白 夜 の 果 て に








夜の峠を行く人はいない。だから誰にも見られることなく死体を片付けることが出来た。忍道具は全て拾い上げ、人物が特定出来そうなものも全て処分した。彼らはこの国の人間ではないのだから大事にはならないだろう。
もう時期冬が終わる。冬眠を終え腹を空かせた熊辺りが処分してくれるよう、死体は山の中へと転がした。

全ての片付けが終わり、峠を降りた時には月が少し傾き始めていた。行きよりも時間を掛けて二人は元来た道を戻る。辺りは暗く、夜道を歩く人の姿はない。二人は半月の光のみを頼りに二人が住む家へと歩き続けた。
家が町の外れにあって良かったとこの時程思った事は無い。平太の傷が人目につかぬよう、二人は町の外れへと回り、家へと戻った。


この二日間、色んなことが立て続けに起こった。それでも家はいつもと同じようにひっそりと静まって家主が帰るのを待っている。今朝、食満は布団を片付ける間もなく家を飛び出したので食満の分の布団は敷かれたままだ。
灯りを灯すと食満は救急箱を取り出して自分の布団の傍へと腰を下ろした。そして平太を呼ぶ。平太は傷口を風呂場で洗っていて、洗い終えると食満の向かいへと腰を下ろした。

傷は無数にあり、食満はまず大きな傷から手当てを始めた。左腕の刀傷を消毒して白い包帯を巻いていく。その後には肩、そして右足。目立つ傷を先に手当すると次は小さな傷を消毒していく。
夜は更けていて辺りは静かだ。二人の間に言葉は無く、淡々と作業は進む。

平太の体は商人にしてはあまりにも傷が多かった。その傷の殆どは真新しく、平太が自分を庇ったからなのだと分かる。記憶がない自分を平太がどんな風に守ってくれていたのか。食満は手当をしながらしみじみ実感していた。守られるだけの存在だなんて吐き気がするが、それでも記憶がなかったのだから仕方がない。

「傷だらけだなぁ」

食満の言葉に平太は「そうですね」と笑った。そして暫く黙ったかと思うと「食満先輩が怪我をするよりはずっといいです」と言う。
その言葉に食満は馬鹿だな、と言い掛けたが言葉が詰まって上手く出て来てはくれなかった。

手当が残っているのは平太の頬の傷のみなり、食満は平太の頬へと触れ、傷を撫でる。もう血は出ておらず、軽く消毒するだけでいいだろう。

「綺麗な顔なのに傷ついちゃったな。跡が残らなさそうだから良かったけど」

傷を指先でなぞる。少し痛むのか、平太の眉がぴくりと動いた。

「…でもこの傷で男前度は上がったな」

食満はそう言って微笑み、平太の頬にあるその傷に唇を寄せた。ちゅっと口付けて唇を離す。至近距離で視線が絡み、平太の手が食満の手を掴んだ。平太の顔が近付き、鼻が触れる。けれど唇がくっつく寸前で平太は動きを止めた。

朔が自分へと好意を持っていた事は知っているが、食満が同じように想ってくれているのかを平太は知らない。だから口付けていいのかどうか、判断できないでいるのだ。
動けずにいる平太に食満はくすりと笑って唇を重ねた。触れるだけですぐに唇を離し、額をこつんとくっつけた。平太の長い睫毛が戸惑うように震えている。

「平太、好きだよ」

食満は平太の手へと指を絡め、自分の元へ引き寄せた。遠い昔、手を引いてやったまだ十歳の彼の手とは違う自分よりも大きな掌に時間の流れを知る。そしてそれだけの時が流れた今、こんな風に自分へ触れる彼の体温が愛しいという感情を食満は大切にしたかった。

再度唇を重ねたのは平太だった。触れるだけの口付けをして、食満を窺うように視線を向ける。鼻が触れ合うような至近距離で、食満は目を細めて微笑む。優しげな弧を描いたその瞳に平太は許されたのだと思った。自分が食満の体に触れる事を、そこに憧れを越える感情が、意図が含まれる事を、食満に許されたような気がした。

指を絡めたままの手を自分の元へ引き、それと共に引き寄せられた食満の唇へと平太は口付る。開いた唇の合間から舌を入れるとそれを迎え入れるように食満は唇を開け、そして舌を絡めてきた。酸素まで喰らい尽くすように何度も舌を絡め、角度を変えて口付け、平太は後ろに敷かれていた布団へと食満を押し倒した。
押し倒された食満は指を絡めた腕を引いて平太を求める。呼吸の合間に「へいた」と名を呼ばれると愛おしさが一気に溢れて息苦しさを覚える始末だ。もうこの人がいないと呼吸すら出来ないような錯覚を覚える。

「好きです」

平太の言葉に食満は嬉しそうに笑った。






食満の上に圧し掛かり、首筋へと唇を寄せる。首筋から鎖骨へと舌を這わせながら平太は食満の腰帯を解いた。そして食満も平太の服を脱がそうと手を伸ばす。

好きです。

口付けの合間に平太は何度もそう告げた。その度に食満は頷いたり、同じように言葉を返したり、口付けで応えたりした。そしてその度に脳が痺れていくような気がしていた。

「…ぁっ…へーた、あっ」

硬くなった乳首へと舌を這わされ、もう片方は指で弄られる。既に余裕がないのに弱い個所を弄られてしまえば声は抑えられなかった。舌で転がされたり、吸われたりするだけで背が反り、甘い声が抑えられない。もう今すぐにでもどうにかして欲しい。無意識に腰が揺れ、平太の髪を弱弱しく掴む。平太のを名を呼ぶ食満の声に、平太は益々余裕がなくなっていった。
救急箱に入っていた塗り薬を指に取った平太は、胸を弄ったまま食満の尻へと指を進めた。奥にある秘孔へと薬を塗りつけると食満の体が大袈裟に揺れる。本当ならもう少し待ってやった方が良かったのかも知れないが、平太ももう余裕がなかった。
薬に濡れた指を穴へと捩じ込み、中へと薬を塗っていく。塗り薬が体温に溶け、ぐちゅぐちゅと音を立てるようになると、指の動きは慣らすものへと変えられた。単調な抜き差しを経て、中を探るような動きへと変わる。その合間も首筋や胸や腰等への愛撫を忘れない。口付けも何度も繰り返し、平太はようやく指を抜いた。

ぬるりと指が抜けていく感覚に食満は思わず締め付ける。今から平太のものが入るのかと思うと腰が疼いて仕方がない。
平太は食満の膝裏を片手で掴み、挿入しやすい体勢を取って、そして固まった。

「…へ、いた?」

まだかと待っている食満は平太を急かそうとしたが、平太は我に返ったような顔をしていた。そして「二晩連続は、体に負担、ですよね」と言う。ただでさえ受け入れる側に負担が掛かるというのに、食満の体に余計な負担が掛かる事が怖かったのだ。けれど食満はそんな事はもうどうでも良かった。だから首を横に振って平太の名前を呼ぶ。

「いい、大丈夫。今すぐお前が欲しいんだ。だから挿れてくれ」

食満がそこまで言うと、平太は顔を顰めた。食満の体を考えたらここで止めた方がいいって分かっているのに、それなのにその言葉ひとつで突き入れたい衝動が襲ってきたのだ。

「へーた、お前が欲しいんだ、後生だから」

未だ動かずにいる平太に食満は涙ながらに訴えた。そしてそこまでしてようやく平太は動いた。既に硬く勃ち上がった自分のものを、食満の中へとゆっくりと埋めていく。

「あぁっ、へーた…ぁっ」

ゆっくりと埋められていく熱い塊に食満は喘いだ。息苦しいし、さすがにきつい。けれど平太の熱なのだと思うと体も頭も欲しがった。全部が入ってしまうと満足のあまりに涙さえ零れた。

「好きです」

平太の言葉に食満は頷く。そして身長の割には細い首へと腕を回して口付けをねだった。


埋められた熱に次第に体は慣れた。そして慣れてくると今度は疼いてくる。自ら腰を動かす食満に合わせるように平太も腰を動かし始めた。

「ふぁっ…ぁっん…あぁっ、へーた、あっやぁ」

弱いところへと熱が触れるとどうにかなってしまいそうで怖くなる。平太の首へとしがみ付き、突き上げられる衝動に喘ぐしかない。段々と突き上げる速度が速くなり、平太も余裕がないのか眉を寄せていた。その表情が大人っぽくて、そしてあまりにも性的だ。ぞくりと背筋が戦慄く。あの平太がこんな顔をしているのかと思うと倒錯して食満はもうどうにかなりそうだった。

「へーた、ぁっ…もぉ、いくっ…あぁっ」

最後は平太の背中に甘えるように爪を立て、平太のものを思い切り締め付けた。平太も食満の締め付けに、眉を顰めて中で達した。熱いものが中で溢れるのに耐えるよう、食満は平太の首筋へ軽く歯を立てている。

はぁはぁと乱れた呼吸だけが響く部屋の中で汗は急激に冷えていく。食満は近くにあった平太の布団を手繰り寄せ、平太に手伝わせて二人の上にかけた。
ぐったりとしていた平太が体を起こそうとしたので食満はそれを止めた。

「まだ、抜かないで」

そう言われてしまえば平太は食満の言う通りにするしかない。横になり、すぐ目の前にある食満の顔を見つめると食満は顔を寄せ、口付てくる。それに応えている食満の腰が動いた。締め付けたり、緩めたりその緩急の付け方が絶妙で平太は眉を寄せる。

「食満、先輩」

口付けの合間に名前を呼べば、「何だ」と食満が聞いてくる。

「あの、それ、駄目です。そんな事されたら、止まれなくなります」

平太の息がまた少し上がっている。それが嬉しくて食満は平太の首筋を流れた汗を舌で掬い、尚も緩急つけて平太のものを育てるよう腰を動かす。

「食満先輩」

平太の切羽詰った声に食満は婀娜っぽい笑みを見せると「止めなくていい」と言う。平太は何かを諦めたようにひとつため息を落とすと食満をもう一度布団へと押し付けた。
布団へ押し付けたものの、平太は少し躊躇うように手を止める。そんな平太に食満は「平太、止めないで」と平太の頬を撫でながら呟いた。頬に触れる食満の手を取り、平太はちゅっと口付る。

「へいた」

もどかしくて食満は平太を呼んだ。それでも平太は食満の指先へ何度も口付るだけだ。何度も口付けては優しい視線を食満へと向ける。好きだということを言葉ではなく、瞳で、唇で伝える平太に食満はどうしようもなく胸をかき乱された。
平太に腕を引っ張ってもらって体を起こすと平太の首に腕を巻きつけて唇を重ねる。平太は口付けに応えながら食満の腰を支え、そして腰を動かし始めた。

「へーた…ぁっ…ふぁっ…あぁっ」

必死にしがみ付く食満の爪が皮膚に食い込んで痛いのか、平太は顔を顰め、もう一度食満を布団へと押し付ける。

「…へーた…ぁっ…すきっ」

食満の言葉に平太は一度腰の動きを止め、嬉しそうに眼を細めて食満の頬に唇を落とした。
動きを再開すると二人共もう余裕はなく、段々と速度を速めて先に食満が達して、暫く遅れて平太も食満の中で達した。食満の白濁は布団を汚したが、それでもしばらくの間二人は抱き合ったまま動かず、ただ目を合わせながら呼吸を整えていた。

平太が食満の中から引き抜くと、その感覚に耐えるように食満が布団を握りしめた。引き抜かれたそこからは白濁が溢れて太腿を汚す。
平太は引き出しから寝巻を取り出すと簡単に身に着け、そして食満の分の寝巻と手拭いを幾つか取り出すと戻ってくる。白濁で汚れている食満の腹と太腿を手拭いで拭き、そしてまだ残がいが残っている秘孔へと手を伸ばした。

「へ、へいた」
「はい」

食満の言葉に応えながらも平太は手を止めない。奥へと指を掻き入れて、穴を広げるようにすると残っていた白濁が零れてきた。

「へ、いた」
「もう少しじっとしていてくださいね」

平太の腕を掴む食満に平太はそう声を掛けた。そして言われた通りじっと耐えている食満に口付ける。食満がそれに応えようとすると唇が離れていき、悔しそうにする食満に平太は笑う。
中に残っていたものは大体掻き出せた。平太は指を引き抜き、手拭いで拭きながら横たわっている食満を見つめた。

「洗った方がいいと思うんですけど」
「いい」

言うと思った、というように平太が笑う。そしてまだ横になっているままの食満を残して立ち上がり、自分用の敷布団を引く。
汚れていない敷布団の上に平太は腰を下ろし、食満を呼んだ。

「こっちなら汚れてないですよ」
「ん」

食満は平太へと腕を伸ばし、平太は笑いながらその手を引いた。
平太の布団は汚してしまったので、横に退かれてた食満の布団を上から被った。布団の中で二人は体を寄せたままだ。

「…あったかい」
「ですね」

視線が合うと自然と笑みが零れて、気恥ずかしい筈なのに逸らせない。話さなければいけないことが沢山あるような気がするけど、話すよりも体を寄せているだけで伝わる事の方が多いような気もして暫くただ黙ったまま互いの温もりを感じていた。





*:*:*





夜というより朝が近い時間になるとようやくだるさが薄れたのか、食満が口を開く。

「…あいつらさ。襲ってきた奴ら。あいつらさ、俺の同期なんだ」

食満のその言葉に平太は黙って耳を傾けていた。

「就職して数年は平和そのものだったんだ。けど城内で殿以外に権力者が出て来てさ。その人の元に権力が傾き始めると空気が変わって行ったんだ。うちの殿は戦嫌いで温厚な人だったんだけど、その人は違ってて段々折り合いが悪くなってさ。そうなると忍隊でも雰囲気が変わるようになって。殿と組頭は繋がっているんだけどその人と繋がる奴らが増えて行ったんだ。けど殿は呑気な人でさ、何にも対策してなかったから…俺はさ、一番初めの任務で思いもしない成果が出せて、そこからよく任務貰ったりして、組頭に可愛がってもらっててな、その頃には小頭の側近を任されたりしてたんだ。だから裏切るなんて出来るはずないだろう?」

平太の指に自分の指を絡めながら食満は言葉を続ける。平太はそれを邪魔することなく、時折頷くだけだ。

「いざとなれば勝てるとどっかで思っていたんだ。けどいざとなったら向こう側の人数が圧倒的に多くて。いつの間にかそんなに力をつけていたんだって驚いたよ。根回しが凄かったんだな。そしてそれが勝敗を決めた。それからはあっという間で…生き延びたのは俺だけってあいつら言ってたなぁ」

食満は平太の肩へと顔を寄せ、弱弱しく息を吐く。足を絡め、平太へと抱きつく食満の背中を平太は静かに撫でた。

「…記憶を失ってた時、記憶を取り戻したいなんて思えなかったんだ。多分、自分で忘れたいって思ったんだと思う。疲れてて、忘れてしまいたい事が多かったんだ。けど、今は違う。今は思い出して良かったって思ってる。平太の事、ちゃんと思い出して良かった。そうじゃなきゃ、俺はお前に触れる権利なんてないんだと思う」

食満は言い終わると平太へと視線を向けた。平太は少し困ったようにしていて、小さな声で「そんな事ありません」と言った。

「記憶が無くても、貴方は貴方でした。とても優しくて、強くて、俺はいつだってそんな貴方に憧れてばかりで…俺の方こそ、触れてはいけないと思って」

平太の言葉を食満は唇を重ねる事で止めた。

「…やっぱり止めよう。俺はお前が好きで、お前だって俺を好いてくれてるんだろう?なら、触れていけない筈ない。それで、いい。な?」

食満は頷いて欲しいという顔で平太を見上げる。そんな食満の気持ちを汲んだのか、平太は柔らかく微笑んで頷いた。

「…そうですね」
「うん。それでいい」

食満は満足そうに笑い、平太の肩へとまた顔を寄せる。

平太と食満の関係は初めて出会った頃から二転三転している。学園にいた頃にはこんな風になるなんて食満はちっとも思っていなかった。けれどそれは多分平太も同じで、後ろめたく思ってしまう事も同じな筈だ。
それならば互いに否定するのではなく、肯定していきたい。傍にいたいと思う気持ちを、互いに否定してしまいたくはない。

好きだと告げてくれた平太を、好きだと告げた自分を、もう少し信じたい。

平太の腕の中で食満はそんな事を考えていた。








二人は暫くそのままうとうとと微睡んでいたが、朝日が昇ってきて朝が訪れるといつもより準備がある為、体を起こした。
昨日は休み貰った為、今日は店に顔を出さなければいけない。汚れた布団も、服も洗わなければならないし、朝からやるべき事は多い。

「食満さんは体を休めていてください」

昨夜無茶をさせたからと平太は食満の体を気遣った。学園にいた時なら平太に甘えるなんて有り得なかった。けれど今は違う。朔として平太に甘えていた時の事が体に染みついている。
平太が洗濯に出かけている間、食満は湯浴みをした。平太が中に出した白濁を片付けてはくれたが、やはりちゃんとした方がいいと思ったのだ。
短くなった髪は洗いやすく、そして髪を切った男が器用な奴で良かったと思った。手直しする必要性があまりないほど綺麗に整えられている。少し長さが違う箇所があったので食満は近くにあった剃刀で髪を整えた。
食満が湯浴みを終え、夜具やら救急箱やらを片付けていると平太が帰ってきた。

「もう干したのか?」
「はい。昼頃取り込めばいいと思いますよ」
「そうだな」

平太は洗濯に行く前に身支度を整えていたので、時間があった二人は店に向かう前に二人で熱い茶を飲んだ。
視線が合えば照れたようにはにかむ平太に食満も同じように笑ってしまう。外から差し込む光が眩しくて、いつも通りに過ごせている事が奇跡のような気がした。この日常を手放したくないと食満は無性に思う。こんな風に平太と笑い合える朝を、失いたくない。だから今、言わなければいけない事があった。そしてそれを口にするには覚悟を決めなければならない。

「…仕事行く前に、ひとつだけ確認したい事があるんだ」

湯呑を置いた食満の真剣な声色に平太も湯呑を置いた。どうやって切り出そうか考えていた食満だったが、平太を見ていると言葉を飾っても、選んでも仕方がないように思えた。思っている事を、聞きたい事を素直に口に出せば平太は答えをちゃんと返してくれる。そこに駆け引きを入れてしまいたくはなかった。

「俺は、朔でいようと思っている。帰る場所もないし、今の仕事性に合っているみたいだし、このままここで朔として暮らそうと思っている」
「…そうですか」
「うん。だから俺はここに残る。…平太は、どうするんだ?」

食満は少しだけ緊張しているのか深呼吸をひとつした。

「…俺は記憶を取り戻した。もう、朔のように何も知らないわけじゃない。それでも平太はここにいるのか?それとも…やっぱり一緒には暮らせないのか?」

声は不安そうに少し震える。本当なら昨夜のうちに聞くはずだったのだが、勇気がなく、先延ばしにしてしまったのだ。でも今を逃せば益々聞き辛くなり、昨日の様にある日突然平太が去って行ってしまうかもしれない。食満にとって平太が黙っていなくなり、この家に一人残された昨日の記憶がかなりの傷となって心に残っているのだ。

「…僕は」

沈黙の後、平太が口を開く。そして食満を見つめては複雑な笑みを見せた。

「ここにいていいのなら、このまま居たいです。食満先輩がそれでいいって言ってくれるなら…だからもしも俺が残る事で不安要素が増えるんであれば、」

その先の言葉を食満は聞きたくなかった。だから「俺は、お前に居て欲しいよ」と平太のものより大きな声で言葉を遮る。

「…平太と、こうやって暮らせたら俺はそれだけで十分だから」

食満はそう言い切り、平太へと微笑む。窓の外から陽が差して、食満の頬に光が落ちている。眩しさのあまり平太は少し目を細めたが、目を瞑ってしまうと消えてしまうのではないかと思うくらい儚げなその姿に思わず手を伸ばしていた。

「僕も同じです」

平太の手が食満の手首を掴み、そして握りしめられる。触れる手の熱に食満は満足そうに頷いた。

軒先で小鳥が鳴いている。そろそろ仕事に向かわなければと家を出た二人は戸に鍵を掛けて歩き出した。少し前を歩き、小鳥へと視線を落としていた平太の背中に食満は「好きだよ」と小さく呟いた。振り向いた平太はきっと笑ってくれる。そして同じ言葉を返してくれる。それは願いであり、希望であり、未来だ。

平太の、低く穏やかな声が自分の名を呼ぶ。そしてその次に告げられる言葉を食満はずっと待っていた。







 




(2012/03/03)

ひと段落。
あと少しだけ続きます。