四月二日のうそつき
桜が風にその花びらを惜しみなく散らせるその様を庭先からぼんやりと眺めている姿があった。桜の木の上から辺りを眺めていた鉢屋三郎は、その人影を見つけるや否や、微笑みを浮かべる。
同学年で同じ組でもある不破雷蔵の顔を借りている三郎だが、その笑みを浮かべた表情は三郎独特のもので雷蔵とは似つかない。三郎はひらりと木から下りるとまだ三郎の気配に気付かないその人影へと近付く。
庭先から桜を見上げていたのは六年の食満留三郎だった。壁の補修をしていたのだが、桜が風に花びらを散らすその様子に思わず見入っていた。頬に修理の際に使う漆喰が付着していたが、本人は気付いていない様子である。
作業中の手を止めて桜の木を見上げる留三郎の背後から三郎は音も無く近付く。
「食満先輩!」
わっと背後から驚かすように声を掛けたというのに、名を呼ばれた筈の留三郎はぴくりとも反応しなかった。
「先輩?」
背後から顔を覗き込むようにしてきた三郎の髪を片手でぐしゃぐしゃと撫でながら留三郎は声も無く笑っていた。
「気付いていたっつーの」
「…ちぇっ」
留三郎に気配を読まれていた事に肩を落としてまで落胆する三郎だが、次の瞬間には留三郎の隣りに立ち、「何を見ていたんです?」と同じよう視線を桜の木へと向けた。
三郎の変わり身の早さは気分屋の彼ならではかもしれない。
「ん?鶯がさ、ほら」
留三郎の差した先には小さな鶯が一羽、枝に留っていた。
「ほーほけきょ」
ようやく鳴いたその鳥に、三郎も留三郎は「うわ、下手くそ」と思わず笑ってしまう。
「鳥はみんな歌が上手いと思っていたが、それは思いこみだったんだなぁ」
「練習すればきっと上手く…」
そんな三郎の言葉を止めたのは下手くそな「ほーほけきょっ」であり、二人とも顔を見合わせては声を殺して笑う。鶯はいまいち自分の鳴き声に納得出来ていないようで、首を傾げては違う枝に留り、また「ほーほけきょ」と鳴いた。
「何か三郎みたいだな」
唐突な留三郎の言葉に三郎は一瞬考え込んでしまった。
「…何が私みたいなんですか?」
「あの鶯」
留三郎が指したのはやはりあの鳴くのが下手な鶯であり、思わず三郎は「どこが似てるんですか」と不機嫌な声で聞いてしまった。下級生からは天才と言われることだってあるし、六年生にだって簡単に負ける気はしない。本当の顔を五年間守りぬいた実績から言っても実力はある方だと自負している。そんな自分を捕まえて鳴くのが下手な鶯に似ていると言われるなんて三郎は思ってもみなかった。それでも目の前で留三郎は口元に笑みすら浮かべている。
「だってあいつ真面目だろう?ちゃんと練習して」
留三郎は真面目に鶯を見つめながらそう呟く。
「そういうところ、似てるなって」
視線を鶯から三郎へと移して留三郎は微笑む。その笑みには邪気など全くなく、心からの言葉と取っても良さそうだった。
三郎は下級生から天才だと言われている。そんな三郎を捕まえて留三郎は真面目だと言った。天才という言葉と真面目という言葉は相反しているし、そもそも三郎は常に雷蔵の顔を借りていて誰かに変装しては一年生をからかってばかりいる。そんな三郎を一年生は口が裂けても真面目だとは評価しないだろう。それでも留三郎はその評価を変えようとはしなかった。
「俺は、お前のそういうところは見習いたいって思ってるんだ」
「…褒めても何も出ませんよ」
三郎は照れからか、素気なくそう返したが、留三郎は「褒めても無いし、何もいらん」と笑っている。
「…食満先輩の方こそ」
「ん?」
三郎はまだ鶯へと視線を向けている留三郎へと話しかける。
「いつも隠れて独りで鍛錬してるじゃないですか。誰にも見られない様、わざわざ裏裏山まで行って」
「なっ…なんで、お前がそんなの知ってるんだよ!」
慌てた様なその大きな声に驚いたのか、鶯はパタパタと目の前の桜の木から飛び立ってしまった。
「あ」
残念そうに留三郎は空を見上げ、鶯が去っていく方向へと視線を向ける。
「お前が変な事言うから鶯逃げちゃっただろ」
「変な事じゃないですよ。事実です」
にっこりと意地悪く三郎が笑うと少し口を尖らせて留三郎は「お前は俺が嫌いなんだろう」と突拍子も無い事を言い出した。けれど三郎は慌てない。彼がこんな風に拗ねるのは初めての事ではないからだ。
「まさか」
「嘘だ」
「嘘じゃないですよ。何度も言っているじゃないですか」
留三郎は困った様な表情のまま、ちらりと三郎の顔を窺った。だから三郎は笑みを浮かべ、留三郎へと微笑みかける。
「私、こう見えても食満先輩のこと結構本気で好いてるんですよ?」
三郎のその言葉にまるで桜の花びらのように頬を染めて、留三郎は固まってしまった。その顔を見つめがら三郎は余裕の笑みを浮かべている。
「私の言っている意味、分かってますか?」
「し、知らない」
「じゃあ知って下さい。好きですよ」
そうやって追い打ちまで掛けて来る三郎の言葉にぐるぐると色んな事を考えていた留三郎だったが、ひとつ思い当たる事を思い出した。
「あ、そうか、お前もえいぷりるふーるとやらを知ってたのか!」
またもや突拍子も無い事を言い出した留三郎に今度は三郎が「えいぷりるふーる?」と首を傾げる番だった。
「そう。四月の朔日は嘘を吐いてもいい日だってしんべヱが言っていたんだ。何でも西洋では流行ってるとか。でも今日は二日だからお前間違ってるぞ」
顔を赤く染めたまま、そんな事を力説する留三郎に、三郎は寂しげな笑みをひとつ浮かべて、「そうですか」とだけ呟いた。
「…貴方がそう思うのなら、それでも結構ですよ」
そう言った三郎の表情があまりにも寂しげなもので、留三郎は思わず言葉が止まる。
さっと差し出された三郎の手に留三郎は構えたのだが、三郎はそっと留三郎の頬を撫で、「漆喰、ずっと付いてましたよ」と頬を拭いてくれただけだった。
「じゃあ、私はこれで失礼します」
あっさりとその場を後にする三郎の背中に、留三郎は声を掛ける事が出来ず、黙って見送る。そして三郎の姿が見えなくなると「…ああああ」とひとり呻いてはしゃがみ込んだ。
三郎の言葉よりもあの悲しそうな表情の方が明確に三郎の心を表わしているように思える。そしてその表情を留三郎は忘れられそうにもない。思い出した瞬間、胸を刺すのは紛れも無い罪悪感だろう。
「…うそつきは、俺か」
誰もいない庭先で留三郎はひとりそう呟き、足元に散った桜の花びらを見つめていた。
(おわり)
(2011/04/01)
最初はノリだったけど否定される度に結構本気になってきた三郎と、三郎を真正面から受け止める気がない留三郎の話。
この二人名前が似ていて、途中で『?』ってなる。
この留三郎は駆け引きが出来無さ過ぎて、笑えるよね!