ジンジャエールに溶けた夏









R-15描写があります。苦手な方はそっとブラウザを閉じてね。
構わぬ!という心臓が強いだけどうぞ。




男から借りた文庫本は文庫本なのに厚かった。今まで男から貸してもらった本と比べてもやはり群を抜いて厚い。読み終える気がしなかった。それでも毎日少しずつ読めば進むだろうと留三郎は毎日それを持ち歩いていた。
いつものようにバイト先である黄昏書店に出勤し緑色のエプロンを装着して手拭で前髪を上げ、掃除の為に箒を手に取った。男は奥から顔を覗かせ、「お、がんばってー」と呑気な声を出している。ちらりと男を見やった後に店内へと視線を戻して留三郎は溜め息をひとつ吐いた。

店内の床には新聞紙がひかれてあり、その上に古い本が乱雑に並べられていた。本棚が古いということもあり、ほぼ全ての本棚が変形している。その内ひとつの棚の上段が本の重さに耐えられず壊れてしまったのだ。

「この本をどこかに片付ければいいんですよね?」

留三郎の言葉に男は「そうそう」と頷いた。そして「私は片付け苦手だから。頼んだよ」と返して奥へと引っ込んでしまった。留三郎は床の上に置かれた本たちをきっと睨みつけ「今日中でどうにかしてやる」と腕捲りをした。
この店で空いている本棚なんてものはない。だから留三郎は奥へと置かれていた木材を手に取って店の外へと出た。新聞紙の上には大小さまざまな木材が転がっている。留三郎は新聞紙の上に腰を下ろすと男から借りた日曜大工用の道具箱を開き、そして釘と金槌を手に取って切り揃えられた木材へと釘を入れていく。
暫くして出来上がったのは簡易本棚だった。そう多く収納出来る訳ではないが、今回どうにか収めなければいけない本なら辛うじて収めることが出来る。木くずを払い、それらを天日に干していると後ろのガラス戸が開く音がした。

「何作ってるの?」
「ん、本棚」

そう言って作り終えた本棚を見せると男が「君、器用だねぇ」と言って本棚を手に取った。

「これ何冊入るの?」
「一応15冊までなら」

ぐるぐるといろんな角度から本棚を見ていた男が不意に手を止めて「器用だね、すごいよ」と留三郎へと微笑みかけた。

「べ、別にすごくなんかない」
「私には出来ないよ。すごいすごい」

男は何度も留三郎を褒める。それがくすぐったくて留三郎はずっと俯いたまま「すごくないです」と言い張っていた。
店の前に広げていた道具を全て片付けて、作った本棚を設置する。男は満足そうに腕を組みながら本棚を見上げた後、「休憩しよう」と留三郎の腕を取って畳間へと上った。
男が淹れてくれたのはいつものジンジャエールで、留三郎は額に巻いていた手拭を取ってからコップへ手を伸ばした。冷えたジンジャエールが喉から胃へと落ちて行くのが分かる。

「美味しい」
「君、ずっとこればっかり飲んでるねぇ。好きなの?」
「お蔭で市販のジンジャエールもう飲めない」

それは事実だった。バイトが休みの日に唐突にジンジャエールが飲みたくなってコンビニにで購入してみたのだがあまりの甘さに最後まで飲めず兄貴に渡したのだ。

「そう。もうすぐバイトも終わりだし今度シロップ持って帰りなよ」

男は留三郎が飲み干したコップを片付けながらそう言った。男のその言葉に留三郎は返事をせず、壁に張られたカレンダーを見つめる。8月と大きく書かれたカレンダーにはもう多くのバツ印が付けられていて、後一週間で8月は終わってしまう。9月に入れば学校が始まってこの生活は終わる。それが何だが信じられずに留三郎は男が台所から戻ってくるまでずっとカレンダーを見つめていた。


日に日に太陽が沈む時間が早くなっている気がするのは夏の終わりが近付いたことに気付いてしまったせいだろうか。5時のチャイムがなるころには既に東の空が暗くなり始めていた。

「留三郎くん」

シャッターを下ろして畳間へと上った俺に男は手招きをして台所へと呼んだ。手に持っているのは大きな瓶でその中にはジャムのようなものが入っている。留三郎はちらりとその瓶を見つめたあと、台に置かれた冷やし中華の皿を見つめた。きっと今日の夕飯はこれ何だろう。

「これをスプーン1杯コップに入れて炭酸水で割ればあのジンジャエールになるよ。これ、君用に作って置いたから持って帰りな」
「…え、いいの?」
「だってもうすぐバイト終わっちゃうでしょー?君あんなに美味しそうに飲むんだもの、分けてあげたくなるよ」

男は笑いながらそう言い、スーパーのビニール袋に瓶を入れる。そして俺へと手渡そうとした。

「今日は持って帰んない」

足の指の先を見ながらそう呟き、くるりと振り返って台所から逃げ出そうとする。そんな留三郎の背中に男の手が伸びて肩を掴んだ。振り向くと何か言いたげな男の目があって留三郎はうーと小さく呻いた後に「今度持って帰るから」とだけ呟いた。

「そう。まぁ、いつでもいいから」

男は肩を掴んでいた手を離して冷蔵庫のドアを開け、そして白いビニール袋に包まれたままの瓶を二段目の奥へと押しやった。

「忘れないようにね」

男の言葉に小さく頷いて、留三郎は夕飯の冷やし中華の皿をテーブルまで運んだ。


あと5日。
心の中でそう呟いて留三郎は店のガラス戸を開けた。夏休みは着々と終わっていく。それが悲しいのは毎年だけど今年のは少し違っている。その理由を探さなくても留三郎には分かっている。

「こんにちは」

留三郎が来た事に男が気付き、奥の部屋から顔を覗かせて「おいで、ジンジャエール淹れてあげる」と手招きをした。

「本進んでる?」

そう聞いてきた男に留三郎はいつも持ってきている文庫本を取り出した。栞が挟まっているのはまだ前半の部分で五分の四くらい残っている。男は「ちょっと貸して」と言い、文庫本をぱらりと捲った。

「ふむ」

それだけ言って男は文庫本を返す。

「今日でもっと進むといいねぇ」
「進むよ」
「ふふっ、楽しみにしていよう」

男はそう言ってジンジャエールを置くと二階へと上って行ってしまった。
その背中が見えなくなると留三郎は文庫本と共に店の方へと下りた。


店に客が来る事は滅多にない。だから今日も留三郎は一人でレジが乗っている机に前に座り、本を読んでいた。
パラリとページを捲る渇いた音が室内に響く。ガラス戸の向こう側は太陽の光が眩しい為、白以外のものは見えない。
パラリ。
男が書いた本を読んでいる留三郎は体を丸めるようにしていつもより猫背になっている。もう随分長い事集中しているのに集中力は切れそうにもない。斜め上に設置されている扇風機が首を振るガタガタという音が大きすぎて背後に男が立っているのに気付けなかった。

「どこまで読んだ?」

男の声に気付いて留三郎ははっと顔を上げた。本をそのまま閉じてしまおうと思っていたのに男の指がそれを許さない。

「あぁ、ここまで進んだんだ?」
「…」
「どしたの?そんな背中丸めちゃって、お腹でも痛いの?」

そう言いながら男は背後から手を伸ばしてシャツを捲る。熱い掌が皮膚を撫ぞるその感覚に耐えていると男の手がどんどんと下がっていく。

「あ、やめ、ろ」

制止するよりも早く男の手はズボンの中へと入り込んでしまった。そして下着の中ら既に硬く勃ちあがったものへと指を絡ませる。

「んっ…あっ」
「勃起しちゃってるね。やらしいなぁ」
「うるさぁっ…アンタの本のっ、所為だろっ」

確かに男の本の所為だった。まだ見習いの陶芸家である主人公が師匠の娘に誘惑され、いけないと思いつつも肉欲に溺れて行く様を描いたその部分はとてもエロくて今まで読んだどんなエロ本よりやばかった。

「ふっ…んんっ…だめ、誰か来たらっ」

椅子に座っている留三郎を背後から抱きかかえるようにして男は留三郎の体へと触れる。シャツの中へと手を入れられ、硬くなった乳首を指先で弄られ、すっかり勃ちあがって体液を零しているものを音を立てて扱かれては留三郎に抵抗らしいものが出来るはずがなかった。

「おね、がいっ、ここ、やだっ」

目の前のガラス戸から覗かれれば見えてしまう。それが怖くて留三郎は何度も男の手を引き剥がそうとするけれど力が入らない為に結局首を横に振るくらいしか出来ない。

「しょうがないなぁ」

男は呆れたような声を出して留三郎の体を抱き上げる床へと下ろした。机に凭れるような形で留三郎は男と向かい合う。

「これなら机が隠してくれるから見えないでしょう?」

キスがしたいと唇を開けて舌を出した留三郎に男は笑いながら口付けてくれた。


なるべく声は出さないでね、と言った男の言いつけ通り留三郎は自分のシャツを噛みしめて声を殺している。本で主人公である見習い陶芸家が師匠の娘を抱くのと同じ順番で男は触れて来る。次にどこを触れられるか分かっている分、もどかしくてたまらない。精液はだらだらと零れ続けていて、尻の割れ目まで濡らしていた。男の指が入口をなぞる様に触れると喉が鳴る。そこに触れられるとどれくらいの快感を与えてもらえるか既に覚えているのだ。
与えてもらえる。そう思って留三郎が目を閉じた時、店のガラス戸を軽く叩く音がした。
ひっ、と息を呑んで留三郎は体を固まらせる。男はゆっくりと留三郎の方を見て口元に人差し指を当てる。まだ音は止まず、ガラス戸を開けようとするガチャガチャという音が聞こえる。

「雑渡さん、いるでしょー?開けてよ」

外から聞こえてきたその声には聞き覚えがあった。聞き間違えるはずがない声だった。
男は固まってしまった留三郎を置いて腰を上げる。そしてドアの方へと視線を向けて一歩踏み出した。

「ちょっと、伊作くん、壊れちゃうから待ってよ」

男の声の後にガラス戸が開く音が聞こえた。店内に足を踏み入れる音はしなかったから入口で話しているのだろう。

「ハワイ行っててね、土産買って来たんだ」
「お気遣い有難う」
「ふふっ、何だと思う?」
「君のことだからどうせアロハシャツでしょう」
「あ、分かっちゃったか。雑渡さんずっと和服ばっかりでしょう?たまにはこういうの着てみてもいいと思うんだよ」

2人の会話は楽しそうに弾んでいて、息を潜めている留三郎は自分の口を手の平で抑えていた。2人が顔見知りだったなんて初めて知ったし、驚いたけれど今の留三郎の頭を占拠しているのはそれではない。

早く、早く。

頭の中でそればかり繰り返し、男を何度も呼ぶ。

「じゃあまた来るね」

伊作の声とガラス戸が閉まる音が聞こえて店内は静まり返った。留三郎は口を抑えていた手を離し、そして戻ってきた男を見上げる。

「伊作くん、確か君の友達でしょう?」

そう言って微笑みかけて来る男の手には紙袋が握られている。きっと土産だと言っていたアロハシャツなんだろう。さっさとそれを何処かに置いてほしい。

「顔出して挨拶しなくてよかったの?」

それどころじゃないと分かってるくせにひょうひょうとそんな事を言う男が憎いと思う。けれどこの男が今必要なのだ。

「いいから、お願い」
「何?」
「触って」

屈んだ男の首に腕を回して引き寄せると耳元で男が笑う声がした。


「伊作と知り合いだったの?」

服を着ながら男にそう尋ねると男は「まあね」と言った。もうすっかり辺りには赤い光が落ちている。きっともうすぐ5時のチャイムが鳴るのだろう。

「彼のお父さんが本を集めるの好きみたいでね、結構いい本持ってるんだよ。お小遣い欲しさにたまに彼が売りに来るんだ。彼はいいお客さんだよ」

ほら、これとかねと男が一冊の本を出して見せる。表紙はもう色褪せていてタイトルの文字が読めない。けれどどうせすごく高い本なんだろう。

「勝手に売って怒られないんかな、アイツ」
「さぁ、でも大体ちゃんと買い戻してるからいいんじゃない?」
「ふーん」

男が本を棚に戻す様子を見つめているととうとう5時のチャイムが鳴ってしまった。

「夕飯は中華丼だよ。君食べたいって言ってたでしょう?」
「うん」
「じゃあ店閉めてね」
「分かった」

頷いて立ちあがった留三郎は台所へと消えていく男の背中を見届けて店を閉める為、シャッターを下ろす棒を手に取った。
外では昨日まで泣いていなかったはずのヒグラシのカナカナという声が聞こえて来る。

「もう夏も終わっちゃうなぁ」

夏の終わりを告げるように必死に泣き続けるヒグラシの声を聞きながら留三郎は赤と黒が混ざり合って奇妙な色合いに染まった空を見上げた。






(2010/09/21)