竹谷八左エ門の髪がさらさらになった!の段!〜前編〜
深い藍色の空を見上げて竹谷は溜め息をひとつ吐く。吐き出した息が白く染まっては空へと溶けていく様子をただ黙って見つめ、風が吹く度に視界に入る自分のものとは思えないさらさらな髪を掴んではまたひとつ大きな溜め息を吐いた。
学園内で髪が痛んでいる人ランキングがあるなら真っ先に自分の名前が上るであろうと竹谷自身そう自負しているのだが、そんな自分の髪が今や風に流れてはさらさらと舞う。
髪がこんなに変化した理由を話せば長くなるがぜひ聞いてほしい。そしてなんなら溜め息の理由まで聞いていってほしい。じゃないと俺、まじで泣きそうなんで。
事の始まりは一週間前。いや、もしかしたらもっと前から始まっていたのかもしれない。
生物委員の委員長代理である竹谷は相変わらず脱走した虫たちを探すべく林に入ったり、木に登ったりしていた。全ての虫を探し出し、後輩である孫兵に戻すよう頼んで五年の長屋へと戻ろうとした時、奴に遭遇してしまったのだ。
奴―斉藤タカ丸は年齢は竹谷より年上なのに後輩に当たる厄介な人物である。いや、そこが厄介なわけではなく、なんと彼は有名なカリスマ美容師の息子で、自身もカリスマ美容師になるべく修業をしており、ここ最近美容師から忍者に転身したのだ。学園の一生徒として一言言わせてもらうならば、ズルイの一言だ。そんなおいしい肩書き、正直羨ましい。けれどそれらがどうして厄介なのかというと、斉藤タカ丸は髪に対して異様な執着を持つ人物として学園内では有名なのである。斉藤タカ丸と同じ委員会に入っている五年い組の久々知兵助に「土井先生の髪にすら物凄く食い付くんだから竹谷の髪なんてもしかしたら燃やされるかもしれない」と真剣な顔で告げられたことすらある。そんなことを言われたら警戒するのは当たり前で、なるべく顔を合わさないように用心するのだって当たり前だと竹谷は思う。何せ竹谷の髪といえば、学園内で一番痛んでいると自負出来るくらい酷いものなのだ。
傍から見ると過ぎると思われるほど用心していたのにも関わらず、狭い学園内だとどうしてもすれ違わなければならない場面が出てくる。そういう場合に遭遇したら、モブキャラ特有のオーラを消すという特技を活かして何事もなかったかのようにその場から逃げていたのだが、つい一週間前、とうとう彼の視界にこの髪が入ってしまったのだ。
その時も背景になるべく、呼吸をなるべく抑えて足早に立ち去ろうとしたのだが、タカ丸さんの意識を自分自身から外すことが出来なかった。横を通り過ぎようとした竹谷の髪をタカ丸さんは問答無用と言わんばかりに引っ張っり引き寄せる。
「痛っ!タカ丸さん何するんですか?!」
逃げようともがいても、全力で髪を引っ張るタカ丸さんは髪を離す気はない。そしてぶっちんと何本かの髪をまとめて引きちぎった。
「…これ、何」
タカ丸さんが手に持っていたのは髪に絡まっている小枝だった。
「あぁ、これ、さっき木に登った時に絡まって、取れなかったんですよ!ありがとうございます!」
自分では取れなくて諦めた小枝を取ってもらえた事で何だ良い人じゃないか、と竹谷が思っていると更に髪を掴まれる。
「痛ぇ!タカ丸さん痛いっす!」
逃げようとしても見た目と反して握力が強すぎる腕から中々逃れられない。
「君ねぇ、どうして髪に枝が絡まって取れないなんてことが起こるの!」
キィ…!とまるで動物の声の様にタカ丸さんが鳴いては髪を掴む。竹谷は理不尽だと思いながらも必死に「ごめんなさい」と繰り返し叫んでいた。
暫く攻防戦を繰り返し、疲れたところで二人とも腰を下ろした。それでも相変わらずタカ丸さんの視線は竹谷のその髪から離れない。
「君の髪、どうしてこんなにひどいの」
「…はぁ」
ぐちぐちと言い始めたタカ丸さんを前に項垂れてはいはいと頷いていると、タカ丸さんが「でも、君にだってさらさらな髪になる権利はあると思うんだ」と強く手を握りしめてきた。
「…はぁ」
「今まではね、君の髪をさらさらにする力は僕にはなかったんだけど、でも、やっと手に入れたんだよ!」
そう言ってタカ丸さんが懐から取り出したものは何やら変な容器だった。
「…なんですか、それ」
「これは、すとれーとぱーまというんだって。これなら君の髪もさらさらに出来るよ!」
「す、とれーとぱーま?何ですかそれ」
初めて聞く言葉に首を傾げると、タカ丸さんは立ち上がってそのへんてこな入れものを空へと掲げた。
「すとれーとっていうのは、真っすぐって意味だよ。要するに、これで君の髪を真っすぐにすることが出来るんだよ!」
タカ丸さんの興奮した声に、竹谷まで釣られてテンションが上ってきた。竹谷は調子がいいことで学年では知られているのである。
「まじっすか!」
「ほんとだよ!これで直せないものはないんだ。これで君もさらさらな髪になれるんだよ!」
タカ丸さんは目をキラキラさせて興奮している。
「で、これはどこから手に入れたんですか?」
手に持っている容器は見たことがない形をしている。南蛮のものか?とひとり思っていると「これは青い色のたぬきがね、くれたんだよ」とタカ丸さんはメルヘンなことを言い出した。
「…青いたぬき?」
「そうそう。喋ってちゃんと説明までしてくれたんだ。君の為に貰ってきたものだからね。ほら早速使おう!」
生物委員としては喋る青いたぬきが本当に存在するのか探し出して確かめたかったのだが、タカ丸さんが腕を痛いくらい引っ張って歩くもんだからそんなこと言い出せなかった。
風呂場で髪へと塗り薬のようなものを塗りたくられ、暫く放置された後、丹念に髪を梳かされる。そしてその薬を洗い流して髪を乾かすと、なんと恐ろしい事に竹谷のあの髪が、あの小枝が絡まると取れなくなる髪が、風になびく程さらさらになったのだ…!
「すげええええええええ!」
鏡を見ながら髪を梳いてみる。少しキシキシと痛んでいる気もするが、それでもさらさらなことに間違いはない。
「タカ丸さん、さらさらになりましたよ!」
「ふふ…これであとは土井先生を残すのみ!じゃあ僕は少し用事があるから!」
残った塗り薬を手にタカ丸さんは物凄い勢いで風呂場から去って行った。その背中を見送りながら竹谷は自分の髪を櫛でもう一度梳いてみる。櫛に髪が引っかからないなんて竹谷が知る限り初めての経験である。
さらさらになった髪を乾かして、いつもの位置で髪を結うといつもと違ってさらさらと髪が落ちて来る。
「…すげぇ」
頬に触れる髪が自分のものとは到底思えない。髪を触りながら廊下へと出て、今すぐにこの髪を見せたい人の元へ走った。
六年の長屋にはいなかったのでどこにいるのかと探すと倉庫の方で目的の人物は立っていた。どうやら委員会の仕事でもしているようで、足元には小さな人影が纏わりついている。
「食満先輩!」
愛しい人の名を呼び駆け寄ると名を呼んだ食満先輩よりも先に一年のしんべヱ、喜三太が寄ってきた。
「わぁ!竹谷先輩どうしたんですかー?」
「髪がさらさらになってます。これ、引っ張ったら取れるの?」
しんべヱが遠慮なく髪を掴んではぐいぐいと引っ張る。子供に似合わない握力に本気で顔を顰めながら竹谷は「本物だから!」と情けない声を上げるしかなかった。
「竹谷先輩、一体どうしたんですか?」
三年の富松までもが不思議そうに、半ば恐怖に慄いたような表情で見つめて来る。
「タカ丸さんにさらさらにしてもらったんだよ」
竹谷がそう言うと子供達は大袈裟だと思うくらいその手を叩いて「すごーい!」と竹谷の足へと纏わりつく。
「すごいだろう。どう?俺のさらさらな髪は?」
「さらさらで綺麗です!」
「かっこいいです!」
「…かっこいいです、よ」
富松までそう言ってくれ、竹谷は恥ずかしさを押し殺しながらさっきから黙っている恋人である食満へと「食満先輩、どうですか?」と視線を向けた。
「え、あぁ、い、いいんじゃないか?」
あれ、と竹谷は思った。予想と違う反応、ということもあるが、そもそも恋人である食満が竹谷を見ていない。視線を微妙に足元に逸らされている。
「…本当ですか?」
歩み寄り、その肩を掴んで視線を此方へ向けようとすると食満は竹谷の手を払い「ほんとほんと」と適当に相槌を打っては背を向けた。
「せんぱ」
「ほら、お前らさっさと仕事終わらせておやつの時間にしようなー」
竹谷の声を遮り、食満は後輩らを連れて倉庫の中へと消えて行ってしまう。そしてお情けの様に「仕事あるからまたな」と告げては扉を閉められてしまった。あまりの素気なさに竹谷は暫く呆然とその場所に突っ立っては風が髪をさらさらと靡かせるのを感じていた。
自室に戻り、同じ組である三郎に「お前勝手にさらさらになるなよ、折角のお前の髪のピースどうしてくれんだよ」と理不尽な事を言われようと、雷蔵に「まだ目が慣れないよーあのぼさぼさこそがハチみたいなところあったから」と微妙に貶されようとも竹谷は一心不乱に考え事をしていた。
竹谷と恋仲である食満留三郎は竹谷より一学年上である。後輩には甘い人だが、恋人となると割と素気ない部分もある。けれどそれ以上に優しくて照れ屋だということを恋仲である竹谷は知っていた。だから照れていた、とすれば納得出来るのだが、やはりあの反応は変だった。いつもの彼なら顔を真っ赤にして喜ぶか、前の髪がいいと駄々捏ねるかのどちらかだと思っていたのに。そしてそのどちらも竹谷としては見てみたかったのだ。けれどあの反応は正直想定外である。
「ハチ?出掛けるの?」
ずっと石のように座り込んでうんともすんとも言わずにいた竹谷が動いたことに気付いた雷蔵が振り返って声を掛ける。
「んーちょっとな」
竹谷は自分の髪を掻こうと手を伸ばし、その手に触れる髪の感触がいつもとは違うことでまた自分の髪がさらさらになったことを思い出す。
「やっぱりちょっと会ってくる」
誰に、とまでは言わなかったが、それだけを残して竹谷は自室を出た。
六年の長屋の一番奥にある部屋が食満と同室である善法寺のものだ。その部屋へ近付くと襖の向こうから「入ってもいいよ」なんて声を掛けられた。さすが最上級生である。
「…失礼します」
そう声を掛けて竹谷が襖を開けるとそこには善法寺と食満の二人が仲良く腰を下ろしていた。
「髪、どうしたの」
善法寺が驚いて目を見張っているが、その隣りで食満はやはり手元へと視線を落として見てくれない。
「タカ丸さんがさらさらにしてくれました」
「君の顔でさらさらって考えた事なかったけど男前じゃない」
「…ありがとうございます」
「けどね」
善法寺はそこで言葉を止め、ちらりと視線を食満へと向けて苦笑する。
「俺、風呂入ってくる」
何を思ったのか、唐突にそう宣言して食満は腰を上げた。そして寝巻を用意するとそそくさと竹谷の隣りを通りぬけて部屋を出て行ってしまう。去り際に「まぁ、ゆっくりしていけばいいよ」なんて事を言ってくれたけれど、やはり視線を合わせてくれない。
「…あの、食満先輩何か言ってましたか?」
食満の気配完全に消えたのを確かめて、竹谷は茶を飲んでいる善法寺へと声を掛ける。
「んー、何も言ってなかったよ?」
「そう、ですか」
「…僕に聞く前に、本人には聞いたのかい?」
善法寺は全てを知っているかのような声でそう告げる。その声に竹谷は「いえ」と返事をして「今から聞いてきます」と一歩踏み出した。
「いってらっしゃい」
そう手を振ってくれた善法寺に一礼をして、竹谷は慌ただしく二人の部屋を後にした。
廊下にはもう既に食満先輩の姿はない。実技の授業並みに本気で走って、ようやく曲がり角を曲がろうとする彼の姿を見つけた。
「食満先輩、待って下さい」
そう声を掛けるのと彼の腕を掴んで壁へ押し付けるのはほぼ同時だった。本来の実力から言えば食満に取って竹谷を避けるなんてことは簡単だろう。それなのに捕らわれてくれたことに彼なりの優しさを感じる。
「先輩、どうして俺を避けてるんですか?」
ぐいっと顔を近づけて覗きこむと、食満の瞳が不安そうに揺れて、伏せられる。今日、彼は一度も自分を見てくれていない。それが不安で、そして苛ついた。何か原因があるのならはっきりと言って貰わないとこちらとしては対処しようがないのだ。
「先輩」
少しだけ声を荒げるようにすると食満先輩の体がびくっと震えた。
「…どうして見てくれないんですか?俺のこと、嫌いになりました?」
怯えたようなその態度に、竹谷は先輩を掴んでいた手を離した。恋仲であるはずの先輩に怯えられるなんて、とてもじゃないが堪えられない。嫌われたのだろうか、その原因は何だろうか。竹谷がそう考えながら食満から体を離すとその竹谷の腕を食満先輩がそっと掴む。
「嫌ったりするはず、ないだろう」
ぎゅうと静かに力が加えられて、その腕の力に竹谷は少しだけ安堵を覚えた。それでも不安は簡単には消えてくれない。
「…じゃあどうして俺を見てくれないんですか?」
嫌いじゃないならどうして、と竹谷が問うと食満は「それは」と言ったきり黙りこみ、暫くして「うー」と言いながらその場に蹲った。
「先輩?」
蹲ってしまった食満の隣りに竹谷も屈んでみるが食満は中々顔を上げてくれない。
「どうしたんですか?」
「笑わないか?」
「笑うって何を?」
「俺が何を言っても笑わないって言うなら教えてやってもいい」
ちらりと見えた食満の顔は赤く染まっているように見えた。
「笑いません」
竹谷がきっぱりそう言い切るとそれが本当かどうか確かめる為、食満は一瞬だけ目を合わせてくれた。けれどやはりすぐに逸らされて伏せられる。
「…お前の髪が変わってるから悪いんだ。別の人みたいで、落ち着かない。顔見れねぇ」
そう言ってはまた「うー」と呻く食満の姿に竹谷は「もしかして、人見知り、してるんですか?」と返す。
「匂いだってなんかいつもと違うし」
ぷいっと視線を逸らせたまま食満はそう呟く。そういえばすとれーとぱーまは匂いが強くて二日くらいは取れないらしいとタカ丸さんが言っていたのを竹谷は思い出した。
「二日したら匂いは戻りますよ」
「髪は?」
「んー、ちょっとタカ丸さんに聞いてきます」
よっと腰を上げた竹谷の腕を食満が強く引いて引きとめる。
「いいのか、だって、お前さらさらになりたかったんじゃ」
心配そうにそう言いだした食満の唇に指を当てて、言葉を遮ると竹谷は笑った。
「先輩に避けられたんじゃ意味ないんで」
「…悪ぃな」
「いいんです。それに俺だって言うほど憧れていたわけじゃないんで」
それは本心だった。竹谷自身人から髪について色々言われることはあったが、それを気にしたことはあまりない。
「俺、タカ丸さんに元に戻してもらってきます」
善は急げ!と竹谷がタカ丸を探しに行こうとするとその手をまた食満が強く引く。
「先輩?」
「俺も、行く」
「いいですよ、お風呂行くんでしょう?」
「いいから、行くぞ」
ぐいっと竹谷の手を掴んだまま食満は歩きだした。視線は相変わらず逸らされたままだけれど、掴まれたままの腕が嬉しい。
「はい」
竹谷は笑顔で食満の隣りへと並び、歩きだした。
「え、元に戻したい、だって?」
言葉の意味を理解出来ないという風に首を傾げて竹谷の言葉を鸚鵡返ししてきたタカ丸に竹谷はおずおずと頷いた。
「君の言っている事の意味がよく分からないんだけど」
土井先生を追いかける為に綾部に手伝って貰っていたのだろう。中庭で幾つもの落とし穴を製作していた途中のタカ丸はようやく腰を上げて竹谷へと向き直った。
「そのままの意味ですよ。髪を元に戻して貰いたいんです。戻せますか?」
後輩であるタカ丸に無意識で敬語を使っていることに竹谷は気付いていない。けれどそうせざる得ないくらいタカ丸の周りには怒の空気が漂っていたのだ。
「土井先生も君も、どうしてそんなこと言うの。髪がさらさらになることはいいことじゃないか。本当君たちにはほとほと困らされるよ」
溜め息を吐いたタカ丸の表情はいつになく神妙である。ほんわかとしたいつもの雰囲気は微塵も感じられない。
「俺からも頼むよ」
食満までがそう言ったことで考えが変わったのか、タカ丸は懐からもうひとつ似たような容器を取り出した。
「これはパーマっていうんだ。君に使ったものと全くの逆効果がある」
「なら、それをつければ…!」
期待に煌めいた竹谷の方を見やってタカ丸はその容器をもう一度懐へ戻した。
「え、どうして」
どうやらそれを使用しなさそうなタカ丸に竹谷は不安そうに視線を向ける。
「すてれーとぱーまでも随分髪は痛むんだ。その上にすぐこれを使うとなると、髪が抜けおちる可能性だってある」
真剣なその言葉に竹谷は「えぇええ?!」と声を上げる。
「そんな劇薬だったんですか?!」
「そうだよ。そもそもこの薬の持続時間はまだ知らない。けれど持続時間が終われば君が望もうと望まなくとも髪は元に戻るよ」
苦虫を噛み潰したようなその表情に、竹谷はそんなに自分の髪は酷いのだろうかと本気で思った。それくらいの表情をタカ丸はしているのだ。
「だから薬が切れるのを待つしかないよ。それ以外の方法はない」
「わ、わかりました」
「じゃあ、僕は今から仕事があるから」
そう言ってタカ丸はまた新しい穴を綾部と一緒になって掘り始める。
「綾ちゃん、これで土井先生捕まえられたらお団子好きなだけ奢ってあげるからね」
「ほーい」
二人の声は微笑ましいものに聞こえるがその表情は真剣そのものである。
「つーか、あれを仕事と言うあたり、斉藤はまだ忍者というよりは美容師だな」
食満先輩は二人の後姿を眺めながらそんなことを言った。そんな食満の手を竹谷はそっと握り締める。びくっと食満の体が怯えたように震えるのがとても怖かった。
「戻らないらしいです」
「ん、俺も聞いたよ」
「…先輩、俺を嫌いになりますか?」
「ばっ、嫌いになるはずが、」
勢いよく竹谷の方を向いた食満の顔が不意に困ったようになって視線が足元に落ちる。
「嫌いには、ならない。ただ、慣れなくて、緊張してるだけで、嫌いなんかじゃない」
「俺、毎日先輩の所いきます。朝も昼も夜も、絶対顔合わせるようにします」
意味が分からないという風に固まった食満に竹谷は「なので早く今の俺に慣れて下さいね」とその手をぎゅうと強く握りしめる。
「俺も努力するから。だからそれで許せよ」
絶対にこちらを向こうとしない食満だが、その耳やうなじまで赤く染まっている。それを見つめ、竹谷は微笑みながら指を絡めて握り締めた。
(つづく)