白 夜 の 果 て に
晴れ渡った水色の空の下、大輪の花を咲かせる桜の木の根元で一人の子供が途方に暮れていた。彼の名は下坂部平太。この春に忍術学園に入学した一年生だ。
学園に入学して三日目。一日目と二日目は学園や長屋を案内されたり、同じ組になる子達との顔合わせや教科や実技担当の先生方と顔合わせがあった。そして三日目の今日は所属する委員会の先輩達との顔合わせがある。けれど平太は桜の木の下で足を止めて、途方に暮れいてた。
顔合わせをする場所は委員会が通常集まる場所だ。平太が所属するのは用具委員で、待ち合わせ場所は用具倉庫だったのだけれどこの広すぎる学園内で目的の用具倉庫を中々見つけ出す事が出来ずにいる。
平太が足を止めている間も目の前を何人もの生徒達が足早に通り過ぎて行った。声を掛けて用具倉庫までの道を教えて貰えれば済む話なのだが、平太にはただ途方に暮れて足を止めるしかなかった。
平太の生まれは学園からほど近い小さな町だ。その町で店を持つ両親の間に平太は生まれた。二人ともとても忙しく、兄は独り立ちしており、姉も既に嫁いでいる上に近くに同じ年代の子供もなく、平太は祖父に面倒を見てもらう事が多かった。祖父は祖父というよりは曾祖父くらいの年齢で体に随分とガタがきており、動き回るなんてことはあまり出来なかった。だから平太は祖父の傍らで絵を書いたり、字を教えて貰ったりと室内で静かに過ごす事が多かった。そんな風に育ったからか、平太は同年代の子供と比べると大人しく、そして極度の人見知りに育っていた。そんな平太が名前も顔も知らない先輩に話しかけられる筈もない。時間は刻々と流れていき、待ち合わせ時間はとっくに過ぎてしまっていた。
(先輩は怒っているだろうか)
まだ顔も見たことない先輩ではあるが、遅刻しているのだからきっと怒るだろう。そう思うとお腹の辺りがきゅうと痛くなって平太はその場に座り込んで地面を見つめた。
平太は自分から望んでこの学園に来た訳ではない。あまりにも引っ込み思案で大人しすぎる平太の将来を心配した両親が子供達の間で揉まれて積極性を身に着けられるならとこの学園に平太を入れたのである。だから平太はこの三日間、ずっと帰りたくて仕方がなかった。この学園で六年もやっていく自信なんて平太にはこれっぽっちもないのだ。
両親の事を考えると勝手に涙が浮かんできてポタポタと服を濡らしいく。一度流れた涙は簡単には止まらず、平太が必死に拭っても溢れて来て困らせる。泣いている場合じゃないのにと、平太が焦っていると不意に影と「君、」という優しい声が降ってきた。
「何処か痛いのか?」
顔を上げると優しそうな笑顔がそこにあった。
緑色の制服ということは六年生だ。平太はすぐにそれが分かったが、うまく返事は出来ない。けれどまっすぐに自分へと差し出されたその手を辛うじて取る事が出来た。
「怪我でもしたのかな?」
「ち、違います。あの、ちょっと、迷って…」
語尾は自信なさげに消えて行き、平太はちらりと手を取った先輩を見上げた。先輩ははっきりと喋らない平太を叱ったりはせず、相変わらず優しい笑みを浮かべている。
「そうか。この学園は広いからまだ一年生の君なら仕方ない事だよ。何処に行くつもりだったんだ?俺が連れてってやるよ」
ぎゅうと握りしめられたその手は力強く、平太はさっきまでぐるぐると胸に渦巻いていた不安をもう感じなかった。
「えっと、用具倉庫です」
平太がそう告げるとその先輩は驚いたように立ち止まった。そして「君、もしかして平太か?」と尋ねてくる。
「…はい。下坂部平太です」
どうして名前を言い当てられたんだろうと平太は目を丸くして先輩を見上げる。先輩は少しだけ照れたように笑い、平太と向き合うと屈んで目線を合わせた。つり目の瞳が優しげに細められて「実はな」と優しい声が響く。
「俺は用具委員委員長の食満留三郎っていうんだ。君、一年ろ組の用具委員の平太だろう?俺、君を探していたんだよ。」
「僕を?」
「そう。用具倉庫で待ち合わせって事にしたけどきっと分からないだろうと思って教室に迎えに行ったんだ。でももう出たっていうからな、探してたんだ。会えて良かったよ」
食満留三郎と名乗った先輩は「良かった良かった」と言って平太の頭を撫でた。
「さて、じゃあ一緒に用具倉庫に行こうか。きっと他の奴らもそろそろ着いている筈だ」
「はい」
当たり前のように差し出された手を平太は当たり前のように取った。広い学園の何処に用具倉庫があるのかは分からないけれど、この手があれば何処にだって行けるだろうと平太は思う。平太はこの手に出会えた事でこの学園で少しだけ上手くやっていけるような気がしたのだ。
食満留三郎先輩。
平太が初めて出会った先輩は優しくてかっこよくて、まだ十歳の平太から見たら大きくて、大人みたいな人だった。
(2011/11/29)