なくなった理由は一つですね」
「…理由?」
答えが分からないという風に竹谷を見上げた食満に竹谷は「あの時、起きてたんでしょ?」と告げる。
「俺が食満さんにキスした時、食満さん起きてたんでしょ?寝ている相手にしてしまった事は確かに悪いと思ってます。食満さんが来ない間ずっと反省してました。だからもう許して下さい。」
食満は恋人なんていないと言った。だから竹谷は食満がこの部屋から遠ざかった理由があの夜にあると思ったのだ。きっと、食満はあの時起きていて、軽はずみな行動を取った竹谷を責めていたんじゃないか。竹谷にはこの答え以外導き出せない。
「…違う、怒ってなんかない」
竹谷の言葉に食満は俯き、そして震えるような声でそう呟く。
「怒ってないんですか?」
「…怒ってない」
「…じゃあどうして」
竹谷の問いに食満は押し黙る。今は待つ方がいいと思った竹谷は食満が口を開いてくれるまでじっと黙って待っていた。すると暫くして食満が「怒ってない」ともう一度ぽつりと呟いた。
「…お前にキス、されて、俺、嬉しかったんだ。何か分かんないけど、とても嬉しかった。お前は優しいからきっと同情してくれてるんだって分かってるけど、でも本当嬉しくて、だから、来れなかった」
「…どうして」
「…だって、ノンケのお前のこと好きになったって、痛いだけじゃないか!」
食満はやっと竹谷を見た。その瞳には涙が浮かんでいる。眉は悲しげに寄せられ、そして目を伏せた時に涙が零れた。
「叶わないって分かるのに本気になるほど俺は馬鹿じゃないんだ」
強く握り締められている手が痛々しい。竹谷は何も言わず、そっとその手へと手を伸ばす。
「たけ、や?」
「…俺、同情なんかしてませんよ。そりゃあ食満さんは不器用だなーとかは思ってましたけど」
「…どうせ俺は不器用だよ」
「そうですよねー。女の子だってもう少し上手くやってるのに、食満さんは無器用な上に割り切るのも下手くそですよね」
女という単語が出たからか、食満はきっと竹谷を睨み付け「俺は女じゃねーから別にいいんだよ」ときついで口調で告げた。
「そんなに強くも無いくせに自分から傷広げに行って、辛いのに辛いなんて言わないで、馬鹿だなって思ってました」
竹谷はぎゅうと食満の手を握り締める。食満は少し戸惑った様子で竹谷が握り締めている手へと視線を向けた。
「ずっと俺にすればいいのにって思ってました。俺だったら泣かせないのにって」
竹谷は優しい声でそう呟き、もう片方の手で食満の黒い髪を撫でる。3週間振りに会うとその髪は以前より伸びていた。
「…お前は優しいから、同情してるんだ」
「俺は同情で男にキスなんて出来ないっすよ」
「だからそれは酔ってた」
食満の言葉はそこで途切れた。竹谷が食満の唇へとキスを落としたからだ。
触れるだけのキスを終えて竹谷はそっと唇を離す。
「…同情だ」
「だから俺は同情で男にキスなんて出来ないんですってば」
頑固な食満に竹谷は思わず苦笑する。そして何か言われる前にもう一度唇を塞いだ。薄く開いたままの唇から舌を差し入れると食満の体が硬直した。
歯の裏や舌の裏まで味わい尽くして、逃げようとしている食満の舌へ甘く歯を立てる。
「…んっ…ふぁ」
キスを終えて唇を離すと食満の唇から唾液が垂れる。ぼんやりと開かれたままの瞳は涙が張っていた。
食満は体に力が入らないのか、くたんと竹谷へと凭れる。食満が必死に酸素を吸っているのが聞こえて竹谷は食満の背中を撫でた。
「食満さん、俺じゃだめですか?」
食満の首筋へと舌を這わせると食満の手が竹谷のシャツを掴んだ。
「でも、お前俺とセックス出来んのかよ、男相手だと何処に入れるか知ってんのか?」
不安そうに竹谷を見つめる食満の唇へもう一度キスを落として竹谷は「出来ますよ」と告げた。
「他の男に抱かれる食満さん想像して何回抜いたと思ってるんですか」
「え、」
うろたえた様な食満の体を抱え、ベッドへと乗せると食満は怯える様に竹谷の体へとしがみ付いていた。
「食満さんが思っているよりもずっと、俺はあんたのことそういう風に好きですよ」
シーツの上に食満を縫い留めて竹谷は笑い、食満は睫毛を震わせて竹谷を見つめる。
「でも男の人としたことないんで、教えてくれると助かります」
食満の額へとキスを落とすと食満が「ん」と短く返事をして唇を重ねてきた。
(2011/4/20)