白 夜 の 果 て に
貿易業と幾つもの店を掛け持つ大吉堂の仕事はとてつもなく多い。買い付けなどへも店主である大吉が出向いたりするので必然とまだ本店に残っている弟子の朔や平太がやらなければならない事が増えるのである。そして一人前になるのならそれら全てを一定以上こなさなければならない。
平太にまず与えられた仕事は朔と共に店番をする事だった。先にも述べた通り、店主大吉は多くの店を持っている。そして彼の店は呉服屋もあれば骨董品屋、南蛮商品を扱う店など多種多様だ。それらの店へと商品が流れる前に一時的にだが全ての商品が大吉堂に下ろされる。だからこの大吉堂は普通の店と比べるととてつもない量の商品を扱っている。だからこそまずはその量に慣れなければならない。
初めの一ヶ月半は朝の掃除やら準備やらが終わると朔と二人で店番をしていた。客が来ない合間に商品の名前やその用途を教えて貰い、それらを頭へと叩き入れる。そして客が来たときは朔が応対し、そして顔馴染みの客へと平太を紹介した。
平太は物覚えが早く、そして努力家だった。一ヶ月半もすると店内にあるほとんどの商品を覚え、そして店へとよく足を運んでくれる客の顔、名前などを全て覚えて一人でも対応出来るようになった。穏やかな声と物腰やらかい口調。少し照れたようにはにかむ笑顔。そんな平太は朔と旦那、そして客達の目に真面目でな好青年として映っていた。
二ヶ月目に入ると平太はひとり店を任される事も増えてきた。そして平太が一人店番している間、兄弟子である朔は旦那の買い付けに付き合ったり、隣町の店の応援に行ったりとこの町を離れる事が増えてきた。二年前より以前の記憶が無い朔にとっては外の世界はどうやら見た事が無い物、知らない物で溢れているらしい。それらを嬉々として話す朔が楽しそうで平太は土産話をいつも楽しみにしている。
「平太、ただいま!」
店の戸を開けてにっこりと笑う朔に平太も同じように笑みを返した。
「今日は店を早めに閉めていいってさ。沢山買い付けてきたから整理手伝ってくれよ」
朔の言葉に従い、早めに店を閉めて平太は蔵へと急いだ。蔵の前では朔と旦那と並んで商品を品分けしていた。どの店へと送るべきかとか幾らの値をつけるかというのを始めに行うのだ。
朔は宝物を見つけた子供の様に満面の笑みを浮かべ、平太へと自分が買い付けてきた品を平太に説明しては「すごいだろ?」と笑っていた。
「平太ももうこの町にも店にも慣れたか?」
隣で商品を仕分けている旦那のその言葉に平太は一呼吸置いた後「はい」と返した。
「町の人がとても良くしてくれます。この町は本当に活気がいいんですね」
平太が生まれた町はこの町と同じように商売が盛んではあったがここまでカラッと明るくはなかった。余所者に対してはやはりどことなく冷たく、そしてそれはどこの町へ行っても大抵同じだ。
「まぁ、この町は余所者が集まって作った新しい町だからなぁ」
旦那が言う通り、この町の歴史は浅い。大きな城下町から海の近くへと段々人が移り住み、そして色んな場所から人が流れてきていつの間にか町になったらしいのだ。だからこの町の人々は他の町や村などと比べると余所者に対してとても優しいのである。それが多分余所者である平太と朔が居心地良く感じる理由だろう。
「もう少ししたら平太にも色々行って貰わんとなぁ」
旦那はそう言ったがすぐに申し訳なさそうに笑って「でもその前に明日からは蔵の整理を二人に頼みたい」と言った。
「…蔵って二つありますけど」
朔のその言葉に旦那は「そうだな」と言い、そして茶を一口に飲んだ後に「二つを十日で」とかなりの無茶を言う。
実は大陸に渡っていた船が十日後に戻ってくる予定なのである。そしてその船に乗っている商品を一時は蔵へと入れて保管する。その為の空間を作って欲しいという事だ。旦那である大吉はまた翌日から北へ行くらしく、任せられるのが二人しかいなかったのだろう。
出来る範囲でいいからとは言われたものの、朔もそして平太も真面目すぎる程真面目な節があった。 二人が蔵を掃除している間の店番は隣町で見習いをしている人がやってくれる事になっている。だから翌日から二人はいつもより早く起きては早速仕事へと取り掛かった。
蔵は大吉堂の裏側にある大きな庭に二つ向かい合って建っている。白い漆喰が塗られた立派で大きな蔵だが大吉堂で取り扱う商品の数には追い付けていない。それ故近々もう一つ新しく建てるかという話にもなっている。
「…っていうか旦那の片付け方が大雑把すぎるんだと思うんだよな」
朔の言葉に平太も頷き、物が乱雑に置かれて溢れている蔵を見渡す。そして二人は片づけを始める前に蔵二つを有効的に使う為の相談を始めた。それは半日にも及び、蔵の図解を書いて何をどう片付けていくのかとか、十日間の時間をどう使うのかまで書きこまれている。
「朔!平太!何してるの?」
蔵の入り口から顔を覗かせた百合と晴太郎に朔は「今は作戦会議中だ」と言った。朔の「作戦」という言葉に二人は目をきらきらと輝かせる。
「僕も入れてよ!」
「わ、わたしも」
仲間に入れてという二人に朔は「勿論だ」と頷き、そして二人の前に紙と筆を置いた。
「二人とも描きたいもの描いていいぞ」
朔に紙と筆を与えられた二人は嬉しそうに笑みを浮かべて顔を見合わせた。
「じゃあ僕は庭に咲いてた花描いてくる!」
「あ、わたしも!」
二人が蔵から出て庭へと駆けていくのを見送り、朔は「さて、続きやるか」と真剣な顔になった。
旦那の子供である晴太郎や百合は裕福なものの、両親ともに忙しい為に随分と寂しがり屋だった。だからこそなのか、朔は二人が構ってほしいという顔をすると仕事の手を少し休めて構ってやる。少し話を聞いてやるだけで彼らが満足することを知っているのである。
「子供、好きなんですか?」
平太の言葉に朔は「まぁな」と笑った。
「拾われた時、本当に虫の息だったらしくてな。二人、特に晴太郎はよく看病してくれたんだ。だから今度は俺の番だって思っててさ。旦那もおかみさんも忙しい人だからあんまり構ってやれないんだろうし、せめて俺が構ってやれる時には構ってやりたくてな」
朔がこんな風に自分の思っている事を話すのは珍しかった。同じ店で働き、一緒に暮らして打ち解けているよう見せ掛けても何処かで線を引いている。心の奥に平太を立ち入れさせてはくれない。朔はそんな人だった。だからこそ平太静かに朔の話へと耳を傾ける。
それから朔は静かに話を続け、平太は相槌を打っていた。けれど暫くすると「ちょっと俺、喋りすぎたな」と照れたように笑い、朔は言葉を止める。
「平太は何でも聞いてくれるからうっかり話しすぎてしまう」
困ったように言い、ぐいっと体を伸ばした朔に平太は何も言わない。ただ穏やかな笑みを浮かべてはにかむだけだ。
「さて、続き」
そう言って朔は仕事の話へと戻る。そんな朔の横顔をじっと見つめ、懐かしい彼の声を聞いていた。
十日間という短い期間で二人は蔵を完璧といえるくらいまで片付けた。あんなにごちゃごちゃとしていて全ての空間が埋まっていた蔵も片付けた今ではもう少し余裕がある。こんな風にきちんと片づけるにはやはり時間が足りなくて、片付けの最後の三日間はほとんど眠れなかった。旦那が戻ってきた時には睡眠不足で隈が出来た二人は蔵の作る影でぐったりとしていた。
「おお、こりゃすごいな」
旦那のその大きな声が寝不足で痛む頭に響く。
「これなら当分新しい蔵はいらないな」
満足そうな旦那に二人はほっと一息ついて顔を見合わせた。
新たに運ばれた品物も朔と平太二人がちゃんと分別して蔵へ収める。そしてその日は二人とも早く帰っていいと言われ、まだ太陽が真上にある時間帯に帰路に着いた。
家へと戻り、平太が「布団敷きますね」と言う前に敷かれていない布団の上へと朔が崩れ落ちる。そしてもそもそと動いたかと思うとぐちゃっとした敷布団の上でそのまま丸くなってしまった。
「朔さん」
困っている平太のその声に朔は眠そうに眼を開くと平太の手を掴み、そして引き寄せた。
「もうめんどいから、こんまま」
寝ようぜ、という言葉は寝息に変わった。いつもいつも寝付くのが早いが今回は特に早かった。
(仕方ないか。明日も朝が早いからさっさと寝てしまおう。)
普段であれば絶対に布団を敷き直す平太だがその時は眠気と、朔の手の温もりに負けてしまった。
夏はもう終わり、風が涼しくなる季節。きちんと敷かれていない敷布団の上で二人寒くならないように無意識に体を寄せ合って眠りに落ちた。
誰かの気配が近付くのに気付いて平太は瞼を開けた。体を起こし、戸の方を見つめていると、暫くして戸を叩く音がした。
「朔、平太」
声の主はおかみさんだ。いつの間にか太陽は沈んで辺りは暗い。平太は慌てて駆け出し、戸を開けておかみさんを迎えた。
「あら、真っ暗じゃないの」
おかみさんは灯りがひとつもない室内を見渡し、その暗さに入り口で足を止めたまま入ってこない。平太は通常の人より闇に眼が慣れているので普段通り歩けるが、おかみさんにはそれが無理なのだ。
「あ、すみません」
平太は朔が寝ている辺りに立ててある行灯の灯芯に火をつけた。するとようやく家の中が明るくなり、おかみさんが安心したように足を踏み入れた。
「あれからずっと寝てたのかい?」
「はい。朔さんはまだ寝てますね」
平太が視線を朔の方へと向けると、ごちゃっとした敷布団の上で体を丸めて寝ている朔が「へいた」と名を呼んだ。
「朔さん?どうしました?」
名前を呼ばれたので平太が歩み寄ると朔の手が平太の腕を掴んで引きずり込もうとする。寝惚けている割には力が強くて気を抜いていた平太は朔の上に倒れ込んでしまった。
「へいた、さむい」
「…寒いなら布団被りましょう」
そう言っても朔は中々平太を離さず、平太が布団を被せてようやく手が離される。自由になった平太が振り返るとおかみさんは少し考え込むようにしながら二人を見ていた。
布団をちゃんと敷かず、だらしないところを見られてしまったなと平太は内心冷や汗をかきながらおかみさんへ「すみません」と言った。
「普段はちゃんと敷いてるんですが今日は眠気に負けてしまって」
ちらりと朔の方を見やると朔は平太の焦りを何ひとつ知らずにぐっすり眠っている。
「三日間寝てなかったらしょうがないわよ。平太もまだ眠いんだろう?」
その言葉に平太は困ったような表情のまま小さく頷いた。誰かの気配さえ近づいてこなければきっと朝まで眠っていた自信がある。
「明日までそのまま寝ちまいな。もし腹が空いたらこれを食べなさい」
おかみさんは手に持っていた包みを土間の方へと運び、「芋ご飯で握り飯作ったから食べたかったら食べなさい」と言ってくれた。
平太は朔の分も「ありがとうございました」と頭を下げる。気を抜いた瞬間に出た大きな欠伸におかみさんはふふっと笑うと、「さぁ、私は帰るからゆっくり寝なさい」と出ていく。
家まで送っていくという平太の申し出は断られた。戸を閉めて鍵を掛けるとおかみさんの足音が段々と遠ざかっていく。それらが聞こえなくなってからもう一度盛大に欠伸をして、平太は朔が待つ布団へと戻った。灯りを吹き消して、布団へと潜り込む。触れてきた手の熱さに意識が蕩けてあっという間に平太は夢へと落ちて行った。
青い空が視界いっぱいに広がっている。流れる白い雲が掴めそうだと手を伸ばしたら自分の手がとても小さく、腕も短かった。じっと掌を見つめながら平太はこれは夢だなと冷静に思う。そしていい夢だと思った。
斜面の上の方にある木の陰にいるから空を見上げてもあまり眩しくはなかった。風がそよぐと木々が枝を揺らし、辺りで咲いている花も花弁を揺らす。季節は多分初夏辺りかな。平太がそんな事を考えて体を起こすといつの間に隣にいたのか、朔ではなく、食満が隣に座っていた。
いつもの明るい食満の表情とは違い、水面を寂しげに見つめるその横顔に平太はこれは記憶だと思い出した。実際にその寂しげな横顔に見覚えがあったのだ。忘れたくても忘れられなかった。食満が平太の前で無防備にそういう表情をしたのはあれが最初で最後だったからだ。
細く長い睫毛が震えるたびに涙が零れないか心配だったが、食満は泣いたりはしなかった。ただどこか傷付いたような面持ちでただひたすらじっと耐えていた。何に耐えていたのか、当時の平太には分からなかった。それでも声を掛けてはいけないという事は知っていた。だからずっと息を潜め、空気のようにそこにいた。
「平太」
青い空から声が降ってきて、水面に浮上するように夢は泡になって消えた。起きた時には狐に化かされたような、そんな気分だった。
「平太、そろそろ起きろ」
そう言ったのは夢の中に出てきた食満と同じ顔、体を持つ別人の朔だ。夢を見て食満の事を良く思い出した後だから分かる。朔の表情は朔独特のものであり、同じ顔の筈だが食満とはやはり違った。
「平太?寝ぼけてんのかー?」
座り込んだまま動かずに朔の顔を見上げている平太に朔は笑いかける。そして平太の頬へと触れた。
「白いから餅みたいだ」
朔はそう言っては平太の頬を掴んでは掌で押して遊んでいる。その手を掴み、熱を確かめてから平太は「おはようございます」と口を開いた。
「おはよ」
ニカっと元気よく笑って朔は立ち上がり、「芋ご飯の握り飯ある」と言って平太の分を手渡す。
「茶淹れるから待ってて」
朔はお茶を淹れる為、水を汲みに一度家から出て行った。誰もいなくなった部屋で平太はただぼんやりと今朝見た夢を何度も何度も反芻する。
朔は朔であって食満じゃない。呑み込んだ筈の事実がこうやって時折呑み込めなくなるのは別に今に始まった事じゃなかった。そしてその度に食満という人物が自分にとってどれだけ大きな存在だったのかを平太は知るのである。
「平太?」
戸を開けた朔と目が合った。未だ座り込んだままの平太が気になったのだろう。少し心配そうな顔をして「どうした?」と首を傾ける仕草は記憶の中にも幾つだってあった。確かに食満とは違うけれど、彼も平太に取って大切な人に変わりはない。
「眠りすぎて頭がぼーっとするだけです」
平太のその言葉に朔も「一緒だ」と笑った。
二人はごちゃっとしたままの布団を片付け、そして畳の上へと腰を下ろす。朔は先ほど汲んで来た水を薬缶へと入れ、そして火にかけた。
「平太がそれ食べたら店に行くか」
「はい」
朔は既に食べ終えたらしく、火の赤へと視線を落としていた。いつもの風景。それなのに何故かこの日ばかりは落ち着かず、平太は朔の顔が上手く見れなかった。
*:*:*
平太と朔が住む町には月に二度という頻度でに市が開かれる。町の南側にある大きな広場があり、手続きさえちゃんと踏めば誰でも店が開けるのである。
大吉堂は毎回市で店を出していたが、市を担当するのは大抵店主である大吉だった。市はとても盛大で隣町やその隣の町から来る客だっている。それを大吉は見逃さないのである。そして市が開かれる日に大吉が留守にしている場合、市へと出るのは朔の仕事だった。
弟子入りして五ヶ月程経った頃に年が明けた。大吉堂では盛大に新年を祝い、沢山のご馳走と酒が出された。こんなに賑やかな新年は平太は生まれて初めてだった。
その新年を祝う席で旦那は「来週末の市には平太も出ろ」と唐突に告げた。
「今度のは年明けて最初の市だ。いつもより大規模になるぞ。色んな人が来るから勉強になるだろう」
弟子が少しずつ仕事を覚えていく過程は大吉にとって最も嬉しい事なので大吉はとても楽しそうにしていた。
大吉の言う通り、年明け初めの市は一年で一番大きいものになる。大吉は平太を市に出すのなら一番大きい年明けにすると決めていたのだ。そしてそれは朔が初めて市に出た時も同じだったらしい。
「市は店とは違って俺らの店目当てじゃない人だって沢山いるんだ。そういう人の足を止めるのが楽しいんだ」
朔は来週末の市に出す商品を蔵から探しだしながら平太にそんな事を言った。
「出すものはいつも自分で決めるんだけど、俺は小物をなるべく多く出している」
市は全ての店が同じ面積分しか与えられない。そうなると大きい商品はただでさえ少ない場所を取ってしまうのだ。また、気軽に買いに来る客が多いのだから気軽に持って帰れる商品を置くというのが朔の理論だった。
「あと市が好きなのは女人だ。若い娘もそうだが、子や孫を連れてくる人だっている。だからそういう人らの目に留まるのをなるべく置く。あ、平太の持っているそれとかいいな」
平太が持っていたのは南蛮のブローチと呼ばれるものだ。ブローチは装飾品であり、針で服の胸元などに通し留具で留める。平太が手にしているものは丸いつやつやとした深い緑の石が付いていて他にも色んな色があった。
「ちょっと貸してくれ」
朔が興味を持ったようで平太からブローチを手に取って様々な角度から見ている。
「うーん…これ改良できないかな」
朔は少しぶつぶつ言いながらブローチを眺め、市用の商品を入れる籠へと入れた。
「来週末まで平太も何を出すか考えておけよ」
朔の言葉に頷き、平太は仕事の合間に蔵を訪れては何を置こうか考えていた。
初めて出る事になる市に平太は緊張を覚えたが、それでもとても楽しみで仕方がない。こんなに大きな市に行くのも初めてだが、出るのだって勿論初めてなのだからそれはしょうがない事でもあった。
市当日はとても天気が良く、また陽射しが暖かだった。朔と二人で市の会場へと出向くと大吉堂はとてもいい場所を宛がわれていた。
「実績がいいとさ、いい場所に配置してもらえるんだ」
朔は嬉しそうに笑っている。それくらいいい場所に配置されていたのだ。朔は「ほら、手伝え」と平太を呼び、運んできた茣蓙敷いて商品を並べ始めた。
朔が包みから取り出した物に目を奪われ、手を止めていると朔がすぐに気付いて「これか?」と笑う。
「それ、前のブローチですよね?」
「あぁ。旦那に許可貰ってちょっとだけ手直ししたんだ」
朔はちょっとだけと言ったが、平太に言わせれば全く別物に生まれ変わっている。つるつるの冷たい石の上に上等な着物な布が張られていて、これだと普段の服にも合いそうだ。
「石も綺麗だけどこっちじゃ服に合わないだろう?だから呉服屋の旦那から余った生地を貰って石の上に張ってみたんだ。あと、やっぱり服に穴をあけるのは嫌だろうから帯や襟元に挟めるようにしてみたんだ」
まだ試行品だと朔は笑ったが、それは十分に商品として成り立つものだった。
「最近鍛冶屋の方に出向いていたのって、」
「あぁ、手伝って貰ったんだ。最初は渋い顔してたんだけどさ、奥さんが試作品貰って喜んでるの見たらあっさり手伝ってくれたよ」
朔はそう言って笑い、ブローチを手直しした商品を一番いい場所へと並べる。
「あ、それは平太が作ったのか?」
「はい。子供が買えるものをって思いまして」
平太が市の為に用意したのは子供用の玩具だった。蔵の奥に仕舞われていたお手玉を南蛮から渡ってきたという珍しい柄の布で包み直したものだ。他にも幾つか探し出して用意したのだけれど朔のものとは比べものにはならなかった。
市が始まると若い娘や子供が多く足を止めては商品を購入していく。朔目当ての客も多く、朔が作った物や勧める物を買って行く人も多かった。しかし朔が作り直したブローチだけは少々値が張る為売れ行きは悪かった。
「皆、見てはくれるんですけどね」
一番手が込んで出来のいい朔のブローチだけが残り、平太はそれに納得がいかない。
「これは結構手を加えすぎてこれ以上下げられないんだよな。初めに値段設定間違えると後が辛いから簡単に下げられないんだ」
平太はもどかしいと思っているのに朔は割とのんびりとしていた。焦っている様子はなく、ただのんびりと通り過ぎる人や店を開く人達を見つめている。
市では食べ物を売る人も多かったが、昼過ぎには晴太郎と百合が弁当を持ってきてくれたので二人はそれを食べた。晴太郎と百合は幾つかの商品を買って貰ったらしく、それで遊ぶのだとすぐに帰っていき、またすぐ二人きりになる。
隣の店の掛け軸も全て売れ、もう片方の店が値段を下げ始めた頃、呉服屋のおかみさんが二人の前で足を止めた。
「あ、おかみさん」
朔はにっこりと微笑むと「遅かったですね」と言った。
「うちの子らが皆市に行きたいらしくてねぇ、店番代わってやったらこの時間だったのさ。で、何か良い品はあるかい?あ、これは…」
呉服屋のおかみさんが手に取ったのは朔が手直ししたブローチだった。
「これ、うちがあんたに上げた切れ端かい?」
「はい。使わせて頂きました。良い生地でしたので小さくても映えるでしょう?」
「これはどう飾るものなのかい?」
朔はおかみさんの帯へとブローチを差してやる。梅色に少しの黄と鶯色が混ざったそのブローチは蜜柑色の帯に良く映えた。
「襟元でもいいと思いますよ」
「…これ、あんたが作ったのかい?」
元々は南蛮のブローチという品だった事。それを和服に似合うように手直しした事。服に穴を開けない様に作り直した事。そして最後に同じ商品がひとつもないという事を朔はおかみさんに丁寧に説明した。
「前々から器用だとは思っていたけどここまでとはねぇ、」
おかみさんは感嘆の息を漏らし、「うちで働いている娘達の分貰おうかね」と帯に留めていたブローチを朔の手のひらへと返した。
「まいどあり!」
朔は嬉しそうに笑い、用意していた小さな紙へとおかみさんが言う数字分のブローチを入れた。
「あら、一つ多いみたいだけど」
朔から商品を受け取ったおかみさんは数を数えて朔を見る。朔は沢山あるブローチの中から先ほどおかみさんの帯へと差したものをもう一度帯へと差しこんだ。
「おまけですよ。これが一番おかみさんの服に合うと思いますので」
朔のその言葉におかみさんは小さくため息をついて「アンタねぇ」と嘆いた。
「そんな風だからアンタ駄目なのよ。うちの店で働いている娘っ子の何人がアンタに熱上げてるか…さっさと身を固めなさいよ。私は娘っ子達が不憫でならないよ」
おかみさんの嘆きを朔は笑いながら流し、最後には「新しく作ったらうちの店に入れてよ」という言葉まで引き出していた。
朔は旦那と並ぶくらい口が上手く、そして愛想が良い上に好機を絶対に見逃さないのである。
おかみさんが去った後、さっきまで売れなかったブローチが急激に売れ始めた。暫くすると全ての商品が売り切れ、朔はぐいっと背伸びをして体を休めながら「売れたな」と平太へと笑いかけた。
「平太のも全部売れたし、初めてにしては上出来だな」
朔の言葉に平太は頷いたが、本当のところは実力不足を痛い程実感していた。
「朔さんはすごいですね」
ようやく力が抜け、茜色の空を見上げながら寛いでいる朔が平太の言葉に「え?」と視線を向けた。
「ブローチの手直しの件もそうですが、接客に見習う点が多かったです」
「…市は普段の店とは違うからな」
朔は座り直し、平太へと向き直る。
「店に来る客とここにいる客は違う。彼らは別に最初から店に興味を持ってるわけじゃない。だから興味を持って貰う事が大事なんだ。声をでかくするのはそれなんだよ」
朔は大きすぎるのは問題だけどと笑った。そして二人がそんな会話をしている合間も若い娘が足を止め、朔へと話かけてきた。それを見つめながら平太はこの人がどれだけ町の娘達に人気があるのかという事を知る。朔へと話しかける娘達はみな頬を朱色に染めていたのだから分かりやすいのだ。
娘達が去ったあと、平太は無意識に「朔さんは人気があるんですね」と言っていた。
「え?」
「呉服屋のおかみさんも言ってましたが、人気がすごいなって思いまして」
口にするつもりがなかった言葉を口にしてしまった事に気付き、平太は慌てたように取り繕った。そして隣で表情を変えた朔を見つめる。
朔は平太の言葉をおかみさんの時のようには軽く流さなかった。少し黙り込んだ後、近くを歩いていた男女へと視線を向けて平太の名を小さな声で呼ぶ。
「あいつ、団子屋の三男の誠二郎だ。午前中は別の女と歩いていただろう?人気があるのはああいう奴らだ」
朔の言う通り、団子屋の誠二郎は生粋の色男だった。女心を掴むのが上手いのか、いつも違う女を連れていた。上は未亡人から下はまだ幼さが残る少女まで幅広く、どんなに浮名を流しても人気が絶えないから不思議だ。
「俺はさ、記憶がないだろう?」
唐突なその言葉に平太は誠二郎から朔へと視線を移す。朔は長い髪を指先で梳き、ちらりと平太へと視線を向けた。
「女は男とは違って住んでいる町から中々出られないから過去が分からない男っていうのが物珍しくて惹かれるだけなんだ。それは他にも言えることだけどさ、だから俺が人気があるわけじゃないよ。人気が本当にあるのは誠二郎みたいな奴さ」
西日の赤い光が朔の顔や首、手に落ちている。そして朔はその赤い光の中で寂しそうに笑い、視線を平太から遠くへと移した。
長い睫毛が震えているけれど涙は落ちない。悲しげな雰囲気と寂しげなその表情が、いつか見た記憶と重なった。
あぁ、この人はどこまで行っても強くて優しい人だ。
一人孤独に耐える朔に平太はそう思った。食満であっても朔であってもこの人の本質は何も変わらない。この人に出会って平太が心を揺さぶられない筈がなかったのだ。
「…俺にとって、朔さんはとても大切な人ですよ」
朔の横顔を見つめながら平太はなるべく普段通りの声で告げた。
「記憶がなくてもあっても貴方が私の兄弟子である事には変わりません」
「…平太」
朔は平太の言葉に驚いたよう目を丸くしていたが、誤魔化すようにすぐ笑みを浮かべた。
「急に何言い出すんだよ」
少し照れたような声でそう言いながら朔は平太の肩を叩く。それに平太が何も言わないでいると「寒いな」と言ってくっついてきた。触れる手は冷たかったが、平太からは触れず、朔の好きなようにさせる。朔は平太の顔色をちらりと窺うようにしてもっとくっついてきた。
「あー寒い寒い」
「寒いですねぇ」
平太の肩へと頭を預けながら朔は空を見上げた。白い息が夕焼けの空へと消えて行く。それが何度も繰り返されるのを暫く見つめていた朔はまた平太へとちらりと視線を向けた。平太は相変わらず朔を見つめていた。平太が自分を見ている事が嬉しかったのか、朔は笑って平太の名を呼び、平太の短い髪を撫でた。
それは穏やかで優しい、記憶の中の食満と同じ笑顔だ。
平太はこの時、一人孤独に戦う朔の役に立ちたいと強く思った。
この人が安心出来るようになるべく立ち回ってやりたい。そして一人寂しそうにしているこの人がいつか幸せだと心の底から笑える為ならばなんだって出来るような気がしていた。
(2012/01/28)
一ヶ月以上空きましたが、ようやく3話。
先はまだまだ長いですね(^_^;)
あとブローチとかそういうのは思いつきなので適当に流してくださいませ…(^_^;)