指先に咲く花
六年長屋に面している庭は植物をこよなく愛する中在家長次の手によっていつも手入れされている。桜の花が散り終え、葉桜へと変わった季節になると他の花々がこぞって花開き、庭は鮮やかなでさながら桃源郷だ。
廊下で足を止めて庭を見ていると同じように足を止めた人物がいた。顔を向けると目が合い、笑顔を向けられる。
「仙蔵も花、見てたのか?」
隣に並んでもう一度庭へと視線を向けた留三郎の白く見えたうなじを見つめていると返事がないのを訝しむように留三郎がもう一度視線を向けてきた。
「…春だな」
仕方なく返事をしてやると満足そうに頷いて「春だな」と同じ言葉を繰り返す。白に近い空が眩しくて思わず目を細める。柔らかく陽が差していてその先では桃色や黄色、橙や赤などの色をした花びらが揺れている。
眩しすぎる。
そう思った仙蔵は近くにあった自室へと戻った。障子を閉めようかとも思ったが、風が入る分にはいいので開けたままにしておく。そうすると「仙蔵」と留三郎が顔を覗かせた。
「…なんだ?」
文机に向かい、本を広げた仙蔵は部屋の入口から覗き込んでいる留三郎へと視線を向ける。入るなら入ればいいのに留三郎はそっと中を覗き込んでいるだけだ。
「…文次郎ならいないぞ。委員会室だろう」
犬猿の仲で顔を合わせれば喧嘩ばかりする癖に互いの姿が見えないと遠回しに探したりする二人に仙蔵はとっくに呆れていた。だから呆れている様が声にもさまざまと出ている。そもそも隠す気もない。
「潮江を、探してるわけじゃねーし!」
ぶわっと顔を赤くして、頬を膨らませてみせる留三郎に「ではなんだ?」と尋ねてやると「俺は、お前に」と言ったきりもごもごと口籠った。次の言葉を待っていたが「お前に、その…」ともじもじしているばかりで言葉が出てこない。
「…用があるなら早く言え」
更に呆れた様子で呟くと留三郎は肩を落とし、仙蔵の顔を窺うようにしながら「仙蔵と団子でも食べようかと思って、持ってきた」と呟いた。
「…うちの後輩が、毎度迷惑かけてるみたいで」
あぁ、その事かと合点がいく。つい先日、留三郎のとこの後輩である福富しんべヱと山村喜三太と共に学園長の使いに出て、そして多大なる迷惑を被っていたのだ。その謝罪のつもりなんだろう。
「茶、淹れてやるから入ってこい」
本を閉じて留三郎の方へと体を向ければ留三郎が嬉しそうに笑みを浮かべた。その笑顔に仙蔵は内心眉を顰めた。
は組の連中は本当に人が良すぎて仙蔵は時折心配になる。伊作の場合は不運だという事で周りも一歩引いた付き合いしかしないだろうが、留三郎の方は面倒見もよく、愛想もいいからその気になる奴だっているだろうに。誰にでも笑顔を見せてほいほい尻尾を振るのは良い事ではないだろう。
仙蔵の心配など知りもしない留三郎は顔を顰めた仙蔵を見て「お、怒っているのか?」と不安そうにしていた。
「お前がちゃんと後輩をしつけないからだろう」
そう言ってやれば眉を下げ、「俺の前ではすごくいい子達なんだよなぁ」と嘆く。そんな悲しそうに団子を食べている姿を見ていると哀れに思えてしまうので結局仙蔵は「まぁ、相性の問題だろうな」とその話を切り上げてやった。
「相性か…」
「あるだろう?お前だって文次郎と顔を合わせば喧嘩ばかりじゃないか」
「あれはあいつが!」
「そういうもんを相性と言うのだろう。は組のお前はは組の一年と相性がいいのだろうよ」
お、この団子美味いな、と舌鼓を打っていると何やら難しい顔をした留三郎がじっと考え込んでいる。そして何やら思い当たったのか「じゃあ、」と口を開いた。
「俺はは組で仙蔵はい組だから相性悪いのか?」
真面目な顔をしているから何を言うかと思ったらそれか。仙蔵が呆れたようにしてみせると留三郎が何故か悲しげに眉を下げて捨て犬のような瞳でじっと見つめてきた。
「…そんな単純なもんでもないだろう。私はお前とこうやって茶を飲んで団子を食べる時間、結構好きだぞ」
ぱっと顔を明るくして留三郎は「お、俺も!」と言う。どうやらその一言で機嫌は直ったようで今度は何がそんなに楽しいのかと聞きたくなるくらい笑顔を浮かべて団子を頬張っている。分かりやすいのは一年の頃から全く変わらないな、と仙蔵は昔の事を思い返す。
廊下の足音が部屋の前で止まり、二人が部屋の入口へと視線を向けると目の下に隈をこさえた文次郎が立っていた。
「おかえり」
「…じゃ、邪魔してる」
喧嘩はしたくないのか、留三郎は視線をすぐに逸らして小さくそう呟いている。
部屋の入り口で立ち尽くしていた文次郎は留三郎を見ても何も言わず、「…寝る」とだけ呟くといつの間にか仙蔵が敷いた敷き布団へと沈んだ。
「…寝たのか?」
文次郎は息をしているか怪しいくらいピクリともしないで沈んでいる。留三郎が心配そうに様子を見ていると仙蔵が「四日程寝てないようだったから疲れているのだろう」と掛布団を掛けてやっていた。
「こいつは本当に馬鹿なんだよ」
同じく組な上に同室なのだから付き合いは人一倍深いとも言える。仙蔵にとって文次郎は自分と全く違う価値観の人間で、理解も出来ない。それなのに目指すものを同じとする変な連帯感で二人は結ばれていて、だからこそこういう時には気を使ってやるのだ。
仙蔵が文次郎の枕元に水を用意するのを留三郎はじっと見つめていた。茶は既に冷めかけていて、湯気は消えている。団子の串だけが笹の葉の上に乱雑に置かれ、さっきまでの雰囲気は突然の来訪者に蹴散らかされてしまった。
「あ、留さんこんなところにいた!」
はぁはぁ、と切れた息を整えながら伊作が部屋へと足を踏み入れて留三郎へと手招きする。
「用具委員の子達が探していたよ」
伊作のその言葉に留三郎は午後一緒に町へと下りる約束をしていた事を思い出した。
「あ、やべ!」
ガタっと立ち上がった留三郎へと仙蔵は視線を向けて「片付けはいいからさっさと行って来い」と追い払う仕草をする。それに一々傷付くような顔をしながらも留三郎は「悪いな」と言って去って行った。
「…留さん、こっちで何してたの?」
食べ終わった串と冷めた茶。そしてぐっすりと眠っている文次郎を交互に見比べながら伊作は仙蔵へと尋ねる。
「詫びにきたようだ」
「…あぁ、喜三太くんとしんべヱくんの事でか」
「相性があるっていうのを教えてやったらやけにしおらしくしていたぞ」
「留さんは誰とでも仲良くなれるって思ってるみたいだからなぁ」
ははっと軽く笑って伊作は部屋を出て行った。伊作が残した言葉を噛みしめながら仙蔵は残っていた茶を啜る。
「あいつはそういうところ、本当にありそうだな」
庭の先で色とりどりの花びらが風に揺れる様を眺めながら仙蔵はぽつりとひとり呟いていた。
*:*:*
「仙蔵、午後予定あるか?」
食堂で声を掛けてきたのは留三郎だった。向かいの席が空いていたのでそこに腰を下ろし、冷奴に醤油を掛けながら仙蔵を見ている。
「いや、別に予定はないが」
「実はな、昨日しんべヱから菓子を貰ったんだ。一緒にどうだ?」
「菓子というと?」
「カステイラだ」
目をきらきらさせている留三郎が幼い子供の様に見え、思わず吹き出すと不思議そうな顔をされた。
「じゃあ私が茶を淹れてやろう」
「あとで部屋に行くよ」
嬉しそうに微笑む留三郎に「あ、でも文次郎は午後から学園長の使いでいないぞ」と言ってやれば笑顔が曇った。
「別に、文次郎に会いに行くわけじゃ」
眉間に深い皺を刻みつけながらそう言う留三郎の顔は凶悪だ。通りかかった一年生が留三郎の顔を見ては「ひっ」と息を止めそうになっていた。
「分かった分かった。だからその凶悪な顔は止めろ」
「…凶悪って、別に普通だし」
「それが普通だったら一年生が泣くからやめろ。じゃあ私は先に部屋に行っている」
仙蔵が腰を上げ、食器を片づけていると後ろから「後から行く!」と声を掛けられた。
あの日から留三郎は時々菓子を持って仙蔵を訪ねてくる。一度目は彼の委員会の後輩であるしんべヱと喜三太が仙蔵に迷惑を掛けた事に対する謝罪の為と目的がしっかりしていた。しかしそれ以後は町で美味しそうな菓子を買っただとか貰っただとかでその度に仙蔵の部屋に訪れる。そしてその度に「文次郎は留守にしているが」と報告すると留三郎が大袈裟に顔を顰めるのを仙蔵はとても面白く思っていた。
菓子を手土産に仙蔵を訪ねてくる留三郎は特に何をするというわけでもない。始めは用があるのだろうと思っていたが、そうでもないらしい。ただ日常的な会話をしたり、庭に咲く花を眺めたりするだけだ。こんな時間の使い方をしていいのだろうか、と思ったりもするが、帰り際はどこか満足そうなので仙蔵は気にしない事にした。
後から行くと言っていた癖に中々現れない留三郎に痺れを切らし、仙蔵が自ら探しに赴くと留三郎は中庭にいた。傍らには彼の委員会の後輩であるしんべヱと喜三太がいる。三人は屈んで小さく背を丸めながらこそこそと話をしていて、話の内容が気になって近付くとしんべヱの「お菓子が嫌いな人はいません」という言葉が聞こえてきた。
「そうですよ〜食満先輩はかっこいいんですから、もっとどんと構えてなくちゃ〜」
「そうそう。お菓子持って食満先輩が遊びに来てくれたら僕たちだってすごく嬉しいんですよ?」
「だから先輩の好きな人も好きになってくれますって〜僕としんべヱの作戦を先輩は疑うんですか?」
後輩にそう言われて、「疑ってはない!」と否定する留三郎は必至そのものだ。そして仙蔵の気配に気付いた留三郎が振り返り、仙蔵を見つけると顔を青くした。
「…あ、立花先輩だぁ」
「今大事な話しているんで遊んであげられないんです〜」
二人は留三郎の腕にしがみ付きながら仙蔵へとそんなことを言った。留三郎と言えばまだ顔を青くして仙蔵を見ている。
「僕たちに何かようですか〜」
喜三太の言葉に仙蔵は首を振り、「用があるのはお前達じゃない」と告げた。そうすると留三郎の方がびくりと動く。
「いつまで待たせる気だ、留三郎」
「え…あ、ご、ごめん!」
腰を上げた留三郎はどこか気まずそうに視線を逸らしている。その様子に苛つきを覚えた仙蔵は留三郎の手を取り、自室に向かって歩き出した。
「あ、しんべヱ、喜三太!またな!」
留三郎はそう言って二人に手を振りながら仙蔵の後に続く。気まずいと思っているらしく、声はかけてこない。部屋の前に辿り着くと仙蔵は留三郎の手を離した。
「今日は文次郎はいないんだが、」
仙蔵がそう言うと留三郎はまた眉間に皺を寄せ、「だから、俺は文次郎に会いに来たんじゃ、」と口を尖らせる。その言葉を遮るように仙蔵は口を開いた。
「私に会いに来たんだろう?」
「…うっ」
どうやら図星のようで留三郎は顔を赤く染めて俯く。
「ちがうのか?」
「ち!ちがわな、い」
留三郎は頬を赤く染め、唇を少し突きだすような不満気の顔で仙蔵を見ていた。
「…お前一年生相手に相談って」
くすくすと仙蔵が笑うと緊張が解けたのか留三郎が「だって」と言う。
「仙蔵と一番仲いいのはあのふたりだって言ってたから」
「…それでも一年にっ」
六年生の留三郎がまだ色恋のいの字も知らない一年生に相談している図を思い出すと笑わずにはいられない。本格的に笑い出した仙蔵を前に留三郎は顔を真っ赤にしながら居心地悪そうにしている。
「笑いすぎだろ!」
「いや、だっておかしくて…よりによって、一年に」
「あーもう!仙蔵!笑いすぎ!」
「…はーでもまぁ、何も心配するような事はないんだが」
「…え?」
仙蔵は留三郎の腕を強く引いて部屋に引き込む。力が強かった為に留三郎は「おっとと」と部屋の真ん中でようやく体勢を整えた。仙蔵はそんな留三郎を見つめ、笑みを浮かべながら後ろ手で障子を閉める。
「好きだぞ。留三郎」
甘い声でそう言ってやれば、留三郎の顔が更に赤く染まる。潤んだ瞳でじっと仙蔵を見つめてくるのが愛しくて、仙蔵は無意識に留三郎の頬に指先を伸ばす。仙蔵は指先に熱を感じながら、自分でも聞いた事のないような甘い声でもう一度彼の名を呼んでいた。
(おわり)
(2012/4/28)
由岐さん誕生日おめっとううううううう!!!
誕生日プレゼントに仙食満を書いてみました…!
うちの留三郎はアホの子なんですが、仙食満になると尚更おつむが弱い感じになるみたいですwww
こんな仙食満になっちゃったけど、喜んでくれればいいなぁーと思います。
最後にもう一度!由岐さん誕生日おめっとう!!!