君 に 沈 む








北東の町へ陸路で向かうには絶対に通らなければならない町。海沿いなので船も泊まるし、陸路としても重要なので小さな町にしては町を訪れる人が多く、活気があった。その町に最近新しい店が出来た。桶や籠など日常に必要なものを作っている彼らは、手先が器用で最近では飾り棚も作り始めている。店にあるのはそれだけではなく、南蛮から入ってくる小物も置かれていた。店は若い娘に人気があるが、彼女たちの目当ては南蛮の小物ではなく、店主であり、「朔」と呼ばれている食満とその義弟として暮らしている平太だ。

食満と平太がこの町へと移動してきたのは今年の春の事だった。今までお世話になった親方から二人で店を持ってみるといいと言われ、この場所を宛がわれた。旦那の住む町から北東に位置するこの小さな町は城下町とも程近く、平太の仕事場としても申し分なかった。近くに加工しやすい木が多く自生している森があり、そこの木を使って桶や箪笥などを作る仕事を二人は生業に選んだ。元々手先が器用だったので今じゃ飾り細工などにも手を出している。南蛮の小物等、珍しい品もそのままでは売れないと判断した場合は主に食満が手を加えていた。
以前二人が働いていた大吉堂に比べると小さいものの店としては申し分なく、二人は不満もなくささやかながら幸せに暮らしている。


店を開けてすぐに店の戸の前を掃除するのは平太の仕事だ。風に飛ばされてきた枯葉やごみを箒で掃き、綺麗に片付ける。風が強い日や暑い日は定期的に水を撒いて砂埃が立ったりするのを防いだり、涼しくなるよう工夫するのも平太の仕事だった。

「義兄さん、掃除終わりました」
「んー…じゃあ、それ、お願いしていいか」

義兄さんと呼ばれた食満は、視線を平太に向け、目を細めて微笑む。手を離せない作業なので修理途中の桶を顎で指した。

「はい」
「ありがとう」

腕まくりをして腰を下ろした平太が水が漏れるとう桶を綺麗に直していく。その様をじっと見ていた食満は自分の仕事を思い出したのか慌てて作業に戻った。


店内に入って左側には南蛮の小物等が並ぶ棚があり、右側には桶や籠などが展示されている。箪笥や飾り棚は奥の方に並んでいる。小さいながらに商品の数、また手がけているものの数は多い。客も日に日に増え、店に置いている商品は日常の物が多いから客も頻繁に訪れる。そしてこの店は置いている品に比べると若い娘の客が異様に多かった。

「朔さんは本当に器用ですねーこれ、可愛い」

南蛮のブローチを手に取った若い娘が嬉しそうに朔へと話しかける。南蛮のブローチを好きな布で手直しして貰ったのだ。

「これなら今着ている服にも似合うよ」

朔が微笑みながらそう声を掛けるとその娘は顔を赤くして俯き、ちらりと店内の様子を窺った。

「あの…平太さんは?」

娘の様子に食満は少し表情が固まったが、すぐに笑顔を張り付けて「あぁ、今は裏で仕事をしているよ」と告げる。

「呼んでこようか?」
「い、いえ!大丈夫です。また来ます!」

娘は料金を払うとすぐに店から出た。そして振り返ると食満へと頭を下げ、店から遠ざかっていく。彼女の後姿が完全に人混みへと消えると食満は小さくため息を吐く。そしてその時を見計らったように平太が戻ってきた。

「どうしたんですか?」

ため息を吐いていた食満を目敏く見つけ、平太は少し心配そうに声を掛けた。平太の顔をじっと見つめ、食満は「何でもない」と笑う。平太に何かを言うとしたらそれはただの嫉妬になるし、そして愚痴になってしまう。それが分かっているから食満は何も言わない。言えないのだ。

「…そうですか?」

平太がそう言うと食満は頷いて作業を再開した。

「…少し冷えますね。…あぁ、秋も深まってきましたね」

店の戸から山の方向を見るとまるで火が燃え広がったような赤が横たわっている。ここら辺りでは赤い紅葉が多く、秋になると山火事のようにはっとするような赤が見られるのだ。

「もうそろそろ、寒くなるなぁ」

平太の方へと視線を向け、食満は呟く。冬にいい思い出がないわけではないけど重たく垂れこむ雲と灰色にくすむ視界はどうも気分を陰鬱とさせる。この仕事をしていると手がかじかむのも問題だった。

「今夜は温かいもの食べましょうか」

平太の言葉に食満は力強く頷いた。体を温める美味しいものを食べれば、今痛んだこの胸も慰められるだろう。こういう痛みに慣れれば済む話なのに慣れられないのだから仕方なかった。





陽が落ちて暫くすると二人は店内をあらかた片付けて店を出た。二人の店は町の大きな通りに面しているが、住む家は町の外れにある。二人で暮らすにはその方がいいと思い、わざわざ町の外れを選んだのだ。義兄弟としてこの町で暮らしてはいるが、二人は本当のところ義兄弟ではなく恋仲なのだから人目を避けなければ落ち着かなかった。

二人が単に兄弟子と弟弟子として店を出さなかったのには理由があった。年齢的に嫁がいてもおかしくない二人が男同士だけでこの先過ごすとなるとどんな町に住んでいようが弊害が出るのは明らかで、それを彼らの師匠である大吉はとても気にしてくれたのだ。そして彼は色々考えた末、義兄弟として過ごすことを提案した。若くして妻を亡くした食満が妻の弟である平太と暮らしているとなればまだ人の目を欺けるだろうという考えだった。それなら顔が似ていなくても問題は無い。そして師匠のその提案を二人は呑んだのだ。
だからこの町では二人は血の繋がらな兄弟であり、食満は妻を亡くした不憫な男で、平太は兄想いの優しい弟という事になっている。確かに二人暮らしていても違和感はないし、食満への縁談の話も「妻以外と添い遂げる気はない」と一言告げれば随分と減った。しかし、平太の場合はそうもいかなかった。兄想いの心優しい穏やかな青年は引く手数多であり、平太へと想いを寄せている子はとても多かった。平太が自分を捨てて他の人と一緒になるなんてしない事など食満は知っている。けれど最近では自分が平太を縛り付けてしまっているんではないだろうかという不安が頭をもたげてきていた。

共に暮らすようになって既に四年近く。恋仲になって二年以上が経つというのに、二人で暮らす日々は当たり前にはならず、相変わらず成り立っている事が奇跡のようなものだった。



もうそろそろ眠らなければ明日に響くという時間帯にも関わらず、湯浴みを終えた食満は仕事に没頭していた。平太は既に寝る準備をしていて、夜具を用意している。けれど食満は布団すら敷いてなかった。
仕事を家に持ち帰るのは食満も平太も同じだが、食満がこんなに遅くまで仕事をするのはそれで気を紛らわしたい時なのだと平太は知っていた。

「義兄さん、そろそろ寝ないと明日が辛いですよ」

背を向けて桶の修繕をする食満に平太は声を掛けたが食満が手を止める気配はなかった。声が聞こえない筈はないのだが、反応すらない。平太は少し考えるような素振りを見せ、少し嬉しそうに口を開く。

「…留三郎さん」

平太のその言葉に食満の手が止まる。そしてちらりと振り返った。食満のその姿はまるで手を繋いでほしいと素直に甘えられずに押し黙ってばかりいた昔の自分の姿に被る。

「もう夜も遅いです。体に悪いですよ?」
「…ん、そうだけど」
「明日の朝にしませんか?」
「でもあとちょっとなんだ。もう、半刻だけ」

そう呟いて作業に戻ろうとした食満に平太は小さくため息を吐き、腰を上げた。作業を再開した食満を後ろから抱きしめると食満の手が再び止まる。

「…こんなに体冷えてるじゃないですか。風邪引きますよ?」

ぎゅうと抱き締め、食満の手が離さないでいる道具を奪って床へと置く。すると食満の手は諦めたように平太の手を掴んだ。

「…分かった、寝る」

そう言った食満に満足したのか、平太は手を離した。すると今度は食満が不満そうに平太をちらりと見やった。

「木屑は今片付けた方がいいですね」

平太は食満を残して箒を取りに部屋の隅へと向かう。その姿を見送って、食満は腰を上げた。 平太が振り返るといつの間に食満が平太の布団へと潜り込んで素知らぬ顔をしている。

「…それ、僕の布団ですよ?」
「知ってる」

素気ない声でそう告げる食満に平太は目を細めて微笑むのみで何も答えなかった。そして食満はそれで満足のようで頭まで布団を被っては平太を待った。


片付けを終えて平太は食満が独占している布団へと戻ってきた。そして食満の夜具を準備するのではなく、そのまま布団へと潜り込み、食満を後ろから抱きしめた。腹へと回された腕へと手を添えて、食満は満足そうに平太の方へと体を寄せる。衣類越しに感じる体温に安堵を覚えてほっと胸を撫で下ろす。

「…何かあったんですか?」
「んー…」
「髪、くすぐったいです」

ふふっと笑うような平太の声に食満はぐるりと振り返って向き合うように体勢を変える。灯りはとっくに消え、月は半分ほど雲に隠れているのか辺りは暗かった。食満が顔を近付けると平太も同じように顔を近付け唇を重ねる。触れるだけの口付けに少しは胸が慰められたのか、食満は平太の胸へと顔を押し付けて足を絡めた。

「もう寝ないと明日厳しいですよ」

平太はとんとん、と食満の背中を撫でる。学園にいた頃、風に揺れる木々の音が怖くて寝つけなかった自分に食満がしてくれたように、優しく背を撫でては体を寄せた。

「おやすみ」
「おやすみなさい」

風の音に掻き消されるほど小さな声だったが、顔を寄せていた二人には互いの声がちゃんと届いてた。




*:*:*




ふと違和感を覚えて食満が目を開けると傍で寝ていた筈の平太の姿がなかった。部屋にゆらゆら揺れる灯りがあるので視線を向けると火鉢の間で平太が座り込んでいる背中が見える。パチパチと燃えているのはもしかしなくても文だろう。また、任務が届いたのかと食満は平太の姿勢のいい背中を見つめていた。
文は全部燃え終えたらしく、平太は火を消し布団へと戻ってきた。眠った振りをしようと思えば出来たが、食満はそのまま目を開けて平太を見つめる。

「…起こしてしまいましたか?」

平太の言葉に食満は首を横に振る。

「目が覚めただけだよ」

平太は布団へと戻り、そんな平太の体を食満はもう一度抱きしめる。布団から出て随分と経っていたのか、平太の体は冷えていた。

「…明日、店を空けていいでしょうか?」
「いいよ。帰ってはくるのか?」
「はい。夜までには戻る予定です」
「…そうか」

最近任務が増えたな、という言葉は声にせず、飲み込んだ。責めるような声になってしまいそうだったのだ。そんなことをそんな声で言ってしまえば、平太は困ってしまう。それが分かっているから食満は無理やり飲み込んで気付かない振りをした。
とりあえず寝てしまおうと瞼を閉じる。背中をとんとんと優しく撫でてくれる平太の指先を神経で追っているうちに、いつの間にか夢へと落ちてしまっていた。



ちゅんちゅんと鳥の声に意識が浮上する。瞼を開けるともう家の中は明るく、そして昨夜のように平太の姿は布団の中になかった。平太がいた筈の布団は外気と同じくらい冷えている。こんな朝早くにもう家を出たのか、と思いながら食満は体を起こした。家の中に平太の姿はなく、二人だと少し手狭のこの家が急に広くなったような錯覚を覚えて少し泣きそうになった。

「へいた」

名前を呼んでみても応えてくれる人はいない。朝から気分が落ち込んでしまっている事を鼻で笑いながら食満は平太が無事に帰って来ることを願った。









(2012/03/03)

後半へと続きます!!!