秘密に愛と希望を重ねて。
午前中で授業が終わり、午後一番に留三郎は学園長の部屋を訪れた。先日伊作がくれた言葉に背中を押され、自分を苦しめる問題を自分の手で解決しようと思い至ったのだ。
「入ってよろしい」
学園長の言葉に襖を開けて入室すると、そこには文次郎の姿があった。ちらりと此方を見た文次郎は静かな瞳のまま留三郎を見つめる。
「ふぉっふぉっふぉ、やっぱり二人とも来おったか」
学園長が笑いながら留三郎と文次郎の双方を見た。
「どうせお前達のことだ、先日の任務のことじゃろ」
留三郎は静かに文次郎の隣りへと正座する。そして覚悟を決めた瞳で学園長を見つめた。
「学園長、どうか自分の失敗は自分で拭わせて下さい」
留三郎はその場で頭を下げ、隣りにいた文次郎も同じように頭を下げる。
「ちょ、文次郎、お前の失敗ではないだろう。俺が、悪かったんだから、別にお前は、」
文次郎が頭を下げたことに驚いて、留三郎は思わず文次郎を止める。けれど文次郎は柔らかい笑みを浮かべ、「俺とお前が与えられた任務だ。お前の失敗は俺の失敗だし、頼むから俺にも手伝わせてくれよ」と穏やかな口調で告げたのだ。文次郎のそんな表情を留三郎は今まで見た事がなかった。だからこそ驚いて口を開いたまま、ただその顔を見つめる。
「お前達がそう言うのなら、この任務もう一度お前達に預けよう」
学園長が咳払いをすると襖が開き、教師の山田とその息子の利吉が入って来た。
「これから彼等の潜伏場所を教えるよ」
利吉は地図を開きながらそう声を掛け、そんな利吉に文次郎が「利吉さんが報告するって言っていたの、この事だったんですか?」と驚いたような声で尋ねていた。
「まあね。君達が自分達で動くというのを待っていたんだ。取り戻したいもの、あるんだろう?」
利吉の言葉は今回の任務のことだけではなく、もっと詳しい事情を知っているように聞えた。きっと、本当に色々知っているのだろう。それでも彼はそんなことはおくびにも出さず、軽い仕事の話をするように留三郎と文次郎へと説明を始める。留三郎は慌てて利吉の顔から地図へと視線を移した。
廃寺から学園に近い町の外れまで移動していた男達はどうやら今は隣町との間にある廃屋に身を潜めているらしい。捕らわれていた女性たちは既に利吉や山田先生の二人で助け出しており、男達をその廃屋まで追いやったのもこの二人であった。男らははぐれてしまった忍者たちとこの屋敷で落ち合う予定のはずなのだが、その忍者たちとその雇用主は既に別の場所にて土井先生や大木先生、野村先生らが交戦しているらしい。
「今回君達に任せるのは、薬の収奪だ。男達を取り押さえるのは我々が担当する」
山田先生が冷静な声で作戦を口にした。
「あの薬、結局は何なんですか?」
桃色の粉を思い出したように文次郎は山田先生へと尋ねる。
「あぁ、あれは大陸から渡って来た薬だそうだ」
「人の脳や神経などに作用するもので、薬が効いているうちは気分がいいが抜けると頭痛や倦怠感が襲う。それから逃れるためにまた薬を使う。そうやって人間の脳や神経を中から壊していくものだよ」
利吉が更に詳しい説明をして、ちらりと留三郎へと視線を向けた。
「食満くんはもう頭痛とか倦怠感は抜けたかな?」
本当は未だ体を重く感じる時があることを留三郎は顔にも出さずに「はい」と返事をする。利吉はその返事に安心したような表情を浮かべた。
「薬を絶つことが出来れば怖いものではない。ただ、依存性が強いのも確かだ。彼等はこの薬を使って、この城を落とすつもりだったらしい」
利吉が指差したのは学園とも友好関係のある城だった。
「男達を捕らえた後は、この城へと引き渡すことになっている。私はこの城からの依頼で動いているんだ」
「…薬はどうするんです?」
「薬のことはこの城にもまだ報告してない。引き渡してまた利用されるのは避けたいからね。話が向こうへ流れない前に処分してしまおうかと考えているけど、君達はどう思う?」
利吉はちらりと留三郎と文次郎の顔を見る。その視線に気付いた留三郎は「処分した方がいいと思います」とはっきり告げた。
「俺も、そう思う」
文次郎は留三郎の言葉に頷きながら利吉へと視線を向ける。二人の視線を受けて、利吉は笑みを浮かべた。
「なら、君達の仕事は決まった。薬を収奪したあと、それを処分してくれ。男達は我々が捕らえる」
「処分方法は?」
「これは少量なら効き目はないらしいし、一番は効果が出るのは燃やした時に出る煙らしいから、人里から離れた場所で風に飛ばすなり土に埋めるなりでいいんじゃないかな」
利吉のその提案に、文次郎が地図上にある丘を指差した。
「廃墟から近いし、この辺りだと人里から離れている。周りの町に影響はないだろう。この場所が一番都合いいんじゃないか?」
「そうだね、なら、君達は薬を収奪した後、そこに向かってくれればいい」
利吉が丘の周りを指でくるりと弧を描き、留三郎と文次郎は頷く。
「で、ひとつ問題があるんだ」
利吉の声がさらにワントーン落ちたのに気付いた二人は顔を見合わせた後に目の前に座っている山田先生と利吉を見つめた。
利吉が言った問題というのは、薬が置いてある部屋には常に監視役がついていることであった。奇襲のように全員で突撃することも可能ではあるが、それだと逃げられてしまう可能性も高くなる。薬を抑えることが出来なければ例え男達を抑えたとしても成功とは言えない。
闇に紛れて忍びこもうにも、部屋の入口は二つしかなく、それぞれ見張りが立てられている。また、廃墟の立地条件はかなり悪く、屋根裏から忍びこむことは不可能であった。
「…俺が」
留三郎は手の平を握りしめながら口を開いた。
「俺が、囮になるっていうのはどうでしょうか」
本当のことを言えば、留三郎はあいつらと顔を合わせるのは反吐が出るほど嫌だった。けれど、提示された条件を考えるとそれが一番容易い方法だと思えたのだ。
「囮か」
ふむと山田先生が腕を組んで考える。
「俺はあいつらに顔を見られています。俺があいつらを引きつけている間に、もう一つの入口から文次郎が忍びこんで薬を収奪、そして収奪出来たら山田先生と利吉さんが突撃する。その混乱に紛れて俺は文次郎と合流してその場を離れる」
留三郎が提案した作戦はまだ不安定なものであり、それを留三郎とてよく分かっている。
「そう上手くいくかな」
「上手く行かなければ私達が上手く行かせるんですよ、父上」
利吉は笑みを零して父である山田先生の肩を叩く。
「それで行こう。開始時刻は、そうだな夜明け前。月が沈んだ後だ」
「はい」
「了解しました」
留三郎と文次郎はそれぞれ頭を下げた。利吉と山田先生はまだ話すことがあるらしく、二人は先に学園長の部屋を後にする。
まだ太陽が昇っているうちに使う武器などを決めなければ、そう思い急ぎ足で自室へと戻ろうとする留三郎の腕を突然文次郎の手が掴んだ。
「…大丈夫か?」
心配そうに見つめる文次郎の瞳に、留三郎は視線を逸らしながら「何が」と返す。
「囮、嫌なら他の作戦にしたっていいんだ、他に策がないわけでもないし」
「でも、俺が行った方が色々早いだろ」
留三郎は文次郎の手を振りほどきながら返した。他に策がないわけでもない。それでもこの作戦が一番短時間、低予算で済むことを留三郎も文次郎も知っている。
「大丈夫、俺は、大丈夫だから」
なるべく何でもないような顔をして、留三郎は微笑んだ。その頬笑みが文次郎の胸を締め付けているとも知らずに「お前が心配することじゃない」と告げる。
「この任務が終われば、全部、終わるんだから」
それが今の留三郎を支える言葉だった。きっとこれを終わらせなければ、これから先も苦しむことになる。だからこそ留三郎は自ら囮になるということを選んだのだ。
「そうだな」
留三郎の瞳がしっかりと一点を見つめているのを見て文次郎は腕を離した。前に見た泣きだしそうな顔ではなく、今の留三郎は覚悟を決めた瞳をしていた。それは文次郎と同じ瞳だった。
「ああ、今夜で終わらせよう」
文次郎は留三郎の肩を軽く叩いて廊下を歩きだす。文次郎が触れた肩へと手を伸ばしながら、留三郎は去っていく文次郎の背中を見つめていた。
(2010/04/10)