白 夜 の 果 て に








平太がこの家に厄介になる事が決まると旦那はすぐに「まだ住む場所は決まっていないんだろう」と平太に聞いてきた。話は驚くほどトントン拍子に進んでいて、平太が警戒していた事はほとんど起こらないでいる。

「…町についてすぐに伺ったものですから」

平太のその言葉に彼はにやりと笑い、「それもそうだったな。団子屋に寄ってすぐ店に来たもんな」と平太の肩を叩いた。旦那のその言葉に平太は驚きを隠せない。見られているなんて知らなかったのである。

「いや、責めてるんじゃないよ。君は客が多い時には来ず、それまで時間潰して来ていただろう?若いのによく気が付く。そういう判断も評価している。それに職業柄、余所の人はすぐ目についてしまうんだ」

旦那は腕を組み、「目敏いんだ」と笑っていた。そしてその隣で立っている朔も「本当にそうっすよね」と頷いていた。

「で、住む場所がないなら朔のところに住めばいい」

旦那は当人である筈の朔へと窺う事すらせず、そう言い切る。そして朔も何も言いだしたりはしなかった。

「本来なら弟子に当たるんだから同じ家がいいのだろうけど、あいにく奉公人もいるんで部屋が埋まってしまってるんだ。朔が住んでいるのはここに引っ越す前に私らが住んでいた家でな、一人には広すぎるしちょうどいいだろう」

旦那は決まりだ、と言い切ると「朔、店は私が見るから平太を家まで案内してやれ。時間があれば町も案内してやれよ」と言い、でんと店の真ん中で仁王立ちした。

「分かりました。ほら、平太行くぞ」

旦那に店番なんか頼んでいいのかと不安に思った平太だったが、きっと彼に逆らわないほうがいいのだろうと思い直す。平太は「よろしくお願いします」と深々と頭を下げると店の外で待つ朔の方へと急いだ。

この店は人気のある店が連なる一番大きな通りに面していて、朔はその通りを左手にある路地の方へと曲がって歩き出す。

「大通りから一度隣の路地に入って、突き当たった通りから北へ伸びている路地のうち右端にある路地をまっすぐ行くと俺が住んでいる家があるんだ」

大通りは人で溢れていたが、一本中道に入ってようやく抜けた先にある通りは宿屋等の店が立ち並んでいてとても静かだった。通り自体が川に面していて先ほどの大通りと比べると涼しいような気がする。

「この町は通りによって色んな顔があるんだ。覚えておくといい」

朔は少し声を潜めて平太へとそう告げる。そして彼がいうように、確かに表の通りにはいなかったような人間達がこの通りには姿を見せた。疲れた様子なのに目だけがギラギラと光り、通り過ぎる二人を値踏みする彼らは夜になれば追剥や夜盗と呼ばれるような輩になるのだろう。汚らしい恰好とは不釣り合いなほど高価そうな刀を下げていたりする辺りで平太はそう推測した。
表通りの喧騒と比べると静かすぎる川沿いの通りを突っ切り、北へと延びる路地へと入ると「はぁ」と詰めていた息を吐いた。そして既に背後に去った通りを振り返り「怖かったなぁ」と平太に笑いかける。

「普段は全然通らない路なんだけど、こういう場所もあるって事最初に見せなきゃと思ってさ。今日はこの道を通ったけど、今度からはここは通らないで大通りの一番東端の路地に曲がって暫くまっすぐ行けば着くから」

朔はそう言って思い出の中の人と同じ笑顔を見せた。平太はその笑顔が懐かしくて、そして嬉しくて小さく頷いては凛と前を向いた朔の横顔を見つめていた。


そう言えば、昔似たような事があったなと平太は思い出す。用具委員になったばかりの時、委員長である食満はどの道具がどういう役割かを丁寧に教え、扱い方を間違えると怪我をするからと散々言った。例えば、縄梯子の降り方の時も「昔足を滑らせて落ちたことがある」と傷跡を見せて「だから皆は怪我をしないように十分気を付けろよ」と言ったのだが、まだ一年生の平太や同じく一年のしんべヱや喜三太からすればそれは軽い脅しのように思えたものだった。
どんな道具でも扱い方を間違えてしまえば怪我をする。そういう当たり前の事をしっかりと教えるのは後輩には怪我をして欲しくないからだ。けれどそれが分かるようになるまで、平太は少し時間がかかってしまった。

懐かしい事を思い出し、平太は目元を少しだけ柔らかく細めた。

「…どうした?」

平太の気配が少し変わった事に気付いたのか、隣を歩いている朔が平太へと顔を向ける。

「…昔憧れていた人の事思い出しました」
「ふぅん」
「朔さんがその人にとても、とても良く似ているので」

平太のその言葉にようやく興味を持ったらしい朔は面白そうだという顔をして「へぇ」と言った。

「もしかしたら本当に俺だったりしてな。まぁ、そんな偶然はあり得ないか」

朔はそう言って笑い、平太の肩をポンと叩く。
朔のその言葉に平太は何も言えず、ただ夏の眩しい日差しに目を細めながら隣を歩く朔を横目で見つめていた。






これから暮らす事になる家は町の北側の外れにあった。一人暮らしには大きいと旦那が言っていた通り、二人で暮らすにしても家は大きくて立派で、平太は思わず足を止めて家を見つめてしまった。確かに店舗兼住宅となっている今の家の方が断然広いが、それでも二人で住むには十分すぎる広さだ。

「旦那の持家だから家賃とかは出ないんだ。すごく助かる」

朔はそう言い、扉を開けて平太を家の中へと招いた。初めて訪れたその家はとても綺麗に片付けられていた。広すぎるからというのではなく、物があまり無い為に殺風景にすら見える。

「…綺麗にしてますね」
「掃除は嫌いじゃないんだ。というか、片付けてないと気が済まなくて」

朔のその言葉に平太は食満先輩らしい、と声には出さずに心の中で思った。記憶の中にいる食満も朔と同じように綺麗好きで、用具委員は月に一度倉庫の掃除を大々的に行っていた。平太は卒業するまでずっと用具委員会に所属していたが、月に一度という頻度は食満が委員長だった時と平太が委員長だった時だけだった。平太も食満に負けず劣らず綺麗好きだったのである。いや、負けず劣らずというのは少し違う。平太はそれだけ食満から影響を受けているのだ。

「俺もそうなんです」

平太がそう言うと朔は嬉しそうに微笑んだ。

「同じなら安心だな」

朔のその言葉に平太ははっとした。突然他人と住むことになった朔の気持ちを今まで全く考えていなかったのだ。自分の余裕のなさに平太は思わず笑ってしまう。もっとちゃんと仕事をこなせると思っていたのに憧れの人が目の前に現れただけでこんなに動揺してしまう。ましてや憧れていた食満が記憶を失くして別人として生きているのだ。平太が平常心でいれる筈なんてなかった。
けれどこれから一緒に暮らす朔の事は何よりも先に考えなければならない。朔が食満と同じ人間だからではなく、同じ家で暮らす相手として尊重しなければと思ったのである。

「突然お邪魔することになって、申し訳ありません」

平太が朔に向き直って頭を下げる。そしてそんな平太に今度は朔が動揺する番だった。

「え、なんでだよ」
「突然赤の他人と一緒に暮らせって言われる朔さんの気持ちを考えていなかったので…」
「いや、それは平太もだろう?」

朔は不思議そうにそう言い、そして「…そうですね」と言った平太に思わず吹き出す。

「平太ってさ、年の割にしっかりしてるように見えて抜けてるところもあるんだなぁ」

朔は「ずっと立ってるのもなんだから座りな」と平太を座らせ、そして「茶淹れるよ」と言った。
勝手が分からない手前、平太は大人しくしていようと畳の上へと荷物と腰を下ろした。囲炉裏にくべられた炭に朔は慣れた手つきで火をつけ、水を入れた薬缶を火にかける。

「もしかして荷物ってそれだけか?」

朔が差したのは平太が持っている小さな包みだった。引っ越しをするにはあまりにも小さすぎるその包みへと視線を落とし、平太は「はい」と苦笑した。

「住む場所見つけてから買い揃えようと思ってたので」
「…じゃあ茶飲んだら町へ行こう。必要最低限の店を今日のうちに教えるよ。生活するのに必要な分は揃っているから焦る事は無いと思うけど」

気を配ってくれる朔に平太は「ありがとうございます」と頭を下げる。それは誰が見ても礼儀正しい礼と言葉だった。けれど目の前にいる朔は少しだけ考えるようにして、「…平太は他人行儀だなぁ。」と寂しそうに漏らす。

「これから俺はお前の兄弟子で、この家で一緒に暮らすんだ。そういう言い方じゃなくって他にあるだろ?」

熱くなってきた薬缶がカタカタと音を立て、朔は二人分の茶を淹れた。そんな朔を見つめながら平太は彼の言う通りだと確かに思ったが、平太は「そうですね。でもこれが俺の普段通りなんです。家でもこんな風にしか喋らないんです」と返した。

「家でも?」
「はい。直した方がいいなら直します」

平太がそう言い切ると朔は「そうか!」と満面の笑みを向け、「いや、いい。それが平太らしいってことだもんな」と言った。
平太は礼儀が正しすぎるところがあり、どこに言っても今の朔のように言ってくる人がいる。けれどこれが自分の癖だと言うと一転して皆はそれでいいと言うのだ。平太のようにあまり自己主張しないような人間が癖をそのまま出すという事はどうやら打ち解けている証拠になるようで、だからこそ平太は未だにこの癖が直らないでいる。

さっきとは一転、平太の癖が平太らしいと言い出した朔に渡された湯呑は暖かく、夏に熱い茶を飲むのはどうなんだろうかと平太は思った。さっきまで外を歩いていたもんだから汗だって掻いている。

「俺はさ、茶は熱くなきゃだめでさ。だから暑いだろうけど付き合ってくれよ」

朔がそう言ったので平太は「はい」と頷いて湯呑に口をつける。付き合ってくれと言われて断るわけにもいかないし、平太が断る筈もなかった。
二人で静かに茶を飲みながら、平太は昔の事を思い出していた。思いがけずに再会を果たしたものだから、気を抜けば思考がひとりでに過去へと迷い込むのだ。


昔、平太がまだ学園の一年生だった頃、夏になると食満はよく一年生を町へと連れて行ってくれた。夏の暑さに茹だっている後輩に羊羹や新鮮な水菓子など涼しげなものを食べさせてくれたのだ。その時、食満が飲むのはいつも冷やされた茶だった。暑い時にでも熱い茶を好む長次の気がしれないと言っていた記憶もある。
記憶を失う前と記憶を失くした今では目の前の人の嗜好が変わっている。こういう事もあるんだろうか。あの時の食満はもう目の前の人の中にはいないのだろうか。
平太は美味しそうに茶を飲む朔の姿をじっと見つめて考えていた。

「ん?」

視線に気付いた朔は小首を傾げて尋ねてきたが平太はすぐに首を横に振って「何でもないです」とはにかむ。窓の外からは近くの木に止まっているらしい蝉がミンミンと夏を謳歌していた。







少ない荷物を片付けて、平太は朔と共にすぐに家を出た。そしてこの町一番の呉服屋や日常生活で使う物を扱っている店を教えて貰う。それでもやはり一番物が揃うのはこれからお世話になる店だった。 戻ってきた店の看板を見上げ、「大吉堂には大抵の物が揃っているからまずは店で探したらいい」と朔は笑い、そして店内へと踏み入れる。
店には客人がいて、旦那は客人と楽しげに話しこんでいて二人は邪魔にならないように視線だけを合わせて店の端に立っていた。

「お、お前ら戻ったか!」

二人に気付いた旦那が手招きして二人を呼ぶ。旦那と話し込んでいた人も振り返り、そして二人を見つめた。旦那に比べると細身で温和な雰囲気を持つその人は綺麗な身なりをしている。彼が平太を見て旦那へと尋ねる。

「朔と…そっちは初めて見るね」
「さっき話しただろう。商売の勉強がしたいと今日やってきたんだ」

旦那の声が少なからず弾んでいて、それが何だか朔にとってはおかしくて平太へと視線を向けては笑みを漏らしていた。

「そうかそうか。名は?」
「平太と申します」

その人は柔らかい笑みを浮かべ、「またいい男が入ってきたねぇ」と笑う。

「ここら辺りの娘っ子はただでさえ朔見たさに店に来るのに平太まで揃えて大吉はこの町をどうするつもりだ」

旦那はその人とケタケタと笑い、そして「平太に一着見繕ってくれよ」と言った。
優しげなその人はどうやら呉服屋の店主で旦那の幼馴染でもあるらしい。店で働く者には必ず彼の店で服を見繕ってもらうらしく、例外なく平太も服を新しく下ろしてもらう事になった。

「背が高いから似合う物も多いだろう。私も楽しみだよ」

旦那から清と呼ばれたその人は後日平太に店に来るよう言う事も忘れず、「店の邪魔をしてすまなかったね」と言って去っていた。
客がいなくなった店内で旦那は「さぁて」と言い、朔を見やった。

「家内が手を離せないから朔と平太、二人で晴太郎と百合の面倒を見てやってくれないか」

旦那の言葉に朔は「分かりました」と頷き、そして裏から回る為に平太の指先を引っ張って店から連れ出した。朔と平太が裏から玄関へと回ると家先で晴太郎と百合が二人で遊んでいる。旦那に良く似ていて、年の割には体が大きい晴太郎とおかみさんと同じ目をしている百合は朔に気が付くとパアと顔を輝かせて駆けてきた。

「朔!母さんが朔と遊んでいいって!」
「お仕事の邪魔にならない?」

二人はどうやら随分と朔に懐いているようで屈んだ朔の首へと腕を回して抱きついている。

「あ、新しく入った人だな!」
「大きい…父さんくらい?」

二人は傍らに立つ平太に気付き、あまりの身長の高さに呆然と見上げていた。平太の身長は朔より頭一つ分程度大きいが、旦那には適わない。店の旦那はそれこそ規格外の体格をしているのだ。

「朔より大きい!」
「大きい!なぁ、肩車して!」

若旦那に当たる晴太郎にそう言われ、平太は「平太と申します。よろしくお願いします」と頭を下げてから晴太郎を肩に乗せて立ち上がる。

「うわぁ!朔より高いぞー」

楽しげにはしゃぐ晴太郎と朔に抱かれてご満悦の百合は「今日はいい日だ」とそれぞれ言った。

「…そう言えば、おかみさんどうして忙しいんですか?大事な用事でも?」

平太のその言葉に三人は「何でってねぇ」と顔を見合わせている。そして晴太郎が「平太お迎えの御馳走だからだよ」と言った。

「わざわざそんな事、」

平太がそう言いかけた時、平太の背中を朔が軽く叩いた。そして「俺も正式にこの家に厄介になる時にやってもらったんだ。すごいご馳走が並ぶんだから楽しみにしてろよ」と笑う。
この店に新しく人が入るとそれを迎える為にご馳走を出す。それは長年続いている掟のようなものだと朔は言い、それが楽しみな奴らだっているんだからと百合や晴太郎を見た。

「母さんのご馳走、すごく美味しいんだ。平太だって気に入るよ」
「私、平太さん来てくれて嬉しいよ」

くりくりの大きな目で平太を見上げる百合と平太の髪をぐしゃぐしゃとかき回す晴太郎の言葉に平太は「僕も皆さんに会えて嬉しいです」と照れたように笑う。それは誰が見ても好感を覚えるような優しい微笑みで、子供達はあっという間に平太に懐いた。

「平太!今日はご飯までいっぱい遊んでね!」
「あたしも肩車してぇ!」

そして子供たちに負けじと朔までもが「ご馳走までの間、目一杯遊ぶぞ!」と叫ぶ。
朔のその言葉に晴太郎と百合の二人は「おー!」と拳を突き上げた。そして平太の肩に乗ったままの晴太郎は「ほら、平太も!」と平太の頭を軽く叩く。

「おー」

はにかみながら平太がそう言うと「及第点だな」と厳しい言葉が飛んでくる。その言葉に笑いながら、平太はあまりにも当たり前な日常の有り難さが身に染みていた。





朔がご馳走と言った通り、夕飯はご馳走だった。食べきれない程多くの皿がどんどん出てきて平太の前に並ぶ。平太が全部の皿に箸を付けなければ皆が食べられないので平太は出されたもの全てのものを口にした。
海が近いからか、魚は新鮮で刺身は格別に美味かったし、魚汁も美味しかった。それからわざわざ高いものを買ったという肉料理はとても贅沢で平太は舌鼓を打った。満腹で動けなくなった後に甘味まで出てくる始末。食い倒れるまで食べさせる。それがこの店の…いや、この家の歓迎の心なんだと平太は思い知った。

旦那の酒に付き合い、杯を交わした頃には子供達は既に夢の中だった。旦那は飲めば飲むほど楽しそうにしたが、酔い潰れることはなく何処までも強い男で、それとは反対に朔はあっという間に酔っぱらい、顔を赤く染めてぼんやりとしていた。
朔がうつらうつらし始めた時には子供達を二階へ運ぶのを手伝い、平太は朔を連れて帰る事になった。朔が寝てしまう前に帰った方がいいだろうと旦那も平太も判断したのである。

「旦那様、おかみさん、今日は本当にありがとうございました」

千鳥足の朔の腕を肩に掛け、細めのその腰へ腕を回して支えながら平太は二人へと頭を下げる。そして二人はそんな平太に「もう家族も同然だ」と言った。職業柄、多くの人を見てきた彼らは迎える事も見送る事も慣れているのだろう。でもそれだけではここまで温かく迎えてくれる理由にはならない。それは彼らの人柄なのだろうとしか平太はまだ言えなかった。
町はすっかり眠っていて、通りを歩く人影はほとんどなかった。朔の体を支え、ゆっくりと歩きながら平太は視界の上に広がる星空を見上げる。

「朔さん、星が綺麗ですよ」

平太のその言葉に意識を取りも出した朔は「ほんとだなあ」と子供のような声で返した。風に乗って漂うのは酒の匂いと朔がつけている香の匂いだ。甘い花のようなその香は新しく店で取り扱う商品らしい。若い娘の間で流行らせるには朔がつけるのが一番だとおかみさんはいい、ご飯の後に朔は香を焚いて貰っていたのだ。
朔という名で生きているこの人は既に忍者ではないと平太は思う。潰れるまで酒を飲むのも、勧められるがまま香を付けるのも、どれも忍びであれば警戒して断る筈のものだ。けれど朔は全て二つ返事で受け入れ、それらに少しも警戒なんてしていなかった。
記憶がないなら当然なのだが、その度に平太は内心驚きを隠せなかった。僅か十歳の頃から忍者として生きる為に勉強してきた平太にとって、忍者として尊敬できた食満が既に忍者ではなくなっている事をそうすんなり受け入れられないのである。

「平太、見ろよ。月がまんまるで綺麗だなあ」

朔がそう言って足を止めたので平太も同じように足を止めて空を見上げた。丸い月はまるで空にぽっかりと穴が空いているかのようだ。強すぎる光は夜だと言うのに影を落とさせ、そして辺りを黄色い光で照らす。
こんな光の中じゃあ中々忍べず、出来る仕事は限られてしまうような明るい満月の夜。

「俺、満月が一番好きだな」

朔のその言葉に平太は少しだけ黙り込み、「そうですか」とだけ返す。それ以外の言葉をどうしても探せなかったのだ。



家に戻り、平太はすぐに朔へと水を渡した。喉が渇いていたのか、朔は湯呑の中の水をあっという間に飲み干して空になった湯呑を平太へと押し付ける。そして困ったような笑みを浮かべて「面倒掛けたな」と謝った。

「いえ。布団敷きます」
「うん。そこに、あるから」

動くことすら辛いらしい朔は像のようにじっと固まって平太が布団を敷くのを待っていた。
布団を二人分敷き、そのうちのひとつへと朔を運ぶと朔は短く礼を言ってすぐに眠りに落ちた。規則正しく聞こえる呼吸の音を聞きながら平太は朔の寝顔を見つめる。

そう言えば、寝顔は見たことがなかったっけ。

朔の髪を指で梳き、平太はちらりとそんな事を思った。
簡単に眠ってしまったこの人は本当に食満先輩なんだろうかと、そんな事さえ考えてしまう。平太が知っているのは忍者を目指していた食満だったから、今目の前で無防備に寝てしまう人が誰なのか分からなくなったのだ。

この人を食満先輩だと思う事は止めて、朔という人物として受け止めた方がいいのかも知れない。平太はそう思い始めていた。
 




(2011/12/13)