"アイ"のある部屋にて








春が過ぎ、梅雨に入る頃になるとあんなに穏やかになっていた三郎がまた荒れだした。苛立った様子など、この一ヶ月強見せなかったというのに、梅雨に入ってからはまたピリピリした空気を身に纏うようになっていた。
家に訪れる時も大抵機嫌が悪い時で、部屋に入っても何も言わず、冷めたような目と冷たい手で留三郎を組み敷く。こういう三郎には慣れている筈だったが、ここ一ヶ月は楽しい時間が多かった分、以前よりずっと酷くされているような気にもなった。

空は灰色の雲が垂れこんでいて、青い空はちらりとも窺えない。晴れている時と比べると視界もどこか薄暗く、まるで鉛を飲んだように浮かない日々が続く。
翌日に控えたテスト勉強の為に留三郎は丸一日家に籠っていて、気分転換にコンビニでも行くかとドアを開けた時、そこにずぶ濡れの三郎が立っていた。以前にもこういう事はあったが、留三郎を見つめるその瞳は以前よりも暗く、思わずぞっとするほどだ。あの目だ、と留三郎は思った。電車へ飛び込んだ男と同じ目を目の前の三郎がしている。

「さぶろ」

名前を呼んで手を伸ばそうとすると、三郎が留三郎の手を取った。驚くほどに冷たいその手に驚いていると三郎がまるで痛みを我慢するかのように顔を歪ませながら「あんた、ほんと馬鹿っすね」と掠れた声で言った。
え、という言葉すら言わせて貰えなかった。唐突に部屋に入ってきた三郎は、後ずさった留三郎の手を取り、ベッドへと押さえつける。馬乗りになった三郎から幾つもの水滴が落ちる度、そこから幸せや温かいものといった大事なものが奪われていくような気がした。

今までだって強引なセックスは何度もあったが、今までならどんなに乱暴でもちゃんとクリームやローションで慣らしてくれた。でも今回はの三郎は、いつもよりずっと冷たい目をしていて、そして留三郎の中を慣らそうともしなかった。恐怖で青ざめている留三郎のことなんか気にもせず、三郎は既に勃ち上がっている自分のものを取り出し、ゴムもつけずに留三郎の秘孔へと宛がう。

「さぶ、ろ、やだ、やめて、やめてくれ」

涙を浮かべてそう懇願する留三郎の声が邪魔だったのか、三郎は留三郎の顔を枕へと埋めてから無理やり留三郎の中へと入ってきた。
悲鳴は枕に遮られた。息が苦しくなると頭を抑え込む手が離れ、呼吸するとまた枕へと押さえつけられる。呼吸が出来ない苦しさと痛みで意識が遠退きそうになりながらも、その度に現実へ引き戻されるので苦痛は終わらない。

「あっ、ぁっ、さぶ、ろぉっ、やめっ」

腰を激しく打ち付けられながら、いつの間にか留三郎は応えるように自ら腰を振っていた。シーツを強く握り、開いた口からは涎が垂れて糸を引いていた。目からは涙が溢れ、シーツを濡らす。
中で三郎が果てたのが分かり、ぶるりと体震えた。三郎が腰を支えていた手を離すとがくりとその場に崩れ落ちる。犬のように浅い呼吸を繰り返し、震える手でぎゅうとシーツを握りしめていた。

「…こんなんでイけるなんて、あんた変態だな」

蔑むような声に体を見返すと、いつの間にか射精していてシーツを汚している。何かの間違いだと思ったが、どう見てもそれは間違えようのない事実だった。無理に突っ込まれたので切れてしまったのだろう。動こうとするとその場所が痛み、そしてどろりとしたものが太腿を伝う。

三郎は深く息を吐くと床へとベッドへと腰を下ろした。背を向けられているからどんな表情をしているのか見えない。今三郎がどんな顔をしているのか確かめたくて、留三郎は痛む体を無理やりに起こし、シーツの上にある三郎の手へと触れる。
指先が僅かに触れた時、三郎が笑った。

「留先輩、アンタ阿呆っすね。俺みたいな男に引っかかって、男初めてだったんでしょ?それくらい抱けば分かります。」

三郎は言い捨てるようにそう言って留三郎へと視線を向けた。逆行の所為か、瞳は相変わらず暗い。留三郎が何も言わず黙っていると三郎は苛立ったように眉間に皺を寄せ、また留三郎をベッドに押し倒した。三郎の長い指が首へと回り、ゆっくりと締めていく。

「先輩可哀想っすね。ハチみたいに良い奴だって傍にいたのに。兵助とかさ意外と恋人大事にするし、そっちとだった方が幸せになれたのにね。伊作先輩に知られたら、きっと馬鹿だってアンタ言われるよ。なんでよりによって俺なんだってね。ほんと可哀想な人だね。アンタは馬鹿で、本当に愚かだ。こんな俺を追い出しもしないんだから」

留三郎を傷つけるような台詞を吐く三郎だが、そんな言葉を口にする度に傷付いている顔をしていた。言葉を繰り出せば出すだけ傷付く癖に言わずにはいられないのか。それともそうしなければいけなかったのか。そんな事留三郎は知りようがなかったが、三郎はそうやってわざと留三郎を傷つけるような発言をして自分を傷つけていた。

泣き出しそうに歪み三郎の顔を見つめながら、留三郎はずっと黙ってその瞳を見つめている。留三郎が何も言い返さないと分かると三郎は「もーいいよ。もうさ」と泣き出す一歩手前の笑顔で手を離した。
三郎の手はだらりと力なくシーツの上に落ちる。それを横目で見て、留三郎はもう一度三郎の手へと自分の手を重ねた。

「…最後にさ、ひとつだけ聞きたい事あるんだけど」

掠れたような声で三郎が囁く。「なんだ?」と聞き返してやれば、三郎がゆっくりと顔を留三郎へと向けた。

「…あの時、どうして手を繋いできたんすか」

その問いに留三郎は黙り込んだ。いつか聞かれると思っていた。そして、その時どう答えるべきかとずっと悩んでいた。けれど、結局どう考えても本当の事を言うしかない。嘘で誤魔化せば、それはきっと碌なものを連れては来ない。

「…お前が車道の方に飛び出すんじゃないかって思ったんだ」
「は?そんな馬鹿な」
「分かってる。そんな事するわけないって分かってたけど、それでもあの車道側の闇の方へお前が引きずり込まれそうな気がした。だからお前の手を掴んだんだ」

三郎の手を握り締めながら留三郎は答えた。留三郎の言葉に耳を傾けていた三郎は暫く黙っていたが、急に笑い出した。

「やっぱり、俺の勘違いだったんすね。それなのに後輩にケツ掘られて、アンタとんだお人よしっすね。救いようない阿呆ですよ」
「…どんな形であれ、先に手を伸ばしたのは俺で、手を繋いだのは俺だ。だから今も繋いでる。けど、三郎が離したいなら離せばいいよ。俺が繋いだからってそれに応える義務が三郎にあるわけじゃない」
「何言ってんすか」

三郎は全てからしらばっくれるように冷たい声で呟く。留三郎は痛む体をもう一度起こして三郎の横顔を見つめた。

「なぁ三郎。これだけ試すような事をして、お前は何が知りたかったんだ?何か分かったのか?…俺は、俺からは手を離さない。お前ももういい加減、疑うのも試すのも止めろって」

留三郎の言葉を聞き、三郎は俯いた。そして「アンタが何を言ってるのか、良く分からないです」と言い、留三郎の手を離す。
一度だけ視線は合ったが、すぐに逸らされ、三郎は黙ったまま部屋を去って行った。
シンと静まり返った部屋の中で留三郎は自分の手を見つめていた。さっきまで繋いでいた三郎の手の冷たさを思い出し、そして閉まってしまったドアを見つめる。

多分、終わった。終わってしまった。何がと言われれば答えようがないが、名前をつけてあげられなかった関係が、今一方的に終わった。

部屋の中は薄暗く、空気が湿っているからかいつもより精液の匂いが鼻につく。どろりと中から溢れてくる感覚に顔を顰め、留三郎はもう一度ベットに横になった。手のひらを天井へと伸ばすと天井が幾段高くなったような錯覚に陥る。俺達の関係はこんな錯覚のようなものだったのだろうかと留三郎はひとり思う。

「結局、お前は何が欲しかったんだよ」

愛に飢えた獣のような顔をしていたさっきまでの三郎の顔を思い出し、留三郎は瞼を閉じる。三郎の本心を知りたいと思ってしまった事から始まった関係は、結局何ひとつ知る事が出来ないまま終わってしまう。
さっきまで何とか耐えていた雲から雨粒が勢いよく降り出し、雨音が部屋に響き始めた。留三郎は三郎がどこかで泣いているんじゃないか、とそんな事を考えていた。





*:*:*





窓から差し込む眩しすぎる光に目を細め、留三郎はカーテンを閉めた。梅雨が終わって幾日か経ち、季節はすっかり変わっていた。雨に映えていた紫陽花も徐々に上がって行く気温に項垂れるようになり、空の青さが日に日に増していく。
三郎はあの日以来留三郎の部屋を訪れなくなり、時々学校で見かけるのと、飲み会で顔を合わせる以外には特に連絡も取り合わない。話しかける事もないし、話しかけられる事もなく、ただの知り合いとして過ごしている。以前に戻ったというのではなく、互いの間にもっと距離が出来たような感覚を留三郎は覚えていた。

飲み会の席で小平太と仙蔵にいじられて笑っている三郎を見て、三郎の機嫌が悪い事に気付くのは留三郎だけだった。無理がないようになるべく自然に話題を変えてやると、三郎と留三郎の方へと視線を向けた。少し驚いたようにしていたが、すぐに視線は逸らされる。感謝されたいなんて思っていた訳じゃないので留三郎もすぐに皆の話題へと入って行った。

飲み会が終わり、部屋へと戻ると靴箱の上に置かれているライターへと視線が止まった。それは三郎が忘れていった物だ。ライターの他にもシルバーの指輪やゲームソフトなどがこの部屋には残されている。三郎が取りに来る気配もないが、処分する気にもなれないのでこうやって靴箱の上に置いているのだ。
靴を脱ぎ、冷蔵庫を開けた時、カタンとドアの外から物音がした。このアパートでは郵便受けは一階にしかなく、ドアに郵便物を入れるための隙間などない。各階に部屋がひとつしかないこのアパートの最上階の部屋なのだから人が訪れる事も少ない。そしてこんな遅い時間にこの部屋を訪れる人間を留三郎はひとりしか知らなかった。
冷蔵庫のドアを閉じ、玄関へと急ぐ。鍵を開け、ドアを開けようとすると外側から抑え込まれているらしく簡単には開かなかった。

「自分から離した手をもう一度っていうのは虫が良すぎる話っすよね」

声は小さく、耳を澄まさなければ聞こえなかったが、それは紛れもなく三郎の声だった。

「そんなことないさ。離した手でももう一度繋げるだろ」
「…先輩ってさ、面倒見良すぎるっていうか、ここまで来るとほんと阿呆ですよね」
「まぁ、頭悪いって事は知ってるし、それでもいいって思ってるからな」
「俺みたいなのにかまけるより、もっと他の、例えばハチとか兵助とかみたいなやつにかまけてた方が倖せだっただろうに」

三郎の声は沈んでいるように聞こえた。以前から事あるごとに竹谷と久々知の名を出す三郎が留三郎はもどかしかった。

「言っておくけどな、俺は別にホモじゃないし、お前じゃなきゃあの時手を伸ばさなかったよ。俺はそれが答えだって思ってんだけど」

竹谷でもなく、久々知でもなく、三郎だったからこそ手を伸ばしたのだ。それをこんな風に言われるとさすがに頭に来る。

「…それを気の迷いじゃなくて答えだって言っちゃうアンタって」

外側からドアにかかっていた力が消え、留三郎がドアを開くと泣き出しそうな顔をした三郎が立っていた。

「アンタってほんと、バカっすよ」
「うん。でもお前はもっとバカだよ」

留三郎は笑いながら三郎を抱きしめる。ぎゅうと強く抱き締めると三郎が「痛いっすよ」と言いながらも腕を回してくれた。

「今夜は俺が抱いてやろうか?」

スンと鼻を鳴らした三郎に留三郎がそう言うと、三郎が勢いよく体を離し、ものすごく嫌そうな顔で「え、嫌っす」と答える。あまりにも嫌そうで思わず留三郎は笑ってしまった。

「何笑ってんすか、ほんと嫌っすからね」
「あーはいはい。っていうか早く入れよ。外から丸見えだし」

留三郎がドアを大きく開いて三郎を部屋へ招き入れようとすると三郎が突如振り返り、静まり返った空へと「この部屋の人ホモっすよー」と叫ぶ。

「うわ、何言ってんだよ!」

三郎の頭を小突き、腕を引っ張って部屋の中へと引きこむと留三郎はドアを急いで閉めて鍵を掛けた。

「あーもう、お前なぁ」

呆れたような留三郎の声に三郎は床へと腰を下ろしながら楽しそうに笑っている。

「アンタほんとに怒んないんっすね」

玄関に座っている三郎へと手を差し出し、体を引き起こしながら留三郎は「あーでも前みたいに慣らさないで突っ込もうとしたら怒る」と返す。そうすると三郎の顔がみるみる罪悪感一杯というような顔になった。

「あれは…もうしませんよ。本当にすみませんでした」

素直な三郎に驚きを隠せず黙っていると、今度は恥ずかしくなってきたのか「何見てんすか」とガンを飛ばしてくる。

「今日はほんとに俺が抱いてやろうか?」
「それ次言ったら犯しますよ」

ぎろりと睨みつけてくる三郎に「おー怖い怖い」と言いながら留三郎は笑う。

「本気っすからね!」
「分かったって」

ケラケラ笑う留三郎が気に食わないのか三郎はまだしかめっ面をしていたが、それでも以前の様に途方もない距離を感じない。手を伸ばせば触れられる確かな距離にいる。

「…明日さ、行きたいとこあるんだけど」
「何処っすか」
「水族館。チケット一枚余ってんだけど、三郎一緒に行かないか?」
「…行ってもいいっすよ」

突然抱きついてきた三郎が留三郎の肩へと顎を乗せる。急に甘えてきたので驚いたが、ここで驚いた態度を見せるときっとまた警戒されてしまうだろう。だから留三郎は何食わぬ顔で三郎の背中へと手を回して「明日晴れるといいな」と目を閉じた。


 

(おわり)





(2012/03/26)

愛情を試さずにはいられないめんどくさい系男子の三郎と、
一度関わったら自分からは手を離さない系男子の留三郎です。

この二人はそのうちリバになるなって思うし、愛情試してばっかりいる三郎に留三郎がマジ切れするのも近いと思います。
あと、感情を少しはコントロールしろよなって怒られるのも近いと思います。
竹谷と久々知が食満くんを気に入っている訳じゃなくて、単にこの二人に劣等感がある三郎です。こういうところがめんどくさいところだと思うの。
三郎の日らしいので今日あげるよ!