『titre du non』





ひそひそと交わされる女子たちの会話や漫画を見ながら笑い合う男子達の声が西日が射し込む室内に響く。放課後の教室に響く声は明日から連休ということもあってかどこか希望に満ちたようなものが多い。そこにひとりの少年が教室へと入ってきた。
ぽっちゃりとした体に穏やかな笑みを浮かべて彼は教室内にいた男子に「お待たせー」と声を掛けた。
その声に女子たちが視線を向け、「あ、しんべヱちょうどよかった!」と教室に入って来たばかりの少年へと手招きをする。
唐突に呼ばれたことに少し戸惑いながらしんべヱと呼ばれた少年は女子の方へと近寄り、そんな彼に少女たちは見ていた雑誌を突きつけた。
それは美味しいケーキ屋を特集している雑誌で、色んな店が美味しそうなケーキ紹介と共に載っている。
その中のひとつを彼女たちはマニュキュアの塗られた指先で指した。

「ここ、行った事ある?」

彼女たちの質問にしんべヱは「えーどこ?」と雑誌を覗き込む。
そこには英語によく似た店名が書かれている。

「あぁー『titre du non』なら知ってる」

しんべヱは笑顔を浮かべて目の前の二人の女の子を見た。
そんなしんべヱの背後から眼鏡の少年と釣り目の少年が雑誌を覗き込み、「しんべヱ行った事あんのか?」と尋ねるとしんべヱは頷いた。
「うん。ほら、食満先輩がやってるとこだよ」としんべヱが指差したのは雑誌に小さく載っている写真だった。

「あーほんとだ!食満先輩だ。店やってんのか」
「きりちゃんちょっと私にも見せてよ」

二人の少年が交互に雑誌を奪い合い、二人とも「食満先輩料理上手だったもんね」と納得したように頷く。その様子を見ていた女の子二人は顔を見合わせて「ねぇ、その店今から行かない?」とにっこり笑って提案してきた。

「え、今から?ユキちゃんとトモミちゃんと?」

驚いたような三人を少しだけ睨みつけて二人は「そうよ」とそっけなく返す。

「でも悪いけどオレは金ねーから」

きりちゃんと呼ばれていた釣り目の少年がわざとらしく肩を落としてそう告げるとユキとトモミと呼ばれた二人が「きり丸、ケーキひとつくらいなら奢るわよ」と笑みで返す。
奢ると言われた瞬間にきり丸と呼ばれた少年は態度を変えて「お供させて頂きます」と床へと片膝をついて笑った。

「もーきりちゃんは調子がいいなぁ」
「だって今日は何の予定も入ってねぇしさ。乱太郎だって暇だろ?」
「…暇だけど…ねぇ、どうして二人はこの店に行きたいの?」

乱太郎と呼ばれた少年の問いにユキちゃんとトモミちゃんは顔を見合わせて「だって店長がイケメンなんだもん。実際に見てみたいじゃん?」と当たり前と言わんばかりに告げる。

「あー…食満先輩確かにかっこいいよね…」

納得したように乱太郎は頷き、隣りに立っていたしんべヱは「そしてケーキがすっごく美味しいんだよ」と笑う。

「私達も別に予定はないから、一緒に行こうか」

乱太郎がしんべヱにそう提案すると待ってましたと言わんばかりに二人の鞄を肩にかけたきり丸が駆け寄ってきた。
机の上に出されていた教科書もきちんと仕舞っているという用意周到さだ。

「きり丸はタダっていう言葉と奢りっていう言葉には心底弱いね」
「まぁ、それがきりちゃんだよ」

ユキちゃんとトモミちゃんの一歩後ろを歩き、振り返っては二人を呼ぶきり丸へ二人は手を振り返して駆け寄った。


*:*:*


細い路地裏を一列になって歩いている姿は蟻の行列にも似ていて、一番後ろを歩いていた乱太郎が振り返ると路地の入口が遠くに見える。
すれ違う人達は皆同じ袋を提げていて、そのお洒落な紙袋にはしんべヱが言っていた「titre du non」という店名が書かれていた。

「結構人気あるみたいだね」

ぽつりと漏らしたその言葉へすぐ前を歩いていたきり丸が「え、何?」と振り向き、乱太郎は慌てて「何でもない」と笑った。
真っ白い壁が続いていた道に店は唐突に現われた。
細い路地裏の端にドアとメニューの書かれた黒板が現われたのだ。
ドアには「open」と書かれた札が掛けられ、透明なガラスの向こうに色とりどりなケーキが並んでいるショーケースが見える。

「ここ?」
「ここ」

ユキちゃんとトモミちゃんの言葉にしんべヱは一度頷いた。
そんな五人の前でドアが開き、「ありがとうございましたー」という声が響く。
品の良さそうな女の人がドアを開けてくれた店員にペコリと頭を下げ、五人の横を通り過ぎていく。その女性の手にも勿論この店の店名が入った紙袋がぶらさがっていた。

「富松先輩!」
「お、しんべヱーいらっしゃい」

白いシャツに蝶ネクタイと黒いベストに黒いズボンを身につけた大学生くらいの男の人がくしゃっと笑顔になった。

「きり丸に乱太郎、えっとその二人は誰かの彼女か?」
「いえ、彼女じゃありません」

きっぱりと否定され、その口調の強さに驚いたような顔をした富松と呼ばれた人は大きくドアを開き、「何はともあれ、いっらっしゃい」と店内へと五人を招いた。


陽が入るようにと反対側の壁はガラス張りになっており、店内にある家具も明るい色に統一されている。高めの天井に設置されているシャンデリアはゴージャスというよりは好感が持てるほどの可愛いもので、店内に入った瞬間からユキちゃんもトモミちゃんも「可愛い〜」を連発していた。
二人席と四人席、反対側のドアからは表に面した外にもテーブルが設置されていた。
また、キッチンの様子が見えるようにと壁の半分ほどがガラスになっていて、そのガラスの向こうでは食満先輩が生地を捏ねているのが見える。

「ケーキはショーケースに並んでいるので決まったら声を掛けて下さい」

小さく可愛いメニューをテーブルの上に二つ置いた富松先輩は小さく会釈をして、別の席の注文を取りに行った。

「この花瓶可愛い〜」
「あ、見て見て、掛けられている絵がすごいよ」

ユキちゃんとトモミちゃんは店内を見渡してはキャッキャと楽しげに笑い、そして「ケーキ見に行こうよ」と座っていた乱太郎やきり丸、しんべヱを呼んだ。
ショーケースに並ぶのはとても色鮮やかで美味しそうなケーキばかりだ。
チーズケーキひとつにして形が四角になっていたりと手間がかかっているように見えるのに値段は意外とリーズナブルで、店内をよくよく見渡すと学生の姿もちらほら見えた。

「ねーねーユキちゃんは何にするのー?」
「苺のコレとタルトで悩んでるー」
「じゃあ、あたしがタルトにするから苺のにしたら?」
「いいのー?後で一口食べさせてね」
「もちろん」

高い声でそんな風に笑っている二人の傍で乱太郎ときり丸はまだケーキを決めかねていた。

「美味ければいいんだけどな」

そう呟いたきり丸の声に「じゃあ、コレにしな」と返事が返ってくる。
驚いて顔を上げた二人の後ろには食満先輩が立っていて、二人ににっこりと笑いかける。

「お久しぶりです!」
「久しぶりだな―来てくれて嬉しいよ。悩んでるんだったら、とりあえずウチのお勧め食べていけよ」

そう言って食満先輩はタルトとシフォンケーキをひとつずつ富松先輩に取りだすよう指示した。

「これ、俺が初めて作った創作ケーキ。あ、梅は大丈夫か?」
「梅好きっすよ」
「なら、これ食ってけ!飲み物は何がいい?」

食満先輩は乱太郎ときり丸へとメニューを手渡して「奢るよ」と笑う。

「え、えーと、私は紅茶で」
「なら、俺は一番高いので!」
「ははっ、きり丸はかわんねぇなー。一番高いの…炭酸水になるけどいいのか?グレープフルーツとピーチはどっちが好き?」
「じゃあグレープフルーツで」
「おっけ。席に戻って待ってな」

食満先輩の言葉に二人が頷いて席に戻ると既にしんべヱの前には食べ終わったケーキの残骸がいくつもあった。ユキちゃんやトモミちゃんはトイレに行っているみたいで鞄だけが置かれている。

「しんべヱーもう何個食うつもりなんだよー太るぞー」
「お前さ、そんなに食って金持ってんのかよー」

二人の言葉に返事をしたのはしんべヱではなくケーキを運んできた食満先輩だった。

「しんべヱには前もって金はもらってるんだ。だから払わなくていいんだよ。ほら、お前らのケーキだ」

二人の前に白い皿が並べられ、その上には頼んだケーキだけじゃなくフルーツや生クリームがのっていた。皿やフォークがシンプルな分、ケーキとフルーツが映える。
「うまそう」ときり丸が呟くと「うまいぞ」と食満先輩が笑い、その時トイレから戻ってきたユキちゃんとトモミちゃんが食満先輩に気付いて慌てて戻ってくるのが見えた。
そして二人は席に着くなり「このお店の店長さんですよねぇ?」といつもよりも高い声で質問する。よく見ればリップのテカテカ具合もいつも以上だ。

「え、あぁ、そうです。店長の食満と言います。君たちはしんべヱたちの友達?」
「はぁい!友達ですー!この雑誌に載ってて、それで連れてきてもらったんですよぉー」

二人はそう言って雑誌を取り出し、この店が載っているページを開いた。

「うわぁ、何か照れるなぁー。来てくれてありがとう」
「いえー店内も綺麗だし、ケーキも美味しそうだし、あの、店長さんもカッコイイですよね!」
「もーユキってば正直ー」
「だってかっこいいもんー」

二人は互いに肩を軽くぶつけ合って笑いながら、照れたようにありがとうと告げた食満先輩に「照れてるーかわいいー」とまたまた黄色い声を掛ける。

「あ、そういえば、さっき怪しい人がいましたよ!」
「そうそう、何か包帯巻いた黒尽くめの人が隅っこの席に居て、ほら、また見てる!!」

ちらりと左側の奥へと視線を向けた二人は雑誌で顔を隠して「何か怖いんですけどー」と助けを求めるように食満を見上げた。
黒尽くめの男の人へと視線を映した食満先輩は「あー…あれはこの店のオーナーだよ」と苦笑しながら二人に告げる。

「え、オーナー?!」
「そう。たまにケーキ作るのも手伝ってくれるし、あと店内にある絵は全部あの人が描いたものだしね」
「すっごぉーい!画家ってこと?!」

さっきまでは怖いと言っていた癖に画家だと聞くと二人は「やっぱり普通じゃないって思ってたんだー」と納得したように頷いている。そんな二人へと苦笑しながら食満先輩は「すごい人だよ」と頷いた。

「でも、オーナーがいるってことはこの店は食満先輩のものじゃないってことですか?」
「そうだよ。元々此処はあの人がやってる店だったんだ。そこの内装を変えて、もう一回新しい店としてオープンして、そこの店長を任せてもらってるんだ」
「へぇー」
「雇われ店長ってことか」

きり丸はケーキにフォークを入れながら生意気に呟いた。その言葉に食満先輩は「…まぁね」とだけ返す。

「じゃあ早く自立して自分の店持ちたいんじゃないんですか?」
「…あー別に自立は考えてねぇよ。暫くはこの店でいい」

満足したように笑う食満先輩には不満なんてなさそうで、乱太郎はこれ以上質問するのをやめた。
そして黙って出されたケーキへとフォークを入れ、口へと運んだ。

「おいしい!」
「うめぇー!」

一口食べたきり丸と乱太郎のその言葉に食満先輩は嬉しそうに顔を緩ませて「嬉しいなー」と笑う。

「ほんと美味しい!甘すぎないし、私これならもう一個くらい食べれそう」
「分かる分かる!梅もいいけどこの赤いのもうめぇ」
「赤いのはイチジク。これな、俺が作ったんだぜ!っていうか、褒めても何も出ねーからな!」

食満先輩はそう言いながら飲み物を運んできた富松先輩に「新作のケーキ、五人分出してきて」と耳打ちしていた。


*:*:*


「また来いよ!」

そう言って手を振る食満先輩にぺこりとお時儀をして五人はまた細い路地裏へと出た。
もう太陽は頭上には無く、空は燃えるような赤に染まっている。

「ご馳走様でした」

何度も食満先輩へと手を振り、来た道を戻る。
路地裏は暗くて足元に落ちている石さえ識別することが出来ず、等間隔に建てられた外灯が安っぽい光を落としては黒い影を作っていた。

「食満先輩、ケーキ作るのすげぇ上手くなってたなぁ」
「ねー、あんなに美味しいんじゃすぐ人気店になりそうだよね。あ、そう言えばトモミちゃんとユキちゃん、食満先輩はどうだった?」

店長である食満先輩を生で見たいからという理由で連れて来られたことを思い出した乱太郎が背後にいる二人へとそう問い掛けると「どうもなにも、ねぇ」と二人は視線を交わしながら口元を抑えていた。

「アレは絶対オーナーとデキテルもんー」
「ね、絶対そうだよね!さっき帰り際に見た?腰に手回ってた!」
「見た見た!!あれってさ、うちらへの牽制なのかな?だとしたらオーナーちょう可愛い!」

ユキちゃんとトモミちゃんは互いの肩をバシバシと強く叩いては笑っている。
二人が話している事の意味が分かるんだけど理解は出来なくて「えぇ?そんなことないよ」と軽く返すと力強く「絶対そんなことあるって!」と断言されてしまった。
また反論しようものなら何を言われるか分からず、乱太郎は引き攣った笑みを浮かべて「そ、そうだね」と二人へ同意するように頷いた。

「恋人がいる人はうちらの中ではナイからねぇ」
「あ、でも富松さんもいいと思う」
「あ、分かる!今度は富松さんに会いに来ようか!」

二人が楽しそうに笑うのを聞きながら、乱太郎は肩を落として視線を上げる。
長方形に切り取られた空に見えた一番星を見つけて「一番星だ」と指差すとユキちゃんとトモミちゃんが「イケメンの彼氏が出来ますよーに!」と声を揃えて叫んだ。


(fin.)





あとがき

【名前のない喫茶店】シリーズはこれで終わりです…!!
未来編、実は書くつもりは全くなかったんですが、楽しみにしていますという言葉を貰えたので嬉しくて書いてしまいました。
あの二人がどこかで小さな店を開いているっていうだけで幸せになれるのでぜひそうなってほしいなぁという希望が詰め込まれてます。

きり丸乱太郎しんべヱの3人はともかく、ユキちゃんやトモミちゃんの捏造がすごくてっつーか腐女子にしてしまってごめんなさい…(ペコリ)
でも楽しかったです(反省してねー!笑)

このシリーズを始めた時は不安で不安で何度も消してやろうかと思っていたんですが、まさか番外編まで書くとは…!
これも応援してくださったり、一言感想をくれた方たちのお蔭です!!
最後まで見て下さった方、本当に長い間ありがとうございました!!


(2010/07/17)