白 夜 の 果 て に








店までの道を歩いていると、やたらと視線が二人に向けられた。それもその筈で、綺麗な髪で有名だった朔の髪が短くなっている事も、平太の傷もやはり目立ってしまったのだ。痛いほどの視線に二人は顔を見合わせ、これからの対策を矢羽音で交わした。この矢羽音は学園で習ったものであり、学園出身者なら分かるものだ。二人は店に着くまでにこれからの対策を練り終えた。
二人は店の裏にある玄関の戸をいつものように開け、「おはようございます」と声を掛ける。

「おお、来たか!」

そう言って奥から出てきたのは旦那だ。いつもなら出迎えるなんて事はないのだが、二人の喧嘩の行く末が気になって落ち着かなかったのだろう。そして旦那は二人を見ると目を丸くした。

「ど、どうしたんだ?!」

旦那のその声に二人は顔を見合わせる。その問いは平太の怪我と食満の髪へ向けられているのだと聞かなくても分かる。

「と、とにかく中に入れ、な?」

旦那は大きすぎる体をわたわたとさせながら二人を招くと囲炉裏の方へと歩き出した。

朝の食事はまず旦那と弟子である二人の三人が先に終わらせ、その後からおかみさんや子供達が食べる。なので囲炉裏の前には子供達の姿は無く、二人は定位置へと腰を下ろした。
朝食を持ってきてくれたおかみさんも平太の傷に動揺し、次に短くなった食満の髪に驚いた。もう少しで茶碗をひっくり返しそうだったらしく、一度足を止めていた。

「ど、どうしたんだい」

驚いている旦那とおかみさんに二人はひとまず頭を下げた。

「…大変ご迷惑をおかけしました」

二人が深々と頭を下げるもんだから旦那もおかみさんもただただ、はぁ、と息を漏らすだけだ。

「仲直りはしたんだな?」

事情を良く知らない二人はこの騒動を二人の喧嘩だと認識していた。本当の事は言えないのだから平太も食満もそれで通そうという打ち合わせをしている。だからこそもう一度深々と頭を下げながら、「はい。本当にご迷惑をおかけしました」と答えた。

「…いや、仲直りしたんならいいんだが、平太のその傷はどうしたんだ」

旦那の問いに二人は顔を見合わせて苦い顔をするだけで答えない。答えたくない事もあるんだろうと、旦那はそれ以上追及はしてこなかった。

「…しかし良かったよ。昨夜正二郎から文が届いてなぁ、もし二人が仲違いしたままならぜひ平太をうちにくれって言われててなぁ。正直そうした方がいいのか悩んでいたよ。けど、もう大丈夫なんだろう?」

旦那は味噌汁を飲みながら箸で平太と食満の方を指した。

「はい。大丈夫です」
「そうか、それなら正二郎には断りの返事をしなければな」

旦那は卵焼きを箸で切り分け、口に運ぶ。食満と平太の前にも食事は運ばれたのだが、話がひと段落するまで二人は箸をつけないでいた。

「あ、俺達もすごく正二郎さんにお世話になったので、今度何か持っていこうかと思っています。文はその時持っていきましょうか?」

食満の提案に旦那は大きく頷く。

「それがいいな。時に平太、お前三好家の娘さんに会ったんだって?」

旦那は隠すことなく笑みと好奇心を漏らしていた。

「三好、ですか」

平太は少し感がる素振りを見せたが結局小首を傾げた。三好の娘に思い当たる人物がいないのである。

「廻船の三好と言えばここら辺りで商売している人で知らない人はいないよ。うちも良く仕事を頼むんだが、その三好から正二郎に打診があってな。何でも娘さんが平太の事を気に行ったらしいんだ」

旦那は嬉しそうにがははと笑う。

「お前はまだ若いし早いかと思ったんだが、三好の娘はここら辺りでは一番の別嬪だろ?平太がその気になればすぐにでも取り持ってやろうと思ってな。この上無いくらいいい話だとは思うんだが、どうだ?」

楽しそうにしている旦那に対し、向かいに座っている平太と食満の表情は暗かった。
お世話になっている上に、こんな風にいい縁談を持ってきてくれる旦那の行為を無下にするのには心が痛む。だからと言って受ける訳にもいかなかった。平太は食満と、食満は平太と連れ添っていきたいと考えていて、その為の一歩を今朝踏み出したばかりなのだ。
断らなければとは思うものの、すぐに断るのも悪いような気がして平太は暫く黙っていた。そんな平太に旦那は返答を催促したが、それを止めたのは平太でも食満でもなく、傍で旦那のご飯を盛っていたおかみさんだった。

「…アンタ、無駄だよ」

おかみさんの突然の言葉に旦那だけではなく二人も驚いておかみさんへと視線を向けた。

「この子達にそういう話をしても無駄だよ。もう覚悟決まっちまったらしいからねぇ。なぁ、そうだろう?」

おかみさんの言葉に二人は驚きを隠せない。誰にもばれていないつもりでいたのだから仕方がなかった。

「どういう事だ?」

おかみさんの言葉の真意を測りかねた旦那がそう尋ねるとおかみさんはため息をひとつ吐いた。

「この子らは嫁を貰う気がないってことだよ」
「何でまた…朔も平太もいい話は幾らでも来るんだぞ?」

確かに旦那の言う通りだった。旦那が食満…もとい朔と平太に直接持ってくる話以外にも多くの縁談の話が舞い込んでいるのだ。

「…アンタまだわかんないのかい?本当に仕方ないねぇ」

おかみさんは呆れたように首を横に振り、大袈裟に肩を竦める。

「この子達はできてんだよ。お互い以外選ぶつもりがないってことだ。だからいい話が来ようが無意味ってことさ」

おかみさんの言葉に旦那の手から箸がぽろりと落ちた。それを見ておかみさんは「ようやく分かったかい」と呆れ顔で告げた。

「こんな風になっちまう前にって朔とお菊をどうにかしようとしたんだけどね。もう遅かったんだよ。…そうだろう?」

おかみさんは朔と平太へと視線を向けた。二人は体を硬くしながら呆然としている。

「…本当なのか?」

ようやく我に返ったらしい旦那の言葉に平太が一歩後ろへと下がり、畳に額を擦りあわせるように頭を下げた。

「…すみません。俺が朔さんに、その、一目惚れをしてしまいまして…朔さんに罪はありません。俺が勝手に傾倒してしまっただけで…」

普段よりもずっと大きく、そして切羽詰ったような声に旦那はあんぐりと口を開けている。平太は頭を下げたまま顔を上げない。隣に座っていた朔は平太と同じように一歩下がって旦那へと頭を下げた。

「違います。俺の方なんです。俺が平太に惚れてしまって…平太は優しいから応えてくれただけで…悪いのは俺なんです」

二人がそうやって頭を下げているのを始めはあんぐりとして見ていた旦那だが、神妙な面持ちになり、顎髭を擦る。そして「顔を上げろ」と二人へ告げた。 二人が恐る恐る顔を上げると、真面目な顔をした旦那と視線が合う。旦那は顔を上げろと言ったっきり黙り込み、難しい顔をして二人を見ていた。何を言われるのか分からず、二人は肝を冷やしている。
沈黙を破ったのは、この場の空気を黙って見守っていたおかみさんだった。

「だろうと思ったよ。本当にまぁ、可笑しなことになったけど、朔も平太も好き合ってるんだろう?それなら私は仕方ないと思うけどねぇ。嫁さん貰って子供授かるのも幸せだとは思うけど、あんたらは今幸せなんだろう?」

おかみさんの問いに二人は間髪入れずに「はい」と答える。そんな二人におかみさんは今日初めての笑みを見せた。

「私はあんた達が可愛いからねぇ、幸せならそれでいいと思うよ」

階段を下りてくる音が聞こえ、眠そうに眼を擦りながら子供達が起きてくる。おかみさんは子供達にまだ上にいるよう言い、一緒に部屋を出ていった。残されたのは黙り込んだままの旦那と、朔と呼ばれている食満と平太のみだ。

「…すまんな」

何を言われるか分からず構えていた二人に旦那は開口一番そう告げた。

「お前らがそんな関係になってたなんてこれっぽっちも知らなかったんだ。知らなかったとはいえ、縁談の話を何度も持ち込んですまなかったな。お前らがどんな気持ちで話を聞いていたのかと思うと不甲斐なくて仕方ねぇよ」

旦那はそう言うとずびと鼻を啜る。目には涙すら浮かんでいた。
商売するには信頼される事が一番大切であり、信頼の上で一番大事なのはその土地に根を下ろす事だと日頃から旦那に耳にタコが出来るほど聞かされていた。根を下ろすというのは文字通り根を下ろす事であり、その土地に腰を落ち着け、そして家庭を持つ事を意味する。そんな考えを持つ旦那だからこそ、男同士の関係等頭ごなしに否定すると思っていた。二人は拍子抜けしてただただ涙を零す旦那を見つめるしかない。呆気にとられ、すぐには言葉も出てこなかった。

「お前らが疑問に思っている事も分かっている。確かに家族を作る事は大事だ。けどな、俺も昔そういう相手がいたからお前らの気持ちも痛いほどわかるんだよ」

旦那はため息をひとつ吐くと立ち上がり、後ろの障子を開けて庭を見つめる。冬にしては穏やかな日で柔らかい光が庭へと差しこんでいた。

「…そういう相手って…」
「俺の初恋の相手は男だったんだ。心底惚れ抜いていて、生涯共にいれたらって思っていた。相手はお前らも知ってるだろ」

旦那は軽く笑いながら視線を二人へと向ける。

「…まさか、清さん?」

食満の言葉に旦那は頷いた。
旦那が頷いた事で食満は旦那が清の旦那にどうしてあそこまで良くしてやるのか、ようやく腑に落ちた。彼はただの幼馴染ではなく、一時的とはいえ未来を一緒にと決めた相手なのだ。甘くなるのは仕方がない事だし、そういう相手には何かしてやりたくなる気持ちは食満にもよく分かる。もしも平太が困っていたら、旦那のようにあれこれ世話を焼いてしまうだろうな、とさえ思った。

「俺も清も長男だ。店を継がなければいけなかったし、嫁を取らなければいけなかった。いやぁ、懐かしいなぁ」

旦那は目を細め、遠くを見ていた。視線の先にあるのは庭に生えている柿の木ではなく、当時の自分達だったのだろう。旦那の瞳は娘を見る時と同じくらい優しい形をしていた。

「…俺らは結局は添い遂げられなかった。でも後悔はしてねぇんだ。お互いに家族を持っても未だに交流がある。これで良かったんだって今じゃあ思っているよ」

旦那はがはは、と大きく笑って朔と平太に向き直った。

「…でもそれは俺達の結果だ。もしかしたらそれ以外の幸せだってあったのかも知れん。お前達には俺達のように幸せがひとつしかないって思って欲しくはねぇんだ。ましてや信頼を得る方法が一つしかないわけじゃねぇんだから」

旦那は自分の言葉に自分で頷いていた。喋りながら言葉を肯定しているようにも見える。

「…俺達、ここにいてもいいのでしょうか」

二人の言葉に旦那は「何言ってんだ!」と大声で喚く。その声量に二人は驚いて体をびくつかせた。

「お前らは俺の可愛い弟子だ。もう息子みたいなもんだ。当たり前だろう!特に朔は置かれている状況が状況なだけに気を掛けていた…けど相手が平太ならもう大丈夫だなぁ。これでお前も落ち着けるだろう」

旦那はまた涙目になり、ぐすぐすと鼻を啜っていた。 記憶が戻った事を食満は旦那に言うつもりはない。これからも朔として生きる。だからこそそこまで考えていてくれた旦那の愛情に胸を打たれた。そしてそれは平太も同じで、二人は互いに顔を見合わせ、そして頭を下げた。

「…これからもよろしくお願いします」
「当たり前だ!顔を上げろ!」

旦那はまだ涙目なものの、すっきりしたような顔をしていた。食満も平太もこんな風に受け入れて貰えるなんて思っていなかったので旦那の懐の深さに感動を覚えていた。

「しかしなぁ…幾ら恋仲の喧嘩だからって言ってもなぁ、刃物はよくねぇ。うちの母ちゃんだって刃物は持ち出さねぇーんだから、朔、今度から喧嘩する時に刃物は使うんじゃねぇぞ。平太の男前な顔にも傷をつけやがって。それに平太は朔を甘やかし過ぎだ。好いた相手は甘やかしたいのも分かるけど幾らなんでも一方的に怪我させられてそれでもそういう態度でいられるのは…懐が広いっていうか阿呆っていうんだ。…それに朔の髪を見たら清が泣くぞ。折角綺麗に伸ばしていたのによう、誰が切ったんだ。平太か?男同士の方が分かり合えることも多いだろう?それなのにここまで喧嘩するなんて、お前らはもう少し互いを信用できるようになれよ。見合いの話を持ち込んだりしたのは済まなかったと思うが、それでも二人がしっかりしていればそんな喧嘩になる筈ねーんだからな」

呆れたような旦那の声に朔も平太も顔が真っ赤に染まった。そんな風に解釈されるとは思ってもみなかったのだ。
喧嘩に刃物を持ち出し、そして喧嘩の末に片方が家を出て行き、それを引き留めに出た筈が更に大怪我させて、髪も切ってくるなんて確かにとんだ迷惑な恋仲だ。

「喧嘩はほどほどにしろ」

旦那の言葉に二人は「はい」と頷く。旦那の口調がまるで先生のようで学園にいた時に戻ったみたいだった。それがくすぐったくて食満と平太は顔を見合わせてはくすくすと笑う。学園を卒業して、こんな風に宥められることがあるなんて思ってもみなかったのだ。

「おいおい、なんだ。何がおかしいんだ?」

突然笑い出した二人に旦那は訝しげだったが、二人の笑いに釣られ、理由も知らないのに笑い出した。それがおかしくて更に笑いが止まらない。
話が終わった後も笑いっぱなしで食事は進んでいなかった。既に味噌汁は冷め、湯気は消えている。

「あんた達さっさと食べなさい。百合も晴太郎ももう起きちまっただろう」

二階からおかみさんが降りて来ては食事に手を付けていない三人を叱り飛ばす。こんな年になって叱られるなんて、と益々おかしくなって、もう笑いは止まりそうになかった。

「どうしたの?どうして皆笑ってるの?」

すっかり目が覚めたらしい百合が楽しそうに部屋へと入ってくる。そして朔と平太の間に割り込んで二人の顔を交互に覗き込む。
「どうして笑ってるの?」と何度も訪ねてくる百合に朔と平太は目配せをして「幸せだからだよ」と答えた。

「そうか!じゃあ百合も笑うね」

子供独特の高く可愛らしい笑い声に今度はおかみさんまで笑い出す。部屋中に笑い声が満ちていて、騒がしいくらいだ。後からやってきた晴太郎が、まるで化け物を見るように皆を見渡したのだから更に笑い声が大きくなる。

「幸せだね!」

百合のその言葉に朔も平太も視線を合わせては頷く。旦那もおかみさんも、そして晴太郎も頷いた。その場にいた誰もが今を幸せだと思っている。それは本当に奇跡だと朔も平太も思った。
庭先では太陽の光に照らされた水仙の蕾が微かな音を立て、雪の様に白い花びらを広げようとしていた。
 



(おわり)






(2012/03/06)

お幸せに!
あとがきは別枠で書きたいです。